井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

続・眠る美人

2016-08-29 18:31:08 | オーケストラ
クラシック音楽好きで「白鳥の湖」と「くるみ割り人形」を知らない人はいない。

ところが「眠れる森の美女」を知らない人は結構いる。先日はプロの演奏家で知らない人と出会ったくらい。

バレエを演奏するオーケストラでないと、プロの間でもあまり知られていないのが実情だろう。

なぜか。

一つには、やや難解なバレエだということ。

白鳥やくるみ割りは、舞台を観ていて何が起きているのかわからない、ということは無い。

ところが「眠り」は随所に説明が必要なところがある。「マイム」という舞踊の言語みたいなものを使ってストーリー展開をするため、そのマイムの意味がわからないと、よくわからない箇所がある。

私が子供の頃、テレビで「眠り」を観た時、それは字幕で説明されたのだが、字幕を見ないとわからないバレエなんて、と、一辺に敬遠してしまった記憶がある。

しかし、有名にならない最大の原因は、この組曲の「つまらなさ」にあると思う。この組曲、チャイコフスキーが作った訳ではないのだ。
もう、本当にセンスの悪い選曲になっている。

かねがね、組曲ではない「抜粋」をやりたいと思っていた。

思い続けて十余年、やっとそれが今週末、実現することになった。

山口県の宇部市にある宇部市民オーケストラの演奏会である。

マイムの代わり?にナレーションを入れ(その原稿まで書いて)、私が指揮することになっている。

ナレーターは萬治香月(ばんじ かづき)さん、山口で活躍中のアナウンサーで、同時上演の「ピーターと狼」のナレーターもお願いしている。

9月4日渡辺翁記念会館、お近くの方は、ぜひお越しください。

リオ・オリンピックは素晴らしかったけど

2016-08-27 14:13:16 | 日記・エッセイ・コラム
今回のオリンピックは、お盆休みが含まれたこともあり、比較的テレビ観戦ができた方だ。

そして、日本人の活躍がめざましいと、やはり嬉しいものだ。

昔、成績がさほど奮わなかったとき「やはり飛んだり跳ねたりは日本人には合わないなあ」とか「オリンピックで国威発揚の時代じゃないな」などと思っていたものだ。
それが間違いだったと言えるかもしれないし、間違いでなければ、それを大勢で克服した、とは言えるだろう。

次の東京大会が控えているからとは言え、大した報奨金が払われる訳でもないのに頑張った日本人達は本当に偉いし、誇るべき人々だ。

そして、閉会式がこれほどの話題を呼び、目を釘付けにされたこともかつてなかったに違いない。

比較的「正しい」和声づけの「君が代」に始まり、渋谷とリオを土管で結んで、安倍マリオが出てくるなんて、自分が考えた訳でもないのに、諸外国人に向かって「どうだ、まいったか」と言いたい気分だった。
よく見ると、土砂降りの雨の中、それを全く感じさせずに演じた方々にも、感銘を受けた。

しかし、

最後の最後になってから、大変残念なことがあったのである。

競技場のトラック等の地面がスクリーンになっているのだが、そこに表れた文字は、

“See you in Tokyo”

なぜ英語だけなの?

君が代の後には、世界各国の言葉で「ありがとう」が表記されたのだ。
ならば、ここも世界各国の言葉でしょうが。

百歩譲って、まず日本語、リオで使われているブラジル・ポルトガル語、そしてオリンピック公用語の英語とフランス語で表記すべきだろう。

また会いたいのは英語圏の人だけなの?
開催国ブラジルは日系人の努力のおかげで、かなりの親日国だと聞く。そのブラジルに対して失礼だ。

また非英語圏の人からは「日本はアメリカの影響下にあるんだな」と受けとられる。それを狙った訳?

