井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

一所懸命って、どのくらい?

2008-12-31 11:50:54 | 大学

 練習時間の試算をするのには、実は伏線がある。

 福岡教育大学には転課程、転専攻という制度かある。で、ごくたまに他専攻から音楽に転専攻したいという学生が現れる。

 今年も一人、国語から音楽へ変わりたいという学生が相談に来たそういう場合、音楽の試験がどれたけ大変なものかということが、なかなかわかってもらえない。(教員でもわからない場合すらあるから当然かもしれないが。)

「一所懸命、今からがんばってもダメですか?」

 教育大は、何でも一所懸命やるプロセスを重視する。結果が出なければ意味はない、という考え方はなじまない。その土壌に育つと、上述のような発言が頻繁に聞かれるという訳だ。

 その学生と話して以来、何かわかりやすい表現はないものかと、ずっと考え続けて、ようやくここにいたったのである。「何と酔狂な試算」と思われた方もいらしただろうが、こちらにはこのように切羽詰った事情もあった。しかし、おかげでこちらも一つ賢くなったようなものだから、意外とありがたい存在と考えることもできるかもしれない。

 今年一年、他にも、そのような「ありがたい存在」に出会うことができて、考えさせられること、多々あった。

 最近、一番考えるのは「演奏様式」についてである。

 入学試験の演奏を聴きながら思った。「様式を把握している演奏が聞きやすいのは確か。」

 では、その様式とは何か?

 これがまた実に曖昧模糊としたものである、と言わざるを得ない。というのも、人によって捉え方がかなり違い、時代や場所でも変化し、場合によっては正反対の主張も存在する、という代物だからである。(以前「さじ加減」で書いた「紅茶と汁粉」も、様式に関する数ある話の中の一つだ。)

 にも関わらず敢然として存在するのが「様式」である。

 たまたま来年1月、2月と続けてモーツァルトを演奏する。せっかくの機会だから、来年はこのテーマ周辺から考えてみることとしよう。


これだけ練習すれば・・・

2008-12-31 00:34:32 | 音楽

 練習で大事なのは、まず質であろう。時間数を云々するのは、あまり意味がないように思われる。

 ところが一方、コンクールで小学生の審査をすると、皆同程度のハイ・レヴェルな仕上がりを目の当たりにする。ここから導き出されるのは、人間は同じ時間、同じくらいがんばると、同じくらいの成果が出せるのでは、という仮説だ。

 実際、語学学習の場合は、一つの言語をマスターするのに千時間、語彙は千数百語、などと、示されている数値がある。これなども、質は考えていないのが明白だ。

 では、という訳で、まず、東京G大に入学するための練習総時間を試算してみよう。

 幼稚園でヴァイオリンを始める。2年間、毎日30分。短いと思われる方もいらっしゃるだろうが、実際は30分練習させるのは大変なはず。これで幼稚園の間は計365時間。

 小学校で徐々に時間を延ばして、3年生までは平均1日1時間。3年間で計1,095時間。

 小学校高学年では平均1時間半というところ。計1,642.5時間。

 中学生になったら本格的な練習ができるから、一日2時間。これを高3まで続けて、6年間で4,380時間。

 これを合計すると7,482.5時間。受験前は少し増えるかもしれないので、約8,000時間、これか最低練習総時間数と、仮にしておこう。

 ついでに我が教育大学も考えてみよう。

 何となく、ヴァイオリンを小学校3年生から始めてみる。(スターンやピアノのリヒテルから導き出した年齢である。),4年間毎日1時間の練習。これでも世間一般では相当な努力のはず。

 続けて中・高でも毎日1時間、総計10年間で3,650時間、やはり受験前はちょっとがんばるだろうから、計4,000時間。それでも英語の学習時間より多いはずだ。

 期せずして東京G大の半分の時間になった。数字の信憑性が増したような気がする。ピアノの場合も同じ時間数でいけるだろう。

 調子に乗って、教育大学の管楽器。

 中学から吹奏楽部に入って始めたとする。一日2時間、これを高校まで続けると、計4,380時間。ヴァイオリンと似たような数字になるではないか!

