台風12、11号
襲来以来、梅雨のような天気
が続きます。
もう8月も半分が過ぎました。天気予報ではしばらく不安定な天気
が続くようです。
夏は終わってしまったのでしょうか?
今回は『幻影2 荒原の墓標』31回目の掲載です。
2
美奈を通して、裕子に悲報がもたらされた。実家には上松署から連絡が行った。母親は宏明の死を聞いてふさぎ込み、外に出る気力も失ってしまったので、上松署には父親が向かった。
DNA鑑定を行うまでもなく、遺体の歯の治療歴から、遺体は秋田宏明のものと確認された。裕子はしばらく休暇を取り、いなべ市の家に帰った。
葬儀は家族だけで行われた。遺体は上松で荼毘に付され、父親が遺骨を持ち帰った。父親は息子が二年前から失踪し、さらに殺害されていたということで、とても恥ずかしくて世間に顔向けできないと、告別式を出さなかった。詐欺グループの一員としての疑惑もある。
美奈たちにも告別式は行わない旨、裕子から連絡が入った。上松署から刑事が来て、いろいろ質問されたそうだ。
晩夏とはいえ、まだ暑い時季に長袖の服を着ていることを怪しまれ、結局裕子のタトゥーは両親に知られてしまった。そして食品会社を辞め、ソープランドに勤めていることも告白した。茶色に染めた髪は、元のように黒く染め直すよう、父親に命じられた。
家族での密葬が終わって一段落した段階で、裕子は父親からさんざん叱られたそうだ。秋田家は地元では名家として通っているのに、その娘がいれずみをしたり、売春まがいな行為をしていたとは、どういうつもりなのかと責められ続けた。父親から、もうおまえはうちの娘ではない、とっとと出て行けと宣告された。しかし母親が必死に裕子をかばってくれ、何とか勘当は免れたと、裕子から電話があった。
美奈も半年ほど前、繁藤の事件で週刊誌などに書き立てられたことで、美奈がやっていることが兄に知られ、同じような苦労をしている。だから裕子の気持ちが痛いほどよくわかった。裕子がタトゥーを入れた原因の一つに、自分があると思うと、美奈は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「そんなことないですよ。タトゥーを入れたのは、あくまでも自分の意志だし、それで私は強くなれたんです。いやな過去を振り切ることができて。私がオアシスに勤めたのは、美奈さんとは何の関係もないことです。それより、そのおかげで、私も素晴らしい友達が得られたのだから、むしろ感謝しています。だから、美奈さんは全然気にする必要ないですよ。
それより、ひょっとしたら、私、もうオアシスには戻れないかもしれないので、そのほうが辛いです。少なくとも、当分は名古屋に戻れません。でも、どんなことがあっても、美奈さんとは親友ですよ。メグさんも、美貴さんも。それから、さくらさんも」
本当に裕子は強くなった、と美奈は思った。兄の遺体が見つかったという報を受けても、気丈に耐えていた。以前の裕子なら、父親にソープランドに勤めていることがばれ、怒鳴られれば、それだけで精神的に折れてしまったことだろう。以前のように鬱状態となり、当分は立ち上がることもできなかったかもしれない。
恵と美貴も裕子から連絡を受けており、裕子のことを心配していた。勤務が終わってから、三人はなじみのファミレスで話し合った。
「大丈夫ですよ。裕子さん、きっとこの試練、乗り越えられると信じています」
裕子のことを心配する恵と美貴に、美奈は断言した。美奈はそう信じている。
「そうね。私たちが裕子を信じてやらなくちゃ。ほんとに裕子、強くなったんだから。美奈のように」
「美奈も強くなったね。オアシスに入店したころとは、全然違う。裕子だって、変わったんだから。あたしも裕子、信じてるよ。たとえ裕子がオアシス辞めることになっても、あたしたち、ずっと友達」