何も考えない日本人が国際語=英語の発想だけで実行したとしたら、その間違った知識を悲しく思う。

それだけが面白くないリオ・オリンピック閉会式だった。

The sleeping beauty~眠る美人

2016-08-16 07:38:00 | オーケストラ
現在のマイ・ブームはチャイコフスキーのバレエ音楽「The sleeping beauty」である。来月4日に宇部市民オーケストラで、その抜粋を指揮させてもらえることになっている。

率直に述べて、この曲に接することが嬉しくたまらない。この喜びをなるべく多くの方々と共有したい、と機会あるごとに説いてまわるのだが、なぜかなかなか通じない。

この名曲が、有名な割には真価を知られない理由はいくつも考えられる。

それは後述するとして…

タイトルを英語表記に敢えてしてみた。

誰が「森」を加えたのだろうか。

ちなみに私の携帯電話では「森」と入力すると「喜朗」と必ず出てくる。
「眠れる森喜朗」を想像するのもセカンド・ブーム。閑話休題。

恐らく、ペローやグリムの童話を翻訳した人のアイディアなのだろうが、大した発想だ。森があるだけで、グッとファンタジックになる。

ただ、訳語の「眠れる」あるいは「眠りの」が「森」にかかっているのか「美女」にかかっているのかが、昔から論争の的になっている。

原題を見れば明らかに「美女」なのだが、森が眠っていると考えられるところをわざわざ狙っているのだろうか、などと考えてしまう余地がある。

さらに、「眠れる森」と「眠りの森」の二つの訳語がある。業界では通称「眠り」なので、後者はてっきり俗称だろうと思っていたのだが、先日、昔録画したNHKの番組を視たら、タイトルが「眠りの森の美女」になっていた。

訳語だけでもなかなかファンタジックである。

中身に到達する前に盛り上がってしまった。長くなったので、中身は次回へ…。

いまいち・ナウい・おしゃれ

2016-08-12 17:34:41 | 日記・エッセイ・コラム
やっと生徒さん達の発表会も終わり、やれやれ、とほっと一息ついているところ。

みんなでヴィエニアフスキは大学生にとどまらず、高校生もみんなでヴィエニアフスキの発表会だった。

私はもともとヴィエニアフスキが好きではない。中身の乏しい音楽なので、10年前くらいは誰にも弾かせなかった。

宗旨替えした理由は前記事の通りだが、果たして、高校生達の指は着実に強くなった。
演奏の出来はイマイチではあるが、内輪の発表会である、その後のコンクールや試験でバッチリやってくれれば良い。

と、ここで脱線、と見せかけて本題。
イマイチ、という言葉を初めて聞いたのは1981年、鮮明に覚えている。使ったのは指揮科の先輩O野さん。

その後、あっという間に普及し、現在も使われているから、完全に定着した訳だ。だから正規の日本語だと思っている人も多いだろう。

ひょっとしたら、さすがに流行語とは言えないので、正規の日本語仲間入りしているかもしれない。
でも、多分、NHKのアナウンサーは使っていない(と思う)。

少なくとも1970年代までの言い方は、

「今ひとつ」

である。

上品だとは思いませんか。



さて、同じ頃、はやっていた言い方に「ナウい」がある。
これはさすがに、今は使わない。

私は当時も使わなかった。
なぜならば、1970年代はナウなフィーリングのヤングの時代で、「ナウな」が正しい使い方と勝手にインプットされてしまったからだ。(全く訳の分からない乏しい論拠であるが)

これは、現在○○なう、の形で復活したかに見える。

しかし、厳密には違うのだ。

1970年代のは「○○がナウ」

格助詞が入ってカタカナ表記、そして○○はその時流行の先端の言葉が入ったのであって、現在のような「バス待ちなう」みたいなくだらない言葉は、入る資格はなかった。

という次第で、○○なう、の言い方は、死ぬまでしない所存である。


一方、それから遅れること数年、「おしゃれ」の用法が拡大した。

最初に聞いた時「今は『おしゃれ』っていう言い方がはやっている」と言われたのだが、何のことやらさっぱりわからなかった。

その後、じわじわとあちらこちらで聞くようになり、やっと納得したのだが…。

1970年代(こだわります)、おしゃれはファッション・美容関係で使う言葉で「おしゃれな店」とか「おしゃれなやり方」などとは言っていなかった。
そういう時は「洒落た」と言っていたのだ。

この言葉のみ、私はよく使っている。「流行語」として!

それが「かわゆ~い」と思っているから。



蛇足:その頃「かわいい」を「カワユイ」と言うのがはやっていたのです。
その流行をみんながとっくに忘れた頃、指揮者の故岩城宏之が説明に使ったので、私は「カワユイ」を一生忘れなくなりました。