井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

幻の授業「管弦楽基礎奏法の研究」

2012-02-07 23:35:41 | オーケストラ

先週に記述した「補習」の件。

二度目の補習をしたら、今度は皆さん弾けるようになって、三度目はしないで済んだ。これで12日の本番、ブラームスの交響曲第4番はうまくいくだろう。たった三人が弾けるかどうかだけなのだが、この三人が一番後ろで正確に弾ければ、全体が「鳴る」のだ。その昔、田中千香士先生がおっしゃった。「いいオケは後ろから鳴るんだ。」

考えてみれば、田中千香士先生からはオーケストラの弾き方を教えてもらったことがいろいろとあった。自分でレッスンの時間に持っていった時もあったし、練習室に先生の方からはいってきて、ああだこうだ言われた時もあった。

ある時、国鉄のストライキで授業が全て休講になったにも関わらず、レッスンはそれとは無関係と勝手に主張される先生、「なぜみんな来ないの?」と一人で怒っていらっしゃった。その日のストは割と早めに終ったので、とりあえず大学に私などは行っていたのだが、そんな弦楽器の人間を集めて、急遽モーツァルトの交響曲「リンツ」のレッスンをやってもらったことがあった。オーケストラの授業で「リンツ」をやることになっていたからだ。

これが結構面白かったのだ。「ここは弾いてはいけない」「ここだけさらって、あとはさらわなくていい」独特の千香士節が炸裂する合間に、N響時代のエピソードがちょっとはさまったりして・・・。

実は、その時間、休講でなければ「管弦楽基礎奏法の研究」(という名前だったと思うが)、通称「オケ奏法」と呼ばれる授業の時間だった。「きみ、インペクやってくれる?」と、何がインペク(インスペクター)の仕事なのかもわからず、翌週から「オケ奏法」の正規の授業が始まった。

千香士先生の授業やレッスン、最初は「恐い」のである。

誰かに弾かせた後、それを聞いていた学生に質問する。

「今のを聞いて、何か問題を感じた人?」

そんなこと言われて、何を言えば良いかわからないから、みんな黙っていると、先生は学生Sに直接尋ねた。

「・・・音程が・・・」

と恐る恐る言おうものなら、

「そういう原始的なこと以外に何かない?」

そういう時だけ我々は原始人になるので、それ以外はわからない。そうすると、原始人には到底わからない未来人の見解が示されるのであった。

その調子で、毎週毎週、新しい曲の「パート練習」に取り組むのである。その楽譜が前もって配られていたかどうか定かではない。ひょっとしたら、その日に配られたかもしれないけれど、それは問題ではなかった。

千香士先生の信念では、

一回で弾けなくても仕方ない。で、2回目で弾けたら「まあまあ」だな。3回目だったら「まあ」かな。3回目で弾けなかったら、どこのオケからもお呼びがかからない。

つまり、オーケストラのパートは練習しなくても弾けるのが当たり前、練習するなんてカッコ悪い、という美学が息づいていて、私などはそれに洗脳されてしまい、ちょっと後で苦労するはめになった。

先生が亡くなられる前年にお会いした時、いまだにそのお考えをお持ちだったことがわかり、「先生、今は皆さんさらいますよ」と御注進申し上げたことがある。

脱線するが昔のN響は大変だった。へたにさらおうものなら「あいつはさらわなきゃ弾けない」と揶揄され、さらわなかったら「さらいもしないで」と睨まれる。つまり上記のように2回目か3回目で弾けるように、人の見ていないところで調整して練習所に顔を出すことが求められた。

で「オケ奏法」、インペクに渡された曲目リスト、後ろの方には「ダフニスとクロエ」「春の祭典」、みんながエキストラに行った時困らないための「第九」なんてのもあって、実に興味深いものだったのだが・・・。

それは実現されなかった。それも半分は私の判断ミスで。ちょっと長くなったので、続きはまた次回。


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