怒れる中年

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3.11 石巻の大川小学校跡に立ちすくむ(その2) ・・・ 惨禍を繰り返さないために 

2013年03月14日 | 東日本大震災…山形から

Ⅰ) なぜ河川敷に小学校を建てたのか?

2度と同じような悲劇を繰り返さないために、はっきりと言わせていただきますが、大川小学校跡を歩きまわって、私が一番に強く思ったことは「津波は天災であっても、その被害がこんなにも大きくなったのは人災だ」ということです。

    

大川小学校は北上川の河川敷にありました。町があり、その中心に小学校がありました。集落や学校が建っていた地域は海抜1mから2m。北上川の流れとは3メートル程の高さの堤防で仕切られていただけでした。

   

一番不思議に思うのは、「なぜ、こんなところに学校をつくったのか!」ということです。そして、その危険なところの小学校が「地域の避難所」になっていたことです。

私が通っていた山形県寒河江市の白岩小学校と白岩中学校は山の上にありました。町は寒河江川の川沿いに発達していたのですが、学校だけは町の中ではなく山の上に造られていました。

毎日、学校まで10分~15分ほど登り、自宅からは30分近くかかったと思います。グラウンドは小・中共用で、野球のボールなどが崖下の墓地に落ちていったものです。

そんな私の経験からすれば、川沿いに、それも津波の危険を考慮すべき地域で海抜1~2mの所に小学校を建てる! あり得ないことです。なぜ山の上に建て、そこを避難所としなかったのか?

   

「なぜすぐに逃げなかったのか?」 「どうして裏の山に逃げずに、川の方へ避難したのか?」・・・など、いくつもの疑問があるでしょう。

しかし、まずはハード面で、なぜあんな低い所に学校を建てたのかが問題です。

そして、ソフト面では、当日の避難行動の疑問点や津波に備えた防災対策の欠如が問題になります。

     

危険な場所にありながら、その無防備ぶりは驚くほどです。

これらは大川小学校だけの問題と言うよりも、現代日本人が巨大リスクに眼を塞いでいるのではないかという根本的な疑問につながります。

先人たち、少なくとも第二次大戦直後までの日本人は「万一」に対する恐れを持っていたと思うのです。白岩小学校の例だけでなく、社会のすみずみに見受けられるのです。貧しかったが子どもたちの安全を大切にしてきたのではなかったでしょうか?

   

Ⅱ) 第2、第3の大川小学校の危機が全国各地にある!? 

3.11大災害から2年、この間、被災地など各地をまわりました。

特にダムを調べてまわりました。

   

あなたはご存じでしたか?

3.11大地震で福島の藤沼ダムが決壊し、7人の生命が奪われ、1才の男の子が今も行方不明だということを。

「えー! 地震でダムが決壊するの?」 

驚きでした。

決壊現場を、自分の目で確かめようと足を運びました。総貯水容量150万トン の比較的に小さな灌漑用ダムなのに、ダム津波となって流れた濁流は凄まじい力で襲いかかってきました。

    

福島だけではありませんでした。

5年前の岩手・宮城内陸地震(マグ二チュード7.2)でも、荒砥沢ダム(総貯水容量1413万トン)のすぐ上で日本で最大規模の山の大崩落が起き、危うくダムが決壊するところだったのです。ダム管理事務所の人の話では「流れ込んだ土砂によって6mのダム津波が起きた」「危なかった」ということでした。

   

あなたの町ではダム決壊の心配はありませんか?

海岸線では津波が危険です。

しかし内陸部では、山とダムの多い日本、ダム決壊の危険が大きいのです。

「第2、第3の大川小学校の危険」と私が言うのはこのことです。

それぞれに自分の足元を見つめ、巨大リスクから逃げず直視し、子どもたちをはじめ多くの人たちのあんしん・安全を考えていく。それが苦しみもがきながら、尊い生命を奪われていったこどもたちへの償いではないでしょうか。

  

「想定外」という言葉の虚しさ、そんなことを、あの大川小学校の子どもたちに語れるでしょうか?

   

私の住む山形県の村山地方には多くのダムがあります。

最大は月山の中腹に造られた寒河江ダムです。総貯水容量は1億900万トン。

この真下と言っても良い西川町に、昨年、5つの小学校を統合した西川小学校が完成しました。

驚くことに、この小学校は寒河江川の川沿いに造られました。外観だけは立派ですが、肝心の子どもたちの安全はどうなっているのでしょうか?

地震でダムが決壊したらひとたまりもないでしょう。大川小学校を上回る悲劇が起きるのでは・・・と心配でなりません。

     

ここだけではありません。寒河江市の醍醐小学校も寒河江川の川沿いです。立派な建物が造られ、集落の避難所になっているそうです。

山形市の東沢小学校は、蔵王山系の麓にある蔵王ダム(総貯水容量730万トン)の真下、馬見ケ崎川の川沿いです。

    

どうしてこんなにも安易に小学校や中学校が海沿いや川沿いにつくられているのでしょうか?

安全性よりも経済性が優先になっている? そんなことがあってはなりません。

こんな現実に眼をふさいでいませんか?

もう一度、亡くなった大川小学校の子どもたちのために、自分たちの足元から巨大リスクを見つめなおしていきませんか? 

   ・・・・・ 3.11に思ったこと (リスクコンサル・ネット会員) 東海林正弘

 

    

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