井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

もしベートーヴェン家のメトロノームが正確だったら

2010-12-31 10:02:35 | 音楽

欧米のノーベル賞受賞者の中には、学生とランチをとっている時、学生の話の中から研究のヒントが出てくるので、それを発展させて新たな研究を続ける方もいらっしゃるという。私も、それをやらない訳ではないが、また、音楽愛好家との話もそれ以上の実りがあることもあり、私はこのような時間を愛好している。

先日も「テンポの設定」をめぐって話がはずんだ時、私が持ち出したトピックがいくつかあった。

バッハは、テンポの指示をほとんどしていない。それは、バッハのいないところでバッハの作品が演奏されるなんて、全く考えていなかったからだ。だからテンポどころか、他の表記も限りなく少ない。従って、今となっては全て演奏者が決定することにならざるを得ない。

メトロノームが発明されて、ベートーヴェンは大喜び。さっそく全作品にメトロノーム記号を書きいれたけれど、第三交響曲「英雄」のように、全く演奏不可能な指示もある。「これは倍にカウントする」などという珍説も出たが、そうすると非音楽的なので、一般的にこのような場合、記号は無視されている。「ベートーヴェンのメトロノームは壊れていた」こう考えるのは妥当だ。往時の日本の家電製品のように、発明されてしばらくは、よく壊れるのが機械の常識。

時代は下って、ペルルミュテールというフランスのピアニストがNHK教育テレビで語った、師匠ラヴェルの話。

(ラヴェルのソナチネ第2楽章を弾いて)これはメヌエットなのです。メヌエットはこのテンポでなければなりません。速ければワルツに、遅ければサラバンドになってしまいます。

ある時、トスカニーニがボレロを演奏したのです。やや速めのテンポでした(ペルルミュテールは歌った)。会場のお客さんは湧きました。そしてトスカニーニは会場に同席していたラヴェルを紹介しようと手を会場に向けました。しかし、ラヴェルは決して席を立とうとはしなかったのです。なぜならボレロのテンポではなかったから。

確かに、自作自演の録音を聞くと、かなりゆっくりのボレロである。

他にも、例えばドイツの音楽家は「イン・テンポ」を唱えながら、かなりテンポを揺らしたり、「音楽は生きているのです。テンポは毎日変わって当然です。」と言ってオーケストラを動揺させたり、段落の変わり目でテンポが緩むのは常識だったりと、あちらこちらで「幅のあるテンポ設定」が成されている。

一方、フランス人は、書いていないところでテンポを緩めるなんてかっこ悪いと思っている。「彼らはアウトバーンでも、隣町の境を越える度にアクセルを緩めたりするのかね?」と意地悪くドイツ人を見る傾向がある。フランス人は「突っ走る快感」を大事にする人々だ。

などなど、枚挙にいとまがないほど、テンポ感覚の違いについては多くの事例がある。が、全て前述のバッハとラヴェルの例に典型が表れていると言ってよいだろう。

だから、日本人の作曲家でも、フランスの影響が強い方は、テンポ表示が厳密(ラヴェル的)だし、ドイツ系列の教育を受けた方は、割と幅があったり、演奏者任せ(バッハ的)だったりと、この二つの伝統はいつまでも続いているから面白い。

ここで、はたと気づいた。

ベートーヴェン家のメトロノームが正確無比だったら、どうだったか?全て演奏可能な、テンポ表示が全作品についていたとしたら・・・。

続くシューベルト、シューマン、ブラームス、ヴァーグナー、リスト、とベートーヴェンの呪縛から逃れられない作曲家たちは、全作品に詳細なテンポ表記をしたのではないか、ということを想像したのである。こうなると影響は甚大、元々厳格が好きなドイツ人のこと、詳細なテンポ表示が楽譜上にあふれ、それを順守することに命を燃やし続ける・・・か?

そんなことがあり得るか?そうしたらフランス人と同じになるのか?

