井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

雨ニモマケズ、批判ニモマケズ

2013-02-23 11:41:04 | 音楽

国際的にはどうだかわからないけれど、日本には少なくとも「群れる」「つるむ」学年がある。私の前後では昭和30年生、34年生、37年生、39年生、41年生等。

俗にそれらの学年は仲が良いと言う。確かにチームワークがとても良かったり、いつまでも同窓会を開いたり、という特徴がある。

音楽でそれを発揮するとなると、大変アンサンブル能力が高い、となる。これは本当に貴重で、個人的には重宝していた。

ちなみに私の所属する昭和36年生は、みんなと何かやるよりは、一人で何かやろうとする人が多い。その証拠に、音楽で言えば指揮者がとても多いのである。有名人だけで山下(以下敬称略)、佐渡といて、有名でなければもっといる。

ヴァイオリニストの当たり年というのもある。私の前後では昭和30年生(大谷、天満、水野)、32年生(加藤、高田、堀米)、34年生(景山、川口、辻井、古澤)、38年生(漆原啓子、篠崎、松原)、41年生(漆原朝子、小林、竹澤、渡辺)等。

ちなみに作曲家の当たり学年というのもある。昭和29年生を中心とした学年で西村朗を筆頭に青島広志、鈴木雅明、高嶋みどり、高橋裕、藤井一興、松下功・・・こんなに集まってどうするんだ、という感じ。もちろん集まらない。ここは「群れない」学年だから。

上の二つが重なる学年、アンサンブル能力が高い当たり年、この学年はものすごいことになる。自分より上の学年なら憧れの対象、下の学年は脅威である。

どちらにもはいらない我が36年組は、下の学年のリスペクトを受けることもなく、もちろん下の学年の仲間として受け入れられようもなく、いじけていた・・・かも。

強いて言えば、つるむ学年にはさまれた38年組とは結構つきあえたような気がする。

多分、そのような波が今にいたるまで続いているはずである。そして10年以上、年が離れると、そのようなことはどうでもよくなるので、同時に関心もなくなるのだが、今度は教える立場で「ここは当たり年だなぁ」と思うことはある。

多分、その当たり年、平成2年生中心の学年で結成された「TGS in 福岡」公演を聴いた。

実は、聞く前から不満がいろいろあった。まず団体名。発足は学生時代とのことだから、そこで「東京芸大ストリングス」を名乗るのは良い。しかし、卒業してからも名乗るとすると、東京芸大の代表として世に出るということだと受け取られるはずだ。ジュリアード○○とか、パリ音楽院○○というアンサンブルが来日した時のことを考えれば想像がつくだろう。このネーミングは相当生意気な印象を与えるぞ。

次にチラシのミスも。バッハ作曲なのに作品番号がリオム番号(ヴィヴァルディの作品番号)になっていて、何を演奏するんだかわからなかった。2台ヴァイオリンの協奏曲はバッハにもヴィヴァルディにもある。ただ、チラシのミスは私もよくやるので、これはあまりとがめられない。

そのような次第で、聴きたいという気持ちはあまり起きなかった。それが前日になって、演奏者の一人から招待を受け、結局聴きにいくことに。行ったら驚いた。澤先生まで聴きにいらしていた。

曲は、芥川の「トリプティク」、「バッハ」の2台ヴァイオリン、チャイコフスキーのセレナード。

どれも破たんがなく美しいサウンドで「さすが!」と思う人も多いだろうな、という演奏だった。しかも指揮者なしで、ここまで仕上げるのはなかなか大変なことで、誰にでもできる訳ではない。その苦労は容易に想像がつく。

が、芥川の中頃から私の不満がつのりはじめた。ネーミングの生意気さと裏腹に、演奏はあまりにも無難なのである。お互いに気を使って、主張が違ってもそれをあまり責め立てないようにしてまとめあげる感じだろうか。いかにも平成生まれ、と言えばそれまでかもしれないが。

芥川の2楽章は、もっと日本人の感性をゆさぶるせつせつとした「歌」にしてほしい。日本人が演奏したら自動的にそうなると思っていたのだが、彼らにとっては、きゃりーぱみゅぱみゅの方が近しいということなのだろうか。この淡白さは昭和生まれには理解できない。

