井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ステージマネージャーは楽しい、かも

2019-05-31 20:39:39 | 音楽
東京芸術大学には同声会という同窓会組織があって、その福岡県支部が数年前から演奏会を始めた。

前回、私も出演させてもらったのだが、今回は「前回の出演者はお手伝いにまわるように」とのお達しがあった。

それならば、とステージマネージャーを志願して、やらせてもらった。

ステージマネージャーという仕事、誰でもはできない。しかし、大勢が関わる演奏会においては不可欠な存在なのだ。

なのだが、実際にはなかなか頼める人がいないのである。結構専門知識も必要だから。仕方ないから経験がないような人に頼むこともある。そういう時は事細かに打ち合わせておかないと、演奏会がぶち壊しにならないとも限らない。

さて、一体何が事細かなのか。

と考えて、実は私もわからなかったのである。
やはり、やったことがないことはわからない。
それならば、一度やってみるに限る。

ということで、頼み込んでやらせてもらった。

皆さん、私には何かと仕事をさせないようにする雰囲気はあった。確かに舞台袖で、私に見られているのは嫌な人も多いかもしれないが、そんなことは知ったことではない。

で、やってみて……、

案外楽しかったのである。

舞台袖でしか見ることのできない、さまざまな個性を見ながら、次々と演奏が進んでいく様子を見るのは快感だった。

袖には、あと2人いて、両人とも大学の先生。その人達と寸評がちょこっとあるのも面白かった。(嫌だよね、こんなこと言われているのがわかったら。)

ステージマネージャー、なかなか楽しいではないか、と思いかけて、ふと気づいた。

これはステージ上の質が、ある程度高いから楽しいなんて言っていられるのだ。下手くそだったら、どっと疲れるに決まっているだろう。楽しい気持ちにさせてくれた演奏者に感謝である。

それはともかく、やはり一回やってみると、ステマネの何たるかが、結構わかったと思う。次は、これをできる人材を育てることなのだが、これも難しそうだなぁ。

アイネクの時代は終わったか

2019-05-21 20:06:00 | 音楽
「アイネク」とは《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》の略称である。

先日、ある喫茶店を会場にしたミニコンサートで弦楽四重奏を演奏した。

企画の段階で「クラシック音楽にはあまり詳しくない60代くらいの人が中心ですから、どうかその人たちにわかりやすい内容で」と再三言われていたので、そのような場合は、まずアイネク、が無難な選択だと思った。

そして、ハイドンの《皇帝》第2楽章を続け、次あたりに(本当に演奏したい)ベートーベンの作品18-4の第1楽章を並べた。

その後、リクエストの小品も交え、井財野の作品も適宜演奏して、まずまずの出来で終わったかに見えた。

多分その見方は間違っていない。

今回、お客様にアンケートをとらせてもらった。そこからも、そのように読みとれる……。

が、一枚のアンケートに我々は釘付けになってしまった。

「最初(選曲)にがっかりしてしまいました。徐々によくなって、ベートーベンは素晴らしかった……」

これが一人ではなかったのだ。演奏会後、直接話を聞いた人にもいらっしゃった。30人のお客様に二人だから、かなりの率だ。

その後、アンケートを集計すると、必ずしもアイネクの評価が低い訳でもなかった。しかし、ベートーベンの評価がその日では一番高かった。

「もう、(アイネクは)やめてほしいと思いました」
と、件のお客様がおっしゃるので、
「そうは言っても、すごい曲ですよ。主和音(ドミソ)と属七(ソシレファ)だけのメロディですからね。こんなこと誰も思いつかない。」
「あ、その話を聞いてから聴けば違ったと思います」

うーん、そうか。

少なくとも令和の時代「とりあえずアイネク」ではない方が良さそう、との結論を得た。

旅は道連れず

2019-05-14 08:05:00 | 旅行記
平成最後の日は熊本県の中を鉄道一人旅した。
JR九州が「4/30~5/1普通・快速列車乗り放題」という切符を3,000円で発売したからだ。