恵も美貴も美奈も、父親が風俗関係の仕事はもうやらせないと言っていることを聞いているので、しばらくは裕子に会えなくなることを憂えていた。裕子は今、自宅に軟禁状態だ。
父親は裕子を連れて、皮膚科や美容整形外科にタトゥー除去の相談に行った。しかし黒っぽいアゲハチョウ一匹だけならまだしも、これだけ広範囲にあるタトゥーは、レーザー照射では完全に消すことはできず、皮膚の切除や植皮が必要だと言われた。レーザー照射は、黒いタトゥーには有効だが、それ以外の色に対しては、あまり効果がない。皮膚を切除すれば、大きな傷痕も残り、かえって醜くなってしまう。せっかくきれいな絵が入っているので、本人がタトゥーを後悔していないなら、無理に消して傷を残すより、必要なときにはファウンデーションやリストバンドなどでタトゥーを隠すようにしたほうがいいのではないか、とも助言されたという。
さくらは卑美子やトヨに比べ、手彫りのように、針を深めに刺すので、インクが真皮のやや深いところまで入る。だからかさぶたが厚くなりやすい。しかしかさぶたをはがさないようにケアをきちんとすれば、色が鮮やかだ。繊細な色合いの卑美子やトヨとは、作風が異なる。針を深く刺す分、レーザーなどで除去するのは難しくなる。
裕子も醜い傷痕が残るより、きれいなタトゥーのままでいたい、と父親に懇願した。タトゥーを消すことは父親も断念したようだった。裕子にしても、かつての同僚で、親友でもあるさくらが彫ってくれたタトゥーを、消したくはなかった。
恵、美貴、美奈の三人は、裕子を信じ、再会できるのを楽しみに待とうと話し合った。裕子の兄を殺した犯人は、きっと三浦が探し出してくれる。宏明の事件の管轄は上松署だが、三浦や鳥居が担当している連続殺人事件と密接な関連がある。美奈は三浦が、裕子の悲しい思いを晴らしてくれるだろうと確信している。
裕子は自宅に戻り、家に閉じこもっていることが多かった。父親からは当分家から出ず、反省しておれ、と命じられていた。父親が会計事務所に行って留守の昼間に、ときどき気晴らしに近所を散歩することがある。母親からはタトゥーが近所の人に見つからないように気をつけなさいと注意されていた。母親も世間体を気にしていた。散歩に出るときには、鈴鹿の山が間近に見え、その景観が裕子を慰めた。
裕子は少し足を運んで、市役所の北にある、いなべ公園に行くことが多い。いなべ公園のシンボルタワーから見渡す鈴鹿の山がきれいだった。いつかは美奈たちと、あの山に登ってみたいと思った。


いなべ公園 シンボルタワーからの眺め
中学生のころ、家族で宇賀渓にキャンプに行ったとき、兄と四九七メートルの砂山に登ったことがある。岩が積み重なったような小さな山で、砂山というよりは、岩山だった。山頂は周りに木が繁っていたが、眺望はよかった。眼前には大きな竜ヶ岳の勇姿があり、反対側からは伊勢平野を見下ろすことができた。砂山の山頂で、いつかはあの鈴鹿の高い峰に登って、きれいな景色を見てみたいと兄に伝えると、兄は 「そのうち鈴鹿の山に裕子を連れていってやるからな」 と応えた。しかしその約束は、果たされずに終わった。
これからどうなるのか。おそらく、オアシスにはもう戻れないだろう。また美奈たちに会いたかった。もうすぐさくらの誕生日パーティーがあり、裕子も招かれているのだが、とても参加できそうにない。
ある日の夜、自分の部屋で眠っているときに、何かの気配を感じて目が覚めた。
誰かがいる。じっと裕子の方を見つめているようだ。誰? お兄さん? 裕子には、そこに兄がいるように思われた。
「お兄さん、お願い。もう人を殺さないで。もしお兄さんがあの事件の本当の犯人だとしたら。そして、どうか、安らかに高い霊界に行ってください。お願いします」
裕子は美奈から教えてもらったように、心を込めて、兄に祈った。裕子の近くにいた影は、やがて消えた。


もう8月も半分が過ぎました。天気予報ではしばらく不安定な天気


夏は終わってしまったのでしょうか?
