井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

チャイコンのイントロはハートマーク!?

2017-08-30 17:56:00 | ヴァイオリン
クラシック音楽の入門書のようなガイドブックがコンビニで売られていた。
まあ、大抵知っていることだろうけど、どのような切り口で語られるのかなあ、程度の興味で立ち読みしたら、…びっくり。己の浅学非才を知ることになる。

ショスタコーヴィチの交響曲第5番には、ある歌曲の伴奏だけが引用され、そのことにより、プーシキンの詩が浮かび上がってくる……。

まいったね、まだ謎解きが残っていたか、このショスタコーヴィチの5番。

そして、何よりの「びっくり」は、チャイコフスキー作曲ヴァイオリン協奏曲第1楽章の謎解き。

この曲はヴァイオリニスト、コテークの協力により完成されたことは知られている。その際、当時大流行のラロのスペイン交響曲が参考にされたことも。

しかし、それが直接引用されていたのは気づかなかった。
ラロの第5楽章の中間部の主題とチャイコフスキーの第1楽章第2主題は、共にA-Gis-H-A(ラソ#シラ)でできている。

おまけに冒頭部分のFis-E-D-A-D-E-Fis(ファ#ミレラレミファ#)は音符を線で結ぶと「ハートマーク」、これはコテークに対するチャイコフスキーの愛を表している、というのだ。

以前から、この序奏が本編とどう関わっているのか、ずっとわからずにいたので、この説はストンと腑に落ちてしまった。

チャイコフスキーは意外なほどに、と言っては失礼だが、バロック音楽でよく使われた「フィグーラ(音型象徴)」を勉強した形跡がある。バッハが楽譜に十字架を書き込んだが如く、チャイコフスキーも楽譜にハートマークを書き込んだ、という説だ。

こんなことを初心者向けのガイドブックに書く人も書く人だが、その著者は「なぜこれに今まで気づかなかったのだろう」とのたまわっていた。

誰が気づくかいな!
それともこれは遠まわしな自慢ですか!
(ちなみにその著者は私と同い年で、30年以上会ったことはないが、学生時代の知人である。)

個人的な感情はともかく、一旦その説が頭に入ってしまうと、もう「ハートマーク」にしか聞こえない序奏となってしまうのであった。

なくなりゆく本屋

2017-08-26 09:36:34 | 日記
電車の車窓からふと見えた風景だが、ある駅前の建物が取り壊されていた。
あれは本屋だったはずだ。
最寄り駅ではないので数度立ち寄ったに過ぎないが、数カ月前に何年ぶりかに入ったことがあった。あれが結果的にお別れだった訳だ。

インターネットの普及で書籍のあり方は大きく変わった。正直言って百科事典はウィキペディアにかなわないと思う。ウィキペディアの信憑性は(感覚的に)8~9割程度だが、世の中それで大抵間に合うのだから。

しかし「本」はそれだけで一つの世界、それを眺めるだけで心躍る要素がある、と思う人は少数派だろうか。

その「小世界」あるいはミクロコスモス(小宇宙)の集合である本屋は、どんなに小さくても魅力的な空間である。気に入る本がなかったとしてもだ。

商店街があったら必ず一軒以上の本屋があってほしいし、実際どこの町に行っても、大抵本屋があったら立ち寄っている。

商店街だけでなく、大学の前の本屋も消えつつある。

時代の流れということは重々承知しているつもりだが、なんとも寂しいのは如何ともし難い。

書籍の良さを多くの人が再認識してくれることを祈るばかりである。

平均率から純正率に変化するピアノ

2017-08-17 20:57:00 | 音楽
自分が習ったことを、次の世代に必ずしも伝えていないことがあることに、時々気づく。
その必要がなかったからなのだが。

私が中学生だか高校生だったある日のヴァイオリンのレッスンで、先生がアップライトピアノで長三和音(H-Dis-Fis)を弾き、しばらくして根音と第5音の鍵盤を離し第3音(Dis)だけ残す。その後すぐ第3音だけ弾くと、明らかにそれは高く聞こえる。