いやいや、そうなったらフランス人は例によって「バカじゃないの?」と言うに決まっている。「人間なんだからさぁ、テンポなんてその日で違って当然よ」となるだろう。ラヴェルだって、モーツァルトは受け入れているが、ベートーヴェンはあまり好きではなかったらしい。「メヌエットはねぇ、国によって、時代によって少しずつ違うんだから、人によって違うのは当たり前だよ」なんて言ったりして。

厳格なドイツ人と気まぐれなフランス人の方が、本来の姿のように思う(どちらかが優れているという訳ではありませんよ、念のため)。ベートーヴェン家のメトロノーム一個で、その後の音楽史の流れが変わってしまったのではないか、などという想像をしてしまった2010年であった。

今年も延べにして約6万件のアクセス、どうもありがとうございました。


タキシードは略礼服

2010-12-29 23:50:47 | うんちく・小ネタ

燕尾は仰々しいと感じたのかどうか定かではないが、アメリカではタキシードというスタイルが礼装として定着している。アカデミー賞やグラミー賞の授与式風景を思い起こしてもらえば想像がつくだろう。国語辞典には「タキシードは略礼服」と書いてあったが、アメリカでは正装である。

燕尾服とは何が違うか。一見して明らかな違いである燕尾の「尾」の部分がないほかは、ベストではなくてカマーバンドをつけ、黒の蝶ネクタイになる。あとは基本的に同じである。

それで、日本のオーケストラは夏季と昼間はタキシード・スタイルになるところも多い。が、もっと一般的なダーク・スーツ・スタイルも多い。これは世間で言う「礼服」、背広の黒い物で、一般的に日本人が冠婚葬祭に着るおなじみのものだ。この場合、ネクタイは銀または白になる。タキシードとは襟やズボンの形状が違ったりシャツも全然違う。で、オーケストラにおいて「黒タキで」と言われた場合、本来は黒のタキシードで、の意味なのに、そこは日本(?)、ダークスーツに黒蝶ネクタイでも許されている。

アメリカの影響の強いオーケストラを中心に、夏は白タキシードというところもある。これが黒のタキシードよりも厚い生地で作られていることが多く、甚だ迷惑なスタイル。昔は薄い生地で作られた白タキも売られていたのに、最近はオーケストラ以外で使うことがほとんどないらしい。

昔はホテルやレストラン等のウェイターが白タキシードを着ていた関係で、探せば売っていたのだ。オーケストラも含めて、これらの祖先を遡ると、王侯貴族の従者だったという共通のルーツがある。他業界が徐々に止めていったのに、オーケストラだけが「しもべスタイル」を頑なに守っている訳だ。

白タキは、手に入れるのが難しいが、ウィング・カラーのシャツや黒のタキシードは20年ほど前から急に手に入れやすくなった。いわゆる「バブル」の影響である。あの時は、訳もわからず、ただ黒のタキシードを着てサントリー・ホールにオペラ・ガラ・コンサートを聴きに行く「非」音楽愛好家がいたのだ。変な時代だったが、音楽の仕事が多いという意味では良い時代だった。

さて、夜は燕尾、昼はタキシード、というのも多分諸外国にはない習慣だろう。それが変だから、という訳でもないと思うのだが、「15時は夜だよ」という強引な説を唱えるオーケストラもあった。

ヨーロッパで昼間の正装は「モーニング」になる。これは学校の校長先生を始め、結構出番があったからか、既製服があった(今はないかも)。燕尾との違いは、まず「しっぽ」の形状。モーニングは半円形にカットされている。ズボンは縦じまで、遠くから見ると灰色に見える。そしてネクタイは普通の縦長のものになる。これで演奏する光景は滅多に見られない。昔、ウィーン・フィルが「モーニング息子。」になっていたのを見た記憶があるが、それ以外に思いつかない。

さあ、このくらいの知識があると、テレビで映るオーケストラも、また別の興味が湧こうというものだ。今度のニュー・イヤー・コンサート、服装にも注目していただくと、新発見があるかもしれない。