今回は『幻影2 荒原の墓標』31回目の掲載です。
2
美奈を通して、裕子に悲報がもたらされた。実家には上松署から連絡が行った。母親は宏明の死を聞いてふさぎ込み、外に出る気力も失ってしまったので、上松署には父親が向かった。
DNA鑑定を行うまでもなく、遺体の歯の治療歴から、遺体は秋田宏明のものと確認された。裕子はしばらく休暇を取り、いなべ市の家に帰った。
葬儀は家族だけで行われた。遺体は上松で荼毘に付され、父親が遺骨を持ち帰った。父親は息子が二年前から失踪し、さらに殺害されていたということで、とても恥ずかしくて世間に顔向けできないと、告別式を出さなかった。詐欺グループの一員としての疑惑もある。
美奈たちにも告別式は行わない旨、裕子から連絡が入った。上松署から刑事が来て、いろいろ質問されたそうだ。
晩夏とはいえ、まだ暑い時季に長袖の服を着ていることを怪しまれ、結局裕子のタトゥーは両親に知られてしまった。そして食品会社を辞め、ソープランドに勤めていることも告白した。茶色に染めた髪は、元のように黒く染め直すよう、父親に命じられた。
家族での密葬が終わって一段落した段階で、裕子は父親からさんざん叱られたそうだ。秋田家は地元では名家として通っているのに、その娘がいれずみをしたり、売春まがいな行為をしていたとは、どういうつもりなのかと責められ続けた。父親から、もうおまえはうちの娘ではない、とっとと出て行けと宣告された。しかし母親が必死に裕子をかばってくれ、何とか勘当は免れたと、裕子から電話があった。
美奈も半年ほど前、繁藤の事件で週刊誌などに書き立てられたことで、美奈がやっていることが兄に知られ、同じような苦労をしている。だから裕子の気持ちが痛いほどよくわかった。裕子がタトゥーを入れた原因の一つに、自分があると思うと、美奈は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「そんなことないですよ。タトゥーを入れたのは、あくまでも自分の意志だし、それで私は強くなれたんです。いやな過去を振り切ることができて。私がオアシスに勤めたのは、美奈さんとは何の関係もないことです。それより、そのおかげで、私も素晴らしい友達が得られたのだから、むしろ感謝しています。だから、美奈さんは全然気にする必要ないですよ。
それより、ひょっとしたら、私、もうオアシスには戻れないかもしれないので、そのほうが辛いです。少なくとも、当分は名古屋に戻れません。でも、どんなことがあっても、美奈さんとは親友ですよ。メグさんも、美貴さんも。それから、さくらさんも」
本当に裕子は強くなった、と美奈は思った。兄の遺体が見つかったという報を受けても、気丈に耐えていた。以前の裕子なら、父親にソープランドに勤めていることがばれ、怒鳴られれば、それだけで精神的に折れてしまったことだろう。以前のように鬱状態となり、当分は立ち上がることもできなかったかもしれない。
恵と美貴も裕子から連絡を受けており、裕子のことを心配していた。勤務が終わってから、三人はなじみのファミレスで話し合った。
「大丈夫ですよ。裕子さん、きっとこの試練、乗り越えられると信じています」
裕子のことを心配する恵と美貴に、美奈は断言した。美奈はそう信じている。
「そうね。私たちが裕子を信じてやらなくちゃ。ほんとに裕子、強くなったんだから。美奈のように」
「美奈も強くなったね。オアシスに入店したころとは、全然違う。裕子だって、変わったんだから。あたしも裕子、信じてるよ。たとえ裕子がオアシス辞めることになっても、あたしたち、ずっと友達」
恵も美貴も美奈も、父親が風俗関係の仕事はもうやらせないと言っていることを聞いているので、しばらくは裕子に会えなくなることを憂えていた。裕子は今、自宅に軟禁状態だ。
