井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

AMUプラザ熊本

2021-05-23 19:23:21 | 旅行記
4月にできたのだが、やっと中に入る機会を得たアミュプラザ熊本。

JR九州はアミュプラザを作る度に街を作り変えてきた。

小倉ができた時もそれなりにすごかったのだけど、長崎、鹿児島、博多と作る度にパワーアップして、天文館や天神の人口減少に貢献してきた。

ただ、熊本はそれまでのアミュプラザとは大きく違い、立地が市街地の中心部ではない。
今でも駅の裏側は一般の住宅地になっている。佐賀駅でもホテルやオフィスビルが建っているのに、である。

今まで森都心(しんとしん)ビルとかホテル、マンションなど建てても、なかなか発展しなかった熊本駅周辺が、アミュプラザの出現で果たして変わるのか、は個人的に大いに注目していたのである。

そして、結果は……

「変わった❗️」

博多の展望レストランと同様の物もあるのだが、それに加え、フードコートに付随する何とかというスペースは全面ガラス張りで、絶景を映し出していた。

これまで誰も見たことがない風景が展開していた。

見たことがないと言えば、ついでにもう一つ、トイレの手洗い場。


こちらはダイソン製品なので、私が知らないだけかもしれないが、一応紹介すると、中央に手をかざすと水が出てくる。ここまでは普通だ。

左右に伸びる棒の下に手をもっていくと強風が吹いてくる、いわゆるジェットタオルになっていた。

他にも、数々の新機軸があり、さすがというほかはない。

中心部の繁華街、通町筋の人通りが少ないなあと思っていたが、これはコロナ禍のせいではなかったようである。
アミュプラザ熊本はかなり賑わっていた。

JR九州もご多分にもれず、コロナ禍でかなりの赤字と聞く。
その中、築20年くらいのJR九州ホテルを取り壊して建てたアミュプラザ熊本だ。社運がかかっているだろう。

他都市同様、熊本市周辺の民の動向を変えてしまうか今から注目である。

窓の景色は映画のようで、映画のお金は取らないで

2020-11-09 21:00:25 | 旅行記
これは大中恩作曲《バスの歌》の一節。私はバスに乗ってもそれほど楽しくないが、都会の電車は楽しくてたまらない。

今回久しぶりに京成線に乗った。

成田空港は都心から遠いから、可能な限り使わないようにしているが、時間と値段の関係で、久しぶりに使ってみた。

成田空港なんて10年に1~2回しか使わないから、いつ行っても久しぶり。いつの間にか第3ターミナルまでできていて、そこから駅にたどり着くのが、まず大変だった。

しかし、成田空港に用がなければ乗れない「スカイライナー」に乗らない手はない。

小学生の時、京成上野から出発するのを垂涎の眼差しで見つめていたのだが、爾来、過去1回乗れたかな、という程度。

それに、昔より随分早く行けるようになっている。
「こんなに速くなるものか」と、なんとなく思っていたら、駅の掲示板で、新しい路線を作ってつなげた結果だと知って「なるほど」と溜飲を下げたのである。

4社分の路線がつながってのことだという。どのように路線をつなげたのか、窓越しの線路を凝視してみたが、見てわかる感じではなかった。

しかし、新幹線のように揺れず静かだ。ゲージの広さとロングレールのおかげなのだろうが、今時レールの継ぎ目のカタンカタンという音は、ど田舎にしかないのだろうか。
京成線は、あまり乗ったことがなくて詳しくない。だからこそ、一回一回の乗車経験が貴重である。

それでも都区内に入ると、行ったことのある場所を次々通過するから、その確認で大変忙しくなる。
東京にたまに行くと、電車に乗るだけで何故こんなに疲れるのだろうかと思っていたが、つまりは巨大なテーマパークのアトラクションに乗っているからだ、と遅まきながら今頃気づいた。

例えば日暮里で降りて、山手線を待つホームで、オッと思ったことがある。


奥に「京成線」と書いてある跨線橋の塗装が剥げている。板にペンキを塗るのは昭和の流儀だ。

中央の白い柱は(写真ではわかりにくいが)何と左端が切り取られている。
右端はホームの屋根を支えている。どうか長生きしますように、と柱に祈った。

この柱は私が生まれる前に作られている。
まだ鉄が貴重品だった時代に、レールを再利用して作られた柱だからだ。
国鉄時代か、省電時代かまでは知らないのだが(その後知人より、昭和10~20年代だろうとの指摘があった)、九州にもまだ少し残っている。

これは鹿児島本線鳥栖駅。

プラットホームも電車の床が高くなったのに合わせて、かさ上げした形跡が見える。
こういった風景に私は無意識に挨拶している。
そして、貨物専用線に客を乗せた電車が走ろうものなら、心臓が止まりかけるほどびっくりする。そして自分が一瞬にして老けこんでしまってクラクラする。

でも、東京のように目まぐるしく変化する街に、残り続けている「遺構」のようなもの、私は限りない興味を持ってしまうなぁ。

桜町バスターミナル②

2020-01-05 07:57:00 | 旅行記
問題は多々感じていたが、これは交通センターが悪いというよりは、運用の問題もある。

そうは言っても、できたばかりの(半世紀前の)交通センターは、夢にあふれた場所だった。
そこに熊本の全てのバスが集結し、その後、高速バスの時代になると、九州各県のバスが出入りするのである。

一時はデパートもあった。最初にあったのは「岩田屋伊勢丹」という福岡と新宿が同居したデパート。何だかすごいと感じたものだった。

交通センターの上には、ちょっと高級なレストランがあり、人生で初めて「コース料理」を食べさせてもらい、満腹で動けなかった思い出もある。
そこの窓から見下ろすと、スクランブル交差点。一説によると日本初だそうで、少なくとも渋谷よりは、早くできていた。