そして、この習慣を継承すべく、若い人々に「燕尾服はねぇ」と言うべきなのかどうなのか、迷うところだ。




燕尾服は夜会服

2010-12-25 10:55:04 | うんちく・小ネタ

先日のマチネー(昼公演)、若手演奏家と一緒にステージに立った時、彼らは燕尾服を着ていた。私はタキシードである。これを見た瞬間、様々な思いが頭をよぎった。

「燕尾服は夜会服」

オーケストラのエキストラ奏者の仕事を始めた頃、そのように教えられた。

一般には結婚式の貸衣装くらいでしか目にしない燕尾服、ところがオーケストラの男性奏者にとってはユニフォームである。ただし、夏場は着ない。

その「着ない」時期から仕事を始めた関係で、当初は何も知らなかった。そして、ある時「本番は燕尾服」と言われ、慌てふためいた。千香士先生に聞くと、いわゆる「既製服」の「つるし」はウィーンくらいにしかなく、「イヴニングドレスコート」と呼ばれるくらいの高級なものだから、本来は安物はない、とのこと。「N響のはペラペラの生地だったけどな。」

同級生に仕立て屋の娘がいたので、そこにも聞くと、やはり2,30万はするとのこと。数万円頂く仕事に数十万の衣装がいるものなのか?

オーケストラによっては、持っていなければ通常のスーツで良いところもあり、エキストラ用に古い燕尾が一着保管されているところもあった。

先輩はどうしていたのか?

「○○さんはね、持っていなくてお父さんから借りたら、それがモーニングでさ、モーニングで出ちゃったんだって。」

は? モーニング?

余計わからなくなり、同級生と話す。

「おい、どうする?」
「あ、買ったよ」
「どこで?」
「カイ・ンド・・・」
「海品問屋?」
「カインド・ウェア!」

20世紀後半、燕尾服など着ているのはダンサーとオーケストラ奏者くらい。当時すでにパリ管弦楽団ではカルダンあたりがデザインした服を着始めていたが、それ以外、ヨーロッパと日本のオーケストラは相変わらず燕尾服である。結局、何回も使うものだから、買うべきものだとの結論に達し、私もカインド・ウェアへ。十数万の定価のものを「問屋」だからということで75,000円で手に入れたと記憶している。

「シャツも作りますか?」

などと聞かれた。そんなものは間に合っている、とその時は思った。ところが、その頃からこまごまと燕尾服に関する情報を仕入れていくうちに、シャツも本当は通常のカッターとは違うのが正式なのだと知った。

私の知りえた「正式」は以下の通り。

・燕尾服の襟

剣襟(けんえり)、または「へちま襟」

・ズボン

サイドにラインが一本ないし二本入り、サスペンダーで吊る。スーツのズボンよりやや上まで長くなっている。

・ベスト

白のチョッキ。燕尾服はベストが正式で、カマーバンドは正式ではない。またシャツは内着で、いわゆる下着扱い、そこに直接着るから直着「チョッキ」という、とも。

・カマーバンド

俗に「腹帯」(ふくたい、はらおび)とも言う。女性の「サッシュ」を幅広にしたような形態だが、タキシードで身につけるのが正式。しかし、燕尾でベストは冬場でも暑いので、オーケストラ奏者は、このカマーをつけている人が多い。

ちなみにウィーンには「前だけベスト」というのを売っていた。背中がないので、あまり暑くない。

・シャツ

プリーツ入り、またはイカ胸。

襟は「ウィング・カラー」といって、正面に三角形の小さな翼がとび出している。あとは襟が縦に立っているだけなので、ネクタイが横から見えるのが特徴。

ボタンは隠しボタンで、ボタンの部分が二重になっている。その上に「飾りボタン」をつける。これはカフスボタンと共通のものをつける。

・ネクタイ

白の蝶ネクタイ。

・靴

エナメル・パンプス。

・靴下

絹またはナイロン製。

いやはや、面倒な洋服である。それで、正式ならば良いというものでもない。当時ウィング・カラーのシャツを着ていたのはウィーン帰りの先輩と、テレビドラマの中の小村寿太郎くらいしか見たことがなかった。そのような中で、ウィングカラーに飾りボタン、エナメルパンプスでもはいてステージに上がろうものならば、「何だ、この生意気な小僧は」と思われるのがオチ。適当に崩して着ることになる。さらに面倒。