それでも、これは小手調べとして大目にみることができる。

最も奇妙だったのは、バッハの協奏曲。チェロ一人だけがバロックスタイルで、他はモダンスタイルという演奏を始めて見た。これも20世紀の人間には理解できない。島根だけが、エンドピンを引っ込め、チェロを股にはさんでブーンブーンとメッサ・ディ・ヴォーチェを聴かせる。それがまた魅力的なものだから、耳がそちらに行ってしまい、ソリストが霞む。ソロの對馬(私は5年ほど前に聴いたことがある、結構個性派)も決して悪くないのだが、こんなの有りか?という疑問は否めない。

ひょっとしたら、非常に紳士淑女的につるむ人達なのかもしれない。お互いの個性を尊重して極力ぶつかりあいは避け、中途半端にバロックスタイルに手を出さず、バロックを勉強した人のことは尊重し、欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている、そういうものに私はなりたい、だろうか。

とんでもない。そういうものを私は聴きたくない。

生意気なネーミングなら演奏も生意気であってほしかった。

時分の花という言葉がある。若さが売り物になる稀少な年代なのだ。それを売り物にしないでどうする。

また、例えば力強い金管楽器、歯切れのよい打楽器、これはいわば当たり前である。しかし柔和な金管楽器、繊細な打楽器はどうだろう。うまくいったら、すこぶる感動的なはずだ。

その逆で柔和で繊細な美を紡ぎだす弦楽器、これも言わば一般のイメージ通りで当たり前なのだ。弦楽器が力強さを発揮した時、至福の瞬間である。

その点において、チャイコフスキーは物足りなさがある。おじさん達はこれよりもっとすごい演奏をいっぱいやってきたはずだぞ。

チャイコフスキーにいたっては、この安直なプログラミングにも辟易してきた。チャイコフスキーも芥川も演奏技術的にはそれほど難しくない。大変演奏効果の高い楽曲である。もちろんシェーンベルクとバルトークを持ってこられたら聴く側も辛いが、同じセレナーデならドヴォルジャクの方がはるかに難しい。チャイコフスキーと芥川はどっちか一つにすべきだよ。せめてグリーグのホルベルク・・・。

と思っていたらアンコールはホルベルクだった。これはやはりその辺の団体とは違うのが明白だったのだ。こういうのが聞きたかったよ。

アンコール2曲目はアヴェ・ヴェルム・コルプス。これまた私には疑問。こういう曲は年寄りにかなう訳ないじゃないの。

と、不満をぶちまけてしまったが、優秀な奏者が散見され、可能性は多分に持っていることが充分に伺われるからなのである。各パートのトップ奏者の技術はかなり高い。弦楽器というのは集団で弾いてもそのあたりがわかってしまう、という再発見もしたが。

特にビオラの森山、ヴァイオリンの土屋は見ていて楽しい。やはり弾く姿、フォームの美しさは魅力の一つだと改めて思った。

これだけ上手い人がいるのだから、確実にもっとできるはずだ。目指すはオルフェウス室内管弦楽団。オルフェウスも世に出るためにはものすごい時間を必要としたと聞く。それと同じだけは必要となるに違いない。

そこまでは続けられないかもしれない。それはそれで仕方ない。続けられなかったグループは私も含めて過去山のようにある。

でも、もし続けられて、上述の諸問題が解決していたら・・・

井財野は作品を持って伺うだろう。その日が早く来ることを期待したい。




被差別(楽器)よ、さらば

2013-02-05 21:33:24 | オーケストラ

「管楽器に被差別楽器っていうのがあるの、知ってますか?」

と、その昔、穏やかでない表現を聞いたことがある。それは何かというと、

サクソフォーンとユーフォニウム

どちらも、音が出しやすい楽器である。

「サックスなんて、車の窓からちょっと(歌口を)出しておくだけで楽器が鳴ると言われているんですよ。本当にやったやつがいて、そしたら本当に鳴ったって…。」

音が出しやすいのは、本来良いことのはずだ。しかし、これは悪口と言って良いだろう。なぜか。

それはサクソフォーンの横にはクラリネットが、ユーフォニウムの横にはトロンボーンがそれぞれ控えており、それぞれ似て非なるもの。しかも音の出しやすさ、出しにくさ、相当違いがある。