父親は裕子を連れて、皮膚科や美容整形外科にタトゥー除去の相談に行った。しかし黒っぽいアゲハチョウ一匹だけならまだしも、これだけ広範囲にあるタトゥーは、レーザー照射では完全に消すことはできず、皮膚の切除や植皮が必要だと言われた。レーザー照射は、黒いタトゥーには有効だが、それ以外の色に対しては、あまり効果がない。皮膚を切除すれば、大きな傷痕も残り、かえって醜くなってしまう。せっかくきれいな絵が入っているので、本人がタトゥーを後悔していないなら、無理に消して傷を残すより、必要なときにはファウンデーションやリストバンドなどでタトゥーを隠すようにしたほうがいいのではないか、とも助言されたという。
さくらは卑美子やトヨに比べ、手彫りのように、針を深めに刺すので、インクが真皮のやや深いところまで入る。だからかさぶたが厚くなりやすい。しかしかさぶたをはがさないようにケアをきちんとすれば、色が鮮やかだ。繊細な色合いの卑美子やトヨとは、作風が異なる。針を深く刺す分、レーザーなどで除去するのは難しくなる。
裕子も醜い傷痕が残るより、きれいなタトゥーのままでいたい、と父親に懇願した。タトゥーを消すことは父親も断念したようだった。裕子にしても、かつての同僚で、親友でもあるさくらが彫ってくれたタトゥーを、消したくはなかった。
恵、美貴、美奈の三人は、裕子を信じ、再会できるのを楽しみに待とうと話し合った。裕子の兄を殺した犯人は、きっと三浦が探し出してくれる。宏明の事件の管轄は上松署だが、三浦や鳥居が担当している連続殺人事件と密接な関連がある。美奈は三浦が、裕子の悲しい思いを晴らしてくれるだろうと確信している。
裕子は自宅に戻り、家に閉じこもっていることが多かった。父親からは当分家から出ず、反省しておれ、と命じられていた。父親が会計事務所に行って留守の昼間に、ときどき気晴らしに近所を散歩することがある。母親からはタトゥーが近所の人に見つからないように気をつけなさいと注意されていた。母親も世間体を気にしていた。散歩に出るときには、鈴鹿の山が間近に見え、その景観が裕子を慰めた。
裕子は少し足を運んで、市役所の北にある、いなべ公園に行くことが多い。いなべ公園のシンボルタワーから見渡す鈴鹿の山がきれいだった。いつかは美奈たちと、あの山に登ってみたいと思った。




いなべ公園 シンボルタワーからの眺め
中学生のころ、家族で宇賀渓にキャンプに行ったとき、兄と四九七メートルの砂山に登ったことがある。岩が積み重なったような小さな山で、砂山というよりは、岩山だった。山頂は周りに木が繁っていたが、眺望はよかった。眼前には大きな竜ヶ岳の勇姿があり、反対側からは伊勢平野を見下ろすことができた。砂山の山頂で、いつかはあの鈴鹿の高い峰に登って、きれいな景色を見てみたいと兄に伝えると、兄は 「そのうち鈴鹿の山に裕子を連れていってやるからな」 と応えた。しかしその約束は、果たされずに終わった。
これからどうなるのか。おそらく、オアシスにはもう戻れないだろう。また美奈たちに会いたかった。もうすぐさくらの誕生日パーティーがあり、裕子も招かれているのだが、とても参加できそうにない。
ある日の夜、自分の部屋で眠っているときに、何かの気配を感じて目が覚めた。
誰かがいる。じっと裕子の方を見つめているようだ。誰? お兄さん? 裕子には、そこに兄がいるように思われた。
「お兄さん、お願い。もう人を殺さないで。もしお兄さんがあの事件の本当の犯人だとしたら。そして、どうか、安らかに高い霊界に行ってください。お願いします」
裕子は美奈から教えてもらったように、心を込めて、兄に祈った。裕子の近くにいた影は、やがて消えた。