当時の小学生が、みんな自慢した「交通センター」だったのだ。(熊本は子供の頃からお国自慢をする土地柄だった。)交通センターの欠陥に気付く訳がない。

そのワクワク感、桜町バスターミナルにはちょっと感じなかったのが残念。

交通センターは、バス停が(屋根はあったが)外に配置され、いろいろなバスが出入りする様子をあちこちで見ることができた。
桜町は全て屋内で、それが出来ない。鉄道で言うプラットフォームも2面あるだけで単純。出入りはスムーズだが、見る楽しみには欠ける。

ビルの外観はなかなか素敵なのである。福岡のアクロス同様、階段状のテラスに植栽がある。

しかし、中に入っての感動は皆無。その種の感動は交通センターもなかったけど、ほど近くにある市民会館や、ほど近くではないが同市内にある県立劇場は、入る度に私の心が動かされる。

10年くらい前だったか、東京ミッドタウンに行った時は感動したものだ。その後、羽田空港やら大阪駅やら、壮大な建物が増えたので、これが21世紀標準、と思い直すことにしたのだが、それからすると、何も見るべきところが無いのが残念。

唯一の期待が「熊本城ホール」。
まだ中に入る機会がないけれど、恐らく良いホールなのではないかと勝手に思っている。

そのホールにバスターミナルが直結しているのは、かなりのメリットだ。

交通のセンターだけではなく文化のセンターとしても期待したい存在である。

写真はホール入り口のディスプレイによるホール内部の写真。




桜町バスターミナル①

2020-01-04 10:52:55 | 旅行記
昨年開業したバスターミナルに初めて行ってみた。

ここは熊本のバス会社5社を中心に、ほぼ全てのバスが集結する熊本の一大センターである。

ここは半世紀にわたり、熊本県民には「交通センター」として親しまれた場所で、そこを建て直したものだ。

やれやれ、とひとまずホッとする。

一つは、何年もかかった工事が終わったから。

そしてもう一つ、ようやく「人並み」になったから(こちらが重要!)。

半世紀も「交通センター」の支配が続いた熊本県民には、全くわからないかもしれない。

が、熊本市民以外に対して、何と不親切だったことか。

熊本のバスは、全て「交通センター」に向かう。これは結構珍しいことだ。

九州産業交通の本社がそこにあって、産交バスのターミナルがそこにできるのは当然として、残りの電鉄系2社と市営バス等が、全てそこを起点にしている。こういう例は、少なくとも九州の他県には無い。どこでも自社ビルにターミナルを作るのが一般的だから。

という訳で、利便性に大変優れている、一旦慣れてしまえば。

しかし、熊本駅を降りて、バスを見ると、全てのバスが「交通センター」へ吸い込まれるように走っている。
熊本駅前には「産業道路」というものがあり、市東部に行くには、それを使った方がはるかに早いのだが、そこを走るバスは第一環状線というのが一時間に2本ほど走るのみ。
その第一環状線もご丁寧に「交通センター」を経由する。

全てのバスが「交通センター」を通る利便性は、このような「犠牲」の上に成り立っている。こんな街も珍しい。

これが「桜町バスターミナル」で解消された訳ではない。
が、地名が入ったことが大変な改善である。これも熊本市民にはわからないかもしれない。

なかなか例えが難しいが、例えば東京に初めて行って、全てのバスや地下鉄が「TCAT」行きと書いてあったらどうだろう。かなり不安になるのではないだろうか。新宿とか渋谷と書いてある安心感とは比べものにならないだろう。

つまり「桜町」という地名が入って、ようやく他県並みになった。行き先表示だけで訪問者を不安に陥れる心配は解消された。

この不安感を半世紀与え続けていたことに終止符が打たれたのはめでたいことである。

がお手伝いします

2019-07-18 20:12:00 | 旅行記
北京首都空港という所を初めて利用した。

トランジットのみの利用なのに、目的の場所にたどり着くまで2時間もかかった。

最近、日本の空港も様々な所で最新設備が導入され、指紋を撮ったりスタンプが廃止されたりと、自分が何をしているのかわからないことしばしば。
ましてや、外国においては当然……。

かもしれないが、この表示の分かりにくさには辟易した。
さらに、空港のスタッフに尋ねると、言うことが微妙に違う。
後でわかるのだが、どこかのステップが省略された説明だったり、逆に第1段階のみの説明だったりするから、こちらは混乱するしかない。

それを解決してくれそうな兄ちゃん姉ちゃんが、青いTシャツを着てあちこちに立っている。

背中に「我幇ニン」(だったかな?)
「I help you」
とか何とか10カ国語くらいで書いてある。
その中の日本語が

「がお手伝いします」(がお助けします、だったかもしれない)

主語がない、変な日本語が書いてあった。
そして、助けてくれるかと思いきや、例によって、よくわからない説明なのである。

パッと横を見ると「一帯一路」と書いたゲートがあり、がら空きであった。

なるほどね。あの政策に従うと、こういうところで差がつくってことか。

で、こちらは自分自身が何をしているのかわからない状態で、ようやくゲートをくぐり抜け、どっと疲れてトランジット完了。

北京をあとにして、ちょっと考えた。

あの変な日本語は、最下段に書いてあった。韓国語よりもアラビア語よりも下である。
アルファベット順などという気のきいたものではない。上からシナ語、英語、フランス語だったから。

つまりシナ政府が重視している順、なのだろう。一帯一路政策の軍門に下ったイタリア語が真ん中辺りにあったから。

それを考えたら結構気分が悪くなった。日本中に普及したシナ語表記を、全部消してトルコ語にでもしたら面白かろう。