また長三和音を鳴らしてずっと鍵盤を押さえておくと、だんだん第5音が上がって聞こえる。

これがどのような状況で行われたかは全く忘れたが、全く同じ話を大学に入ってからまた聞いたのである。だから余計によく覚えている。

それは民族音楽学者の小泉文夫先生の「音楽通史」。
そこで出自がわかった。小泉先生曰く、斎藤秀雄先生の教室を見学していたら、この実験があったとのことだった。

その後この話は平凡社の「音楽大事典」や「斎藤秀雄講義録」にも部分的に現れた。要するに、ピアノは打鍵の後、限りなく純正率に寄っていく楽器だ、ということを証明する実験として。

これが何故なのかはわからない、というのが斎藤秀雄先生の談話である。

何らかの解答はあるはずだ、とずっと思っていたら、事もなげにある高名な調律師がおっしゃった「それは響板が響いているからです」

あのリヒテルから信頼され「ピアノをストラディヴァリに変える男」の異名をとる村上さんに直接伺った話だ。

今から15年くらい前だったと思う。
深く感銘を受けたのだが、あまり他人に話したことがない。
それは響板の振動が弦の振動に影響を与えるメカニズムがよくわからなかったからということもある。

しかし、私の先生方はまだご存知ないことまで付加されて、それでも立派に価値ある話なのだが。

とりあえずブログで公開したので、私は使命を果たしたことにしておこう。

FM「今日は一日ミュージカル三昧」

2017-08-12 14:33:36 | 音楽
一日中放送しているNHKFMの番組で、ごく一部を聞いただけだが、最近のミュージカルの傾向を知ることができたような気がする。

案の定(?)、良い曲だと思わせるものはほぼなかったが、一方でミュージカル俳優達の歌唱力、表現する力量の高さは目を見張るものだった。

私が子供の頃は、子供心に「下手だなあ」「くさいなあ」と思った人がテレビに出ていた。生意気な子供でもあるが、何十年かの間に日本のミュージカル俳優の実力が上がったのはご同慶のいたりである。

これだけ上手い歌手なら、曲がつまらなくても、あまり関係ないな、とも思った。

しかし、最後の方で大竹しのぶさんが出演されていて、またやってみたいミュージカルとして「にんじん」をあげていた。1回しか観ていない人にも強い印象を残す名作だということだ。
さもありなん、私もテレビで1曲だけ聞いたことがあるが、よく覚えている。

それもそのはず、作詞は今年亡くなられた山川啓介、作曲は山本直純、日本を代表する作家の作品なのである。率直に言って、昨今のミュージカルは全部吹っ飛ぶほどの作品だ。

上演された1979年、日本は輝いていた。
演じる側はその後、着実に水準を上げていったが、作品の質はそうとは言えない、という現実を突きつけられた気がした。今の作家は山川啓介さんや山本直純さんの力に及ばないと言われても否めない。

がんばろう、作家の皆さん!

ピアノを買わない家が増えている

2017-08-09 17:40:58 | 音楽
昭和40年代あたりだろうか、家庭にピアノがあることが、豊かさの象徴のように思われていた時期がある。

ピアノが月賦で買える仕組みと、横並びが安心する日本人気質に乗っかった形で、ピアノメーカーはその頃、ひたすらに作っては売ってを繰り返していたのであった。

それも昭和の終わり頃、一巡する。そこからがピアノメーカー受難の時代だ。

ご想像の通り、大半の家庭はピアノが家具の一つになっており、買い替えなぞする訳が無い。

ピアノメーカーは製造工場を海外に移したり、多角経営に乗り出したり、と大変な努力を強いられ始めたのは平成の初めごろ。

そう、これは昔話。

今回聞いたのは、そういう話ではない。

ピアノを習っているお子さんの家庭にピアノが無いという話である。

家庭の経済事情が厳しい、住宅事情が許さない、などの理由かと思いきや、それが医師の家庭だったりして、経済や住宅事情には全く困難が無いところであっても、ピアノは買わない、という家が増えているのだそうだ。
いわゆる「電子ピアノ」で練習しているらしい。

先生のレッスン室には当然グランドピアノが置いてあって、それで演奏すると「全然違いますねえ」と親御さんはおっしゃる。しかし「買いたい」という発想にはならないのだそうだ。

地方都市はそれでもまだピアノが家庭にある方、東京などは(非常に感覚的で論拠はないのだが)8割方、家庭にピアノはないとか。

ピアノメーカーも簡単に売れる電子ピアノを売ってしまうようだ。

一言で言って由々しき事態。
ピアノメーカーさん、昭和を見習って、アコースティックのピアノを真剣に売りませんか。