井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ソリストだけが全てではない

2007-12-23 10:26:57 | コンクール

日本の新聞には必ずスポーツ欄がある。スポーツ新聞もある。 ウィーンの新聞には音楽欄がある。音楽新聞もある。さすがは音楽の都!

日本の新聞で音楽が一面を占めることは滅多にないが、昨日、毎日新聞では二面も使って、学生音楽コンクール全国大会の様子を報じていた。音楽が大きく扱われることはなかなかない。その意味で、大歓迎である。

ヴァイオリン部門の小中学生は審査員のH先生から全員絶賛だった。多分その通りなのだろう。審査員の点数表を見ると、H先生の生徒さんもかなり含まれていることがわかる。なかなかコメントが難しかったことだろう。

ここでH先生の「コンクール必勝法」を思い出した。 要点は以下の通り。

・速く正確に弾く。

・勝ち進むにつれ、うまくなっていく。

あまりにも身もふたもない表現で、ロンティボーの審査委員長がこんなこと言っていいの、という気もしたが、その心配をよそに、この発言は、あっという間に関係者に伝わった。

言われるまで気付かなかったことではある。でも確かにその通りであることがわかる。

で、これが実現できないのは、やはり速く弾くのは難しいからだろう。具体的には指の力だ。子供の手はフニャフニャしているから、重音でかなり苦労することがある。これが高校生だと何の苦もないことがしばしば。

というのは私の体験であって、この新聞に載る人達には当て嵌まらないのだろう。(正直言って、力がなくても弾けるのか、力がとても強く鍛えられて弾けるのかわからない。)

私の気にかかるのは、この記事を読んで悲観してしまう人々である。これが全てだと誤解してしまう人達である。

多分、現在ソリストは余っている。そこで社会的に動くべき方向は、聴衆を増やすこと。SMAP並に動員できれば問題は起きない。

個人的に目を向けるべきは室内楽とオーケストラ。どちらもソリスト級の腕が必要だ。だからと言って、子供の時から入賞くらいしなければ、などということは全くない。(そう言えばH先生御自身、日本を代表する室内楽奏者だ。)

室内楽は日本人の資質にとても合っていると思うのだが、現在優秀な室内楽奏者は不足気味。私としては、一人でも多くの室内楽奏者が誕生することを願っている。

そのような次第で、今、思うように伸びなくても、新聞に載らなくても、諦めないで続けて下さい、と申し上げたい。


溝〇先輩の椅子

2007-12-09 19:44:15 | 音楽

何年か前、沖縄でコントラバスの溝入先輩とご一緒した時のこと。舞台袖で家具のようなものを組み立て始めてびっくりしたことがある。それは演奏用の椅子だった。 「腰のことを考えてね。」

ヴァイオリンは首を傷めることが多いがチェロは腰にくることが多い。コントラバスも似たような状況なのだろうか。

いずれにせよ、ある程度硬い座面でないと演奏には具合が悪いのは、どの楽器にも共通している。ホテルの宴会場で弾く時、お客さん用の柔らかい椅子に座らされた日には、どっと疲れが噴き出してくる。椅子は重要な要素だ。

「それは実用新案でもとって売りださなきゃ」
「いや、みんなそこまでこだわらないよ」
確かに、それ以来、追随する人は見たことがない。

ところが、今度はチェロ椅子の特注品にお目にかかることになった。溝口先輩の椅子である。一見、背もたれ付きのピアノ椅子、だが、座面のシートが違う。スタインウェイのベンチ椅子のシートのような、硬いクッションがボタンで留めてある、という表現でわかるだろうか。まぁ単純に言ってカッコイイ。ついでに譜面台も特注品。通常の譜面台が楽譜を下から支えるとすれば、上から吊り下がるような感じとでも言えようか。これは見慣れないという点で目をひいた。

こちらは専ら見た目の問題であろう。でもチェロ1台運ぶのだって楽ではないのに、ここまでやるのは立派だ。井財野は何にこだわろうかな…。(実は五線帖に今、大変な関心を持っているが第三者の目には触れませんね。)


ソリテア、三たび

2007-12-06 12:27:36 | 音楽

井財野友人は今年、オーケストラ・メソッドにかなりエネルギーを費やしている。そのせいもあって、今年の新作は、これ一曲のみになってしまった。その貴重な一曲「ソリテア」が昨日、福岡市あいれふホールで演奏されたのを聴きに行った。

九響の吉浦さんを中心とするコントラバス・アンサンブルの演奏会で、独奏から始まり、八重奏まで少しずつ台数が追加されていくプログラムだった。

ソリテアの演奏は三回目になるが、回を重ねるごとに演奏が充実していくのを聞けるのは嬉しい。

しかし同時に、コントラバスのことをまだまだ知らない自分に気付かされる一晩でもあった。 というのも、その後に続く曲はベーシストの作品か編曲のみ。とてもじゃないが、それらのように技巧を駆使できるものではない。その意味でも、恥ずかしい一晩ではあった。

それだけに、後半に発表された藤井さん、丹羽さんの編曲は秀逸。当初の予定では今日の仕事の準備のため、前半で失礼しようかと思っていたのだが、聴いて正解だった。

クレーメルで有名になった「タンゴ・パセティーク」という、チャイコフスキーの悲愴をタンゴにしたものがあるが、それに勝るとも劣らない「ピアソラの白鳥」。白鳥の湖がピアソラの語法に変容している、まさに井財野好みの作品だった。

丹羽氏のルパン三世も、巨大な楽器群で16ビートまで表現してしまう、これもベーシストならではの楽器法に驚嘆。

同じ楽器だから、率直に言って技量の差が、割と生で出やすい面もある。でも皆さん、やはりプロ!聴衆に訴えるのが使命であることを理解しているから、とても楽しめた一夜だった。