 では東京G大の管楽器。最近は小学生から始めるケースも少なくないが、一応中学からと考えよう。それでも、中学で毎日3時間、高校で4時間練習すれば7,665時間となり、やはり近い数字が出てくる。

 以上は単純に大学合格するための指標である。「教育大受けるなら、4,000時間練習してきてね」と来年から言うことにしよう。

 演奏家を目指すなら、これでは多分足りない。コンクール入賞を狙うなら、全く足りない。

 あまり楽しい試算ではないが、同じ要領で計算しよう。

 幼稚園で毎日1時間ずつ(30分ずつ2回に分けるのが効果的)。小学校低学年で毎日2時間、高学年で3時間、中高は毎日4時間とする。

 そうすると、中学までに10.585時間、高校まででは14.965時間という数字がはじきだされる。

 日本音楽コンクールには1万時間、国際コンクールには1万5千時間が、それぞれ必要というところだろうか。

 逆に言えば、コンクール入賞は一万時間の価値がある、と思える人に、道はひらかれている、ということだろう。

 一万時間は長い。でも、教育大の倍ちょっとですよ・・・。


復習う

2008-12-29 21:58:33 | ヴァイオリン

 「最近の学生は、さらわない」

と言われて、学生はただひたすら頭を下げるだけ。なぜならば、先生の言葉通り、さらっていないからだ。(蛇足ですが、「さらう」は漢字で「復習う」と書くそうです。)

 その学生のうちの一人が私。今をさること、数十年前の話だ。先生は、

「世間の方は8時間労働されているでしょ?」

 だから8時間さらう、という理屈。私は一回だけ8時間練習に挑んだが、後で通産してみると、4時間弾いて、4時間休んでいた!滅茶苦茶疲れるのだ。とても自分にはできないことがわかったので、それっきりやったことがない。

 最近は、週35時間のワーク・シェアなどという考え方も出てきたが、それでも一日5時間練習なので、依然無理。(断っておきますが、これはヴァイオリンの話です。ピアノにはあてはまりません。軽々しくピアニストに話そうものなら「なんと軟弱な」と言われるのがオチ。)

 「一日4時間以上、練習してはいけない」と偉大なヴァイオリニスト先生がおっしゃっていますが、などとは、とても言える訳がない。さらわねば・・・という強迫観念だけが増大していく日々だったような気がする。

 時が変わって、今度はこちらが学生に対して嘆く立場になる。

「どのくらい練習している?」

「週4日」

などという、ふざけたヤツがいるから、悩みは尽きない。

 しかし現在自分が置かれている状況では、いかに練習させるか、教える側が精一杯の工夫をしなければならない。学生がさらわないのは先生の責任にされる御時世である。昔はオリンピックにも芸術競技があって、さらえばオリンピックに出られたらしい。その名も、

サラエバ・オリンピック

(二十年前、とある音楽高校ではやっていた言い回しでした。)

さあ、復習おう!


スケール・システム

2008-12-11 20:03:52 | ヴァイオリン

 普段はガラミアンのスケールで練習している。こちらの方が合理的だと思うからだ。しかし世間ではカール・フレッシュの音階が一般的なので,たまに様子を伺わなければならない。

 10年ぶりくらいに注文してみたらば,何と日本語解説がついているものがあるという。早速届いたものを拝見。

 おお,びっくり。「毎日練習する調を変え・・・」と斜字体で書いてあるばかりか,ロスタルの注釈まで日本語になっている。

 これで私が吠えなくても済むというものだ。

 同時に考えた。ヴァイオリン界においては,日本人がメジャー扱いになった証拠と考えて良いのかな・・・。シェフチークも日本語版が出たし。

 問題は,それでも読まない方がいらっしゃるということ。日本語くらいは読みましょうね,皆さん!