旅は道連れ、と昔から言うし、普通の旅ならそうだが、鉄道の旅、特に近距離のものは、一人旅に限る。

近距離だと一般的に「旅」とは思われていないかもしれないし、観光スポットでも何でもないところで、立ち止まりたくなるから、極めてわがままな行動をとれないと面白くない。

同好の士なら良いかというと、そうでもない。鉄道ファン、マニア、それぞれ視点が違う。

では同じ視点を持つ同士なら、楽しい、かもしれないが、場合によっては、楽しみを独占したくて、やはり邪魔だと思うことがあろう。

一人旅に限るのである。

乗り放題できる切符が発行されて、自分にも時間がある時なんて、そうそうあるものではない。

まず豊肥本線に乗った。豊(大分)肥(熊本)を結ぶこの路線の沿線に住んでいたこともあった。しかし、その頃最寄りの水前寺駅より大分方向へは乗ったことがない。用事はあるのだが、大抵自動車で行く。

つまり、わざわざ乗らないと一生乗らずに終わる路線である。

ということで、喜び勇んで「阿蘇まで行こう」と思った。

しかし残念なことに、熊本地震でまだ復旧されず、肥後大津で折り返し。

途中「平成駅」で降りようかと思った。平成駅には昭和タクシーの看板があり、その前に大正製薬の自販機があり、明治のチョコレートでも持っていけば4時代の写真が撮れる、と地元紙で報道されたので。

だが、同じように考えた人は山のように多く、ごった返していたのでパス。

新しい熊本駅には、ラーメン屋が3~4軒できた。ラーメンは福岡ではスナックだが、熊本では食事である。
だから、熊本ラーメンを一杯、と思ったら、店は客で一杯!



写真は翌5月1日の様子だが、同様に行列ができている。熊本県民がほぼ見放した感のある桂花ラーメンがこの状態(私は相変わらずファンですよ、念のため)。
行列している時間がもったいないので、今度は三角(みすみ)へ向かう。

三角へは「A列車で行こう」という特急が走っている。ちょうど、それが出発する時間だった。プラットフォームでは景気よくエリントンの《A列車で行こう》が流れている。
見ていると乗りたくなったが、この切符では乗れないから、とりあえずお見送りして、続く普通列車に乗る。

「キハ47」というディーゼル車だった。私は電車が好きなのであって、ディーゼル車は大して好きではない。
子供の頃、九州南部はほぼディーゼル車で、デザインもほぼ同じな上、匂いがひどく、当時はそれに煙草の煙が混じって、吐き気を抑えるのが大変だったからだ。

それからすると、今は煙草の匂いもなく、大分ましになっている。
当時あった灰皿やテーブルが外された跡が残っていて、往時をしのぶにはなかなか良い。

三角は天草の入り口で、天草に行く時は、大体通るところだ。なので、4~5回は行ったと思うが、三角線に乗るのは生まれて初めてである。阿蘇も天草も、大体自動車で行くところなのだ。
なので、三角線に乗るのはひょっとしたらこれが最後かもしれない。

ところでJR九州はスマホにアプリを入れると「全駅制覇チェックインラリー」という遊びを用意している。
おかげで駅に到着する度にやることが増えた。

しかし、

JR九州さん❗️

「赤瀬駅」では、全く電波が届かず、行きも帰りもチェックインできませんでしたよ!!

かくのごとく、海沿いなのに山奥の雰囲気を持つ秘境も走る三角線、この面白さは乗らなければわからない。

そして三角駅に降り立つ。
駅舎はリニューアルしている感じだが、プラットフォームの支柱は古レールを使っているから、古い構造はまだ残っている。

そして目をひくのが三角錐の建物、葉祥栄の作品だ。ただの待ち合い場所なのだが、螺旋状のスロープが建物の内外にあって、上からは周囲が展望できる。

そこから屋根が駅近くまで伸びていた。


それを見て、ようやく気づいた。そうか、上から見ると、大きなカタツムリの形になっているんだ!