そしてオーケストラによって、細かい習慣がまた違うこともあり、タキシードが共存するという日本独自と思われる慣習もあるのだが、長くなったので、また次の機会に・・・。


ヴァイオリン曲の難易度について

2010-12-22 07:18:27 | ヴァイオリン

このブログには「アクセス解析」というのがあって,どのような検索ワードに本ブログがひっかかったかがわかる。

ここで,あきれるほど多いのが「難易度」という言葉。過去3ヵ月で80件ほど。

気持ちはわかる。教える側も習う側も,それがわかることで先に進みやすいのは確かだ。

教える側は,やはりステップ・バイ・ステップを考えるから,この順番で良いのかどうかの指標がほしい(個人的なものは皆さんお持ちだが)。

習う側は,多分いきなり難しい曲を渡された時,「これってどのくらい難しいものなの?」ということを知りたくなるはずだ。そして,このくらい難しいということがわかると,少し安心する。

確かに,山の高さが300メートルなのか600メートルなのかでは,心構えは変わってくる。当然だ。

しかし一方、それは大人の感覚というもので、子供にしてみれば、登ってみなければわからないことが多いのではないだろうか。登ってみると、立田山(標高152m)より金峰山(きんぽうざん標高655m)の方がきついと実感する。だからと言って標高が高い九重山中岳(標高1791m)はもっと大変かというと、それは通り道によって違う、などということも登るとわかる。(自分の昔を振り返って考えていたら、当時山登りの好きなヴァイオリンの先生に習っていて、その影響で実にローカルな比喩になってしまいました。)

だから難易度を気にするのは、教えている先生側か、習っている生徒の親御さん、ということなのだろう。さもありなん。私も実は知りたい。

ピアノの場合、エチュードの歴史というものと相まって、様々な難易度表が発表されて百年を超える歴史がある。こうやって考えると、ピアノは実に単純な楽器だ。上から下に指を押さえるだけなのだから。さらに、ピアノにおいて「難しい」とされているのは、指を「速く動かす」ことのみで、例えば一個の和音を「ブラームス風に響かせる」(これはかなり難しいはず)ことなどは度外視されている。だから、実際以上に単純化された難易度が、ある程度定着している。

それにひきかえ、我らがヴァイオリン、右手と左手の技術が全く違い、右手のスピッカート(弓を跳ばす)と左手の重音と、どちらが難しい、と問われても答えようがない。弦楽器は管楽器と比べても、技術の種類が多い。それが難易度を考えるのを困難にしている。

だから、難易度なんて気にしないで、ひたすら練習して下さい、と言いたい気持ちもある。

が、それでは人類の発展がない、と思わないでもない。もう少しは科学的に考える余地があるだろう。

なので、今後も少しずつ考えていくつもりである。(今まで考えたことは「梅鶯林道」を参照されたし。)

まずはクライスラーの「前奏曲(プレリュード)とアレグロ」から。


新・楽章間の拍手

2010-12-17 22:10:53 | オーケストラ

楽章間の拍手について書くのは3回目のようだが,今回は「楽章と楽章の間」ではなく,一つの楽章の「中の」拍手,楽章の途中の拍手についてである。

ところで筆者が中学生の時に大変影響を受けた文章がある。故山本直純氏の「ボクの名曲案内」、そこから一部引用しよう。ウェーバーの「舞踏への勧誘」に関するものである。

(最後のコーダの前)あたかも終った風に聞えて、その後エピローグが続くのだが、たいていの聴衆はこのジャン、ジャン、ジャーンのエンディング風コードで、嵐のような拍手をしてしまう。そこで指揮者は、どうやって拍手をさせずに次に進むかいろいろ苦労する。