ちなみに私の経験で言えば、サックスは一発で音が出たが、クラリネットは全く出せない。

苦労してやっと音を出せるようになるクラリネットと、やすやすと音が出てしまうサクソフォーン、これが同列に扱われるなんて・・・とクラリネット吹きは内心思っているのだろう。

そこまではないかもしれないが、ユーフォニウムが「わがもの顔」(今風に言えば「どや顔」)で、細かいパッセージを吹きまくっていると、「ふざけるな(熊本弁で言えば「ぬっしゃしまいにゃ血ぃ見っど」)」とトロンボーン吹きが思っている可能性はある。

その意識が「差別」を生む土壌になっているのだろう。この両楽器、オーケストラにはいつまでたっても定席は得られず、多分それはこれからもそのまま続くだろう。その表向きの理由は「音色の違和感」と説明されていたりするが、裏向きの理由に上述のような差別意識がある、かもしれない。

サクソフォーンを開発したアドルフ・サックスは、とにかく吹き易い楽器を目指して作りあげたに違いない。それがその吹き易さのおかげで差別されるとは、皮肉なものである。

にも関わらず、サックスとユーフォニウムを演奏する少年少女は後をたたない。オーケストラと違って、吹奏楽では中核の楽器になるから、吹奏楽をさかんにすれば、必然的にサックス人口、ユーフォニウム人口は増える訳だ。

当然それをずっと続けたい少年少女も増え、それが我が大学を目指してくる人も多い。これが私の悩みの種だった。なぜならば、サックスもユーフォニウムもオーケストラには基本的に「無い」楽器、我が大学にはオーケストラの授業があり、オーケストラで使う楽器を練習して臨むことになっているので、サックスとユーフォニウムでは授業を受けることができないのである。

それでもユーフォニウムはホルンやファゴットのパートを吹いてもらって、その場をしのぐことが何とかできる。しかしサクソフォーンは音域も狭く、他のパートをなかなか吹けない。早い話が、ほとんど「使えない」し、サクソフォーンの先生を雇うお金もない。なので我が大学でサクソフォーンをやりたい人は「ヴァイオリン」をやってもらうことになっている。それはサックスの神様マルセル・ミュールやダニエル・デファイエはヴァイオリンをやっていたという、立派な故事来歴によるもので、井財野の詭弁ではない。

とは言うものの、なるべくだったら他の大学に行ってもらった方が、お互い幸せに生きていけるよ、と思っていた。

それが先日、180度転換した。きっかけは「卒業演奏」。

我が大学の教員養成課程(音楽)は「卒業研究」として「卒業論文」と「卒業演奏」を課している。その「卒業演奏」で一番盛り上がったのは、その被差別楽器たるサクソフォーンとユーフォニウムだったのだ。

以前本ブログでも少し触れたが、グラズノフのサクソフォーン協奏曲、グラズノフどころかロシア民謡さえ知らないところからの出発だった。こりゃダメだな、と最初は思ったのだが、その後私の言いつけを守って山のようにロシア民謡を聞いたとのこと。そして、一週間前には何とそれらしさが生まれているではないか。それからはこちらも大いにサポートをし続け、結果的には他の管楽器、弦楽器を圧して、輝かしい演奏を披露していた。

音楽を通して人々に訴えること、共感してもらうこと、感動することは何より大事。楽器は手段に過ぎない。その一番大事なことを一番力強くやってのけたのがサクソフォーンとユーフォニウムだった、この事実が私を動かしたことになる。

音楽大学だったらこんなことは考えなくて良いだろう。だが教育大学として考えると、この事実の重みを活かすことが、全体の発展につながる予感がした。

今、手始めにホルンのポジションにサックスを入れて合奏を試みているのだが、これが結構いけるのである。教育大学らしく、サクソフォーンとユーフォニウムを導入した室内オーケストラ、新鮮なサウンドが期待できるかも、というところだ。

さあ、来たれサクソフォーンとユーフォニウム、とおおっぴらに言うにはまだ段階を経る必要があろう。しかし、この二つの楽器のあり方がちょっと楽しみになってきた今日この頃である。