井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

キョウイクとキョウヨウ

2018-12-31 16:51:19 | 日記・エッセイ・コラム
英語のテキストに載っていた話だ。

高齢者にはキョウイクとキョウヨウが必要

今日行くところがある
今日用事がある

ということ。

年金を払うのも、もらうのも、あと数年、となると、これは他人事ではない。

コンサートは、その「キョウイク」と「キョウヨウ」に大いに貢献できるし、貢献すべきだろう。

2018年、痛切に感じたことである。

来年も良い年でありますように。

ショーソンと「ぞうさん」

2018-12-23 19:16:00 | 日記・エッセイ・コラム
以前も書いたような気がするが、ショーソンの交響曲、第2楽章第2主題と、童謡「ぞうさん」は酷似している。
それを利用して井財野はショーソンからぞうさんにつなげる「團伊玖磨童謡メドレー」を作ったことがある。

さて、近衛秀麿の本を読んでいたら、たまたまショーソンの交響曲、日本初演が1952年だ、という文章があった。

え、そんなに遅いのか、え、昭和27年…

途端にむずむずしてきた。

團伊玖磨が「ぞうさん」を作ったのはその頃ではないか?

ネットで調べると、詳細に調べた人がいらっしゃった。まど・みちおの歌詞を佐藤よしみが改変してしまって、そちらが定着してしまったとか、新聞に載ったゾウの話は、記者の創作だったとか、まあ戦後のどさくさはいろいろあるものだ。

それで、今で言うフェイク記事を基にまど・みちおは作詞して、一旦別人が2拍子の「ぞうさん」を作り、そこそこ普及したと思われる。何故ならば、私の母はその2拍子のぞうさんを、私に歌って聞かせてくれたことがあるから。

そして3拍子のぞうさんが作られ、「3拍子にして、象の感じがとても表れている」と中田喜直は著者「メロディーの作り方」の中で絶賛していた。

が、いつ作曲されたのか、不明になっている。團存命中に多分一番有名な作品になったし、あれだけの文章家だったから、どこかに「こうやって作った」と書いてあって良さそうだが、(多分)唯一「私の好きな歌、嫌いな歌」(エッセイ集、タイトルは違ったかも)に「一番稼いでいる曲」と書いて、大した記述はなかったと思う。

わかっているのは放送発表が1952年の12月だったこと。

ショーソンと團先生が直接結びつく感じはしないので、今までは「他人のそら似」だろうと思っていた。

しかし、ショーソンの初演が同じ時期、東京交響楽団によってとなると話は別だ。團先生が作品発表されていた「三人の会」で演奏を担当していたのは東京交響楽団だったから、関係は深い。

意図的にショーソンのメロディーを借りて作ってやろうとは、さすがに思わなかったと信じる。

だが、ショーソンの交響曲、終盤にあれだけしつこく「ドラーソ、ドラーソ」と繰り返されると、誰でも頭から離れなくなるだろう。

以下は井財野の妄想。

NHKから「ぞうさん」に付曲を頼まれていた團先生。締め切り近いけど、まあ何とかなるさ… … …ほら、出来た。

「それにしてもすぐ出来たな」こんなにすぐできるのは自分に才能があるからか?いや、そうではないけど、まあそういうこともあるさ…。

で、ある時に気付く「あちゃー、ショーソンにそっくり、というかそのまま。でも日本国内ではショーソンより有名になってしまったし、まあ黙っとこ」

こんなところではないかと思う。だから、曲誕生の経緯については深く触れていない。

何故こんな妄想をするか、それは井財野もこういう経験があるから、である。残念ながら日本国内で有名にはなっていないけど。

発展しないタイプの音楽、ボッケリーニ

2018-12-13 22:25:00 | 音楽
西洋発祥の音楽は「発展(development,展開)」する方向で発達してきたものが多い。特に芸術音楽に分類されているものは。

しかし、先日「発展しない」ことを特徴にしている作曲家もいる、という説明の後に聴いたのが、ボッケリーニ作曲の《弦楽五重奏曲「鳥小屋」》。

ボッケリーニの弦楽五重奏曲はチェロを2本使うのが特徴で、しかもどの曲もチェロが高音域を使用するため大変技術的に難しいと聞いている。
腕の良いチェリストを一人頼むだけで大変なのに、二人お願いするなんて、夢のまた夢。自分の企画では無論、他人の企画でも演奏されたのを聞いたことがない。

という訳で、生まれて初めてボッケリーニの弦楽五重奏曲を生で聴いたことになる。

演奏したのは福岡の演奏者グループ「コンセール・エクラタン」と客演の皆さん。

「鳥小屋」というだけあって、鳥の鳴き真似が随所にある。ハイドンやベートーベンの「描写している箇所がある」というレベルではなく、始終続くのである。
しかも、ビオラが最低音を演奏して、チェロ2台が高音域で鳴き真似、みたいな箇所もあり、ずっと飽きずに聴いてしまった。
名手が演奏すると、実に面白い曲だった。

アンコールは、期待通り「ボッケリーニのメヌエット」。
これも、このオリジナルである五重奏版の楽譜を手に入れたいと何度か試みたが、何故か手にできず、初めて生演奏を聴いたことになる。

毎年、ヴァイオリンを教える教材に使っているから、否応なしに弾いたり聞いたりするのだが、その度に「属七から全く動かないフレーズがあったりして変な曲だな」と思っていた。
が、「発展しない」というキーワードのおかげで、とても楽しめる結果になってしまったのは素直に演奏者に感謝したい。

「分衆」の誕生

2018-12-07 12:13:14 | 日記・エッセイ・コラム

ふと図書館で目に入ってしまった本がある。

〈「分衆」の誕生〉

「今や大衆は存在しない。」という考えから生まれた造語。

何かそんなのがあったな、と思い手に取ってみた。

博報堂の研究所が出した1985年の本だった。思ったより古い。私の認識では堺屋太一の〈知価革命〉(89年頃)以降かと思っていた。コンピュータ社会によって大衆が消えたかと思っていたが、実際はそれより前に「分衆化」が進んでいた訳だ。

それから30年、これを書いているワープロに「分衆」という言葉はなく、大衆なら簡単に打てる、というのが現在の状況。

コンピュータ社会(=インターネット社会)以前は、このように広告代理店がその時その時の状況を調査して、分析して本にし、心ある人々はそれを読んで現状把握をしていた訳だ。

私のように、時代の移り変わりに興味のある人間にはありがたいことだ。

それは良いのだが、ショッキングな内容も含まれていた。

「ニューリッチ、ニュープアの誕生」とある。

当時のほとんどの家庭が「家計が苦しい」と訴えているのである。

現在、とある分析では「日本の貧富の差が一番少なかったのは1985年」という説もあるのである。当時、億単位の年収を得ていた人はほとんどいない代わりに、現在ほどの貧困層もない、という説である。

この数年後に日本にはバブル景気が訪れるのだが、あれも一部が大騒ぎしていたような印象がある。もちろん、お金の回り方は良かったから、今よりはマシなのだが。

そうすると、日本が幸せだった時代は、非常に短かった、あるいはほとんどなかった?という分析に唖然としてしまった。

このままで良い訳がない。
突破口は、諸外国との交流ではないかと考える今日この頃である。