岩城宏之は、そこで下した指揮棒を揮り上げながら中途で停止させ、聴衆の眼をひきつけておいて、静かにそうっと棒をずり上げコーダに連結させる、といったウルトラCをあみ出したが、それでも田舎へ行くとまだ手を叩くといっていた。近衛秀麿先生なんぞは、頭にきて、そこで曲をほんとうに終ってしまう。その後はカット(演奏しない)という方法をとったことがある。

ボクは一度こんなことをやってみては、と思っている。それは、ジヤン、ジャン、ジャーンで大拍手、ボクは指揮台の上でゆっくりとお辞儀をして、嵐のごとき拍手を受ける。拍手の終るのを待って、再びオーケストラに向い棒を揮り始め、エピローグを演奏するのだ。こうすれば二度拍手をもらえる。あちらも恥かかず、こちらも儲けて、地下のウェーバーも文句はいうまい。すなわち、エブリバディ・ハッピーではないか。

これを読んでからというもの、直純さんはいつこれをやってくれるのかと、ずっと待っていたのだが、ついにやらないまま鬼籍に入られた。

さて先日、長崎県障害者芸術祭という催しが佐世保であり、ベートーヴェンの第九の4楽章のみの演奏があった。佐世保市民管弦楽団の演奏に障害者を交えた合唱が加わり、筆者が指揮をした。

この本番の直前に、伝令が走った。

「障害者芸術祭で第九をやる時は、行進曲の前で必ず拍手がはいるそうです」

合唱の「vor Gott!」のフェルマータの後、ファゴットの「ボッ」の前の休みの部分だ。なるほど。筆者はそこで拍手が起きたのを聴いたことは全くないが、可能性は充分考えられる。

そうかそうか、ではどうしようか、と思案しているうちに思い出したのが前述の文章である。拍手を起きないようにする方法はいくつか考えられるものの、自然に起きた拍手を制止するというのも抵抗がある。感動を表現しないでくださいと言っているようなものだからだ。

考えているうちに、直純さんの果たせなかったことを無性にやりたくなってきた。お辞儀したらどうなるのか、誰もやっていないから見当がつかない。何だかワクワクしてきた。そして十分後には関係各所、ファゴットやらテノール・ソロやらに「拍手があったらお辞儀しますから」と伝えに回っていた。

さて本番。オーケストラは快調(出だしだけちょっと不調だったが)、若手のソリスト達もベストが出てきている。

そして件の箇所「vor Gott!」

案の定、拍手が起きた。嵐のような、ではなかったが、遠慮がちでもなく、「普通の」拍手。おもむろに振りむいて一礼する。拍手は少しおさまりかけたが、まだ続きそうなので、ちょっと手をかざして「もういいですよ」というジェスチャー、これで拍手は止まった。

またおもむろに振りむいて、ファゴットを向き、「ボッ」を吹いてもらう。次のテノール・ソロも最高の出来。以下、その調子で難なく終ってしまった。日本のオーケストラは今やアマチュアでも第九は上手い。

史上初、誰もやろうとしなかったことをやった割には、あまりにもすんなり受け入れられ、何事もなかったかのように終ってしまったのは、やや拍子抜け。終ったあとで、このお辞儀を話題にしたのはオーケストラの一部の人間だけだった。オケの人間も出だしの不調の方をもっと話題にしていたような感じもあったし。こんなことなら、拍手が止まるまで何度でもお辞儀をしてみるのだった・・・。

少なくとも、そこで興をそがれた感は全くなかった。ということは、楽章間で拍手があった場合は、遠慮せずお辞儀をしたがいい、といって良いのではないだろうか。

そのうち楽章間のお辞儀が普通になって、「20世紀の頃は、いかに拍手をさせないかに皆苦労していたんだって」などと言われるようになったりして・・・。