こういった楽しい建物が各地にあると、旅は一層楽しいものになるのに……。

と、楽しい建物はあったが、ラーメンの代わりになる食べ物屋は見当たらず、コンビニもないのは誤算だった。
10分近く歩いてスーパーマーケットに入り、缶ビールとつまみを買って、再び「キハ47」に乗り込む。

懐かしいのは、この匂いだけではない。この「揺れ」!
最近の電車は本当に揺れなくなった。昔は、電車の中ではまともな字が書けなかったものだ。その中で「新幹線では字が書ける!」と話題にしたくらいだから。

その点、このキハ47は昭和を温存している。

座席は40%以上人が座っていた。

その中で、ずっと立っている高校生が何人もいた。最近の若者は弱くなったのではなく、強くなったのだろうか。

そしてちょっと嬉しいのは、時刻表を読んでいる人が3人、缶ビールを飲んでいる人も3人いたことだ。

列車の時刻を携帯電話で調べるようになって久しい。しかし、あれは最善の策を示すのにふさわしく、次善以下の策を調べるには不便だ。旅はやはり時刻表がよろしい。

そして、往時は汽車に乗ったら缶ビール、もっと昔は瓶ビール、子供はファンタ。外されたテーブルの下には瓶の栓抜きがくっついていたものだ。

みんな平成ではなくて、昭和を偲んでいる雰囲気がある。

三角線は昭和を動態保存している。

さて、まだ時間の余裕があるので、宇戸から鹿児島本線を南下して八代まで行くことにした。

こちらは、わざわざでなければ行かない以上に、行く用事もこの半生でほぼなかった場所である。例によって二度と行かない可能性もある場所とも言える。

そして、懐かしいものを見つけた。



有佐駅プラットフォーム屋根にぶら下がる駅名表示だが、これは国鉄時代のものだと一目でわかる。

昭和40年代の極めて代表的なもので、下部にグレーの白抜きでローマ字標記がある。このデザインに全国の駅が変わっていくのを子供の時分に眺めては、「新しいなあ」と思ったものだ。

(そして1972~3年頃、黒地に白抜き文字が「もっと新しいなあ」に変わる。)

ここまで読んでくださってありがとうございます。(私も字を打つのに10日以上かかりました……。)

駅名を見上げる自分は、小学生の自分と何ら変わりない。あの頃すでに今の自分の原型ができていた、とも言える。

そして、こんなことが楽しいと思い、こんな文章を読むのも楽しいと思っていた。

関心のない人には何が面白いのかわからないだろうし、それが当然である。
しかし、私としては久々に童心に帰れた貴重な時間だった。

令和も頑張ろうっと。

3、2、1、令和

2019-05-02 13:38:06 | 日記
というのをテレビで見た。
テレビスタッフが作ったのか、ほとんど支持がなかったカウントダウンコールだが、私は好きだった。

平成の大晦日は全国で雨、そして令和が明けると一転して全国で晴れ。
こんなことは滅多にないのに、どうして皆さん騒がないの?
天気は通常、西から順に変わるのですよ!
天気図を見ると寒冷前線と低気圧が日本列島に沿って弓なりに形作られ、それがそのまま東に移動したのだ。

これが神の思し召しでなくて何であろう。平成の塵芥を雨で流し、令和を晴れて迎えることができた。

本当に日本は神の国だったのだ、という感慨にふけった令和明けであった。

と、感動に包まれたのもつかの間、カード入れを1日早々になくしてしまった。
カード入れといっても、運転免許証やら保険証やら大事なものがいっぱい入っていた。

駅に届けでるも、それから生きた心地がしない。

が、先ほど出てきた。

昨日さんざん探したバッグの中に入っていた。このバッグは手品も使えるようだ。

神様、バッグにまで不思議な力を与えてくださってありがとうございます。そこまでされなくて結構ですよ。すでに手品の能力を持つ物に数多く取り囲まれておりますから。

楽しい令和の始まりだ。