井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

国公立と私学

2015-10-28 20:32:53 | 受験・学校
吹奏楽コンクールの全国大会で、先週札幌まで行ってきた学生と話した。

「どうだった?」
「寒かったです。」
「ホールのキタラは良いホールと聞いているけれど。」
「日本一です!」

その学生は、国内のホールをせいぜい10くらいしか知らないと思うのだけれど、やはり良いホールのようだ。
先日会ったピアニストも、国内では大阪のシンフォニーホールと並んで最高と評していた。こちらは百以上のホールを知っているから、信憑性がある。
やはり良いホールなのだろう。

ところで、札幌で本番だと移動と滞在の費用、どれだけ安く考えても5~6万円かかる。学生にとってはかなりの出費だ。
その昔、同大学の混声合唱団は沖縄で全国大会があった時は、出場を諦めたことがあった。

そういう発想は持たない吹奏楽部、どうしたのか。

忽然とOB会が立ち上がり、費用の半分以上を負担してくれたのだそうだ。なので、個人負担は2万円ちょっと。

「それでも、個人負担で参加なんて、うちぐらいですよ。私学だったら大抵全額大学が出してくれますから。」

そうでしょうとも。それがいいなら私学に行って下さい。まぁ、国公立ではまずないな。

同じ日、その数時間後、別件での集まりついでに出た話。A高の卒業生が話す。
「もうA高もダメです。校長が代わって音楽に理解がなくて。」

A高は私学で、合唱コンクールの全国大会常連校。

「校長に理解がないのは残念だね。」
「前の校長は、全国大会とか毎回聞きにくるし、理解があったおかげで、いろんなところからお呼びがかかったし。」
「それはよかったね。」
「だから、コンクールの前日や翌日を授業を公欠にしてくれたし、秋なんか毎週のように本番が入って、それも全部公欠にしてくれたし…」
「…」

それはダメかも。授業が成立しない。そうやって勉強しない高校生を輩出する高校は困ったものだ。

新しい校長先生の方がまともかもしれない。

どちらが良いのか、なかなか判断できない問題だし、似たような話は、個人レベルでもある。

例えば、一般的に、私学の音大は成績優秀者をとても優遇して、大学全体が応援してくれる。それが、実力を大いに伸ばしている。

そこで自信も大いにつけて、卒業。社会に出ても、そこで培った実力と自信で大活躍…

した人は、どのくらいいるのだろうか。
私が思いつくのは一人だけである。

ほとんどのケースは、卒業した途端、自分に当たっていたと思っていた脚光がパッと消え、生身の自分に直面すると、何とも冴えない自分しか見えてこず、自信まで失って…、となっている。

そこからはい上がれば本物なのだが、寡聞にしてその例は一つしか知らない。

どちらが良いのか、全くわからない。
どん底に落とされる気分を味わうくらいなら、何もない方が良いような気がする。
一方で、短い学生時代くらい天国気分を味わったが人生楽しいかも、とも思う。どん底が待っていても、はい上がれば良いのだ。天国のイメージがない人には、はい上がるのも難しいから。

完成品に手を加える

2015-10-04 09:36:48 | アート・文化
その昔、能の「井筒」にヴァイオリン演奏を加える、という試みをしたことがある。1999年の秋だった。

最初は、いわゆる現代音楽風に、無調の即興的な音をぶつけて、能の舞と拮抗させるようにしていた。

気迫の部分で、一応バランスが取れているから、その時はそれでOKだった。が、これ、面白いだろうか?

珍しさで何人かは面白がってくれたが、肝心の自分がさっぱり面白くない。

悩んだあげく、井筒の主人公の少女をイメージするわらべ歌風の旋律を入れてみた。

これは能楽師にはインパクトを与えたようで、他の舞台で「井筒」を演じても、そのヴァイオリンの旋律が頭で鳴ってしまう、と聞かされた。

自分たちの公演は結局それで行い、観客の反応もまずまずだった。

が、私としては全く納得がいかなかった。
ヴァイオリンが演奏される箇所は能楽師側から指定されたのだが、ほとんどが交互に演奏しているだけで、一緒に演奏しているのはほんの少しだけ。

その少しの部分が、全く水と油だった。

それはそうだ。もともと能として完成しているのだから、ヴァイオリンは余計なものにしか感じなくて当然である。

能と一緒にやるのであれば、オリジナルで一から作らないとダメだ、というのが、その時の教訓だった。

それから16年経って、また似たようなことをしているのをテレビで観てしまった。

新司会者による題名のない音楽会、俗称「題名」または「題なし」。

バッハのシャコンヌに尺八と三味線と能舞を加えていた。

シャコンヌと言えば、その「井筒」の前に能舞台で私も演奏した曲。皮肉な巡り合わせを感じた。

テレビ番組としては、実験成功とせざるを得ないし、それはやむを得ない。

しかし、やはり完成品に手を加えて良い結果は出ないな、というのが正直なところだ。

その昔、美空ひばりや八代亜紀にオペラを歌わせたり、円鏡の落語を聞いてオケが演奏できるか、などという破天荒な実験をやった歴史を持つ名番組。

よりオリジナリティの強い大胆な試みを期待するものである。