井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ヴァイオリンの音は何というか?

2011-08-30 20:53:52 | アート・文化

「山の音楽家」という歌がある。元はドイツ民謡だけれど、日本では子供の歌として有名。

あの「キュキュキュ キュ キュ」ってのが許せない。

とのたまわった知り合いのヴァイオリニストがいた。私としては「ギコギコ」よりましだから、何も思わなかったが、そう言えば、ヴァイオリンの音は日本語で何と表現するのだろう。

と言って、クラリネットやチェロを何と形容するのかも知らないけれど、そう言えばヴァイオリンの適切な擬音語を知らない。

そう言えば、「ビゴリン ビゴリン」てのがあったよ。

と私。数十年ぶりに思い出した「パパのバイオリン」という歌。

NHKの「みんなのうた」で私が幼稚園児の時に放送した歌で、バイオリンを始めて間もないから結構良く覚えている。その後に楽譜も手に入れ、今でも持っているし。

インターネットで調べたら、NHKも映像を持っていなくて、どなたかお持ちの方いらっしゃいませんかと探している状態だった。おそまつ・・・。

原題は「Jan Hinnerk up de Lammerstraat」という。この題で調べるとドイツのハンブルクの歌で、フランス軍占領下の抵抗歌とあった。相当昔の歌だ。

Jan Hinnerkは「神」を意味する暗号で、全能のヤンはまずヴァイオリンを作った。Vigolin,vigolin...と。

こんな歌を探し出してきたNHKのスタッフにも敬服するし、作詞した阪田寛夫さんも教養が光る。

でっかいパパの ちっちゃいバイオリン すてきなバイオリン

ひびきだせば ひびきだせば ホラしびれちゃう ホラこのとおり

あのオイストラッフもクライスラーもかなわない

私はこの歌のおかげで、クライスラーはヴァイオリンを弾くことを知ったのだ。大事な歌である。

ビゴリン ビゴリン ビゴビゴリン

さあ月夜の晩だ うちじゅうみんなでおどりだせ ビゴビゴビゴリン

このリフレインのふしはモーツァルトのフィガロの結婚のアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と同じふしである。(これには今日まで気づかなかった。)

百年以上も前の歌で、一応現在まで生き残っているけれどビゴリンは浸透しなかった。

でもギコギコやキュキュキュよりも良い響きだと思う。無理して使い続けたら普及するかなぁ。


ブラームス vs チャイコフスキー

2011-08-16 23:50:13 | 音楽

チャイコフスキーとブラームスを題材にした授業の話を書いたが、このお二方の音楽は、まるで違う方向性を持っているように見受けられる。一番わかりやすい「メロディーを作る才能」で考えた時、百点満点の天才と常に落第ぎりぎりの劣等生くらいの違いがある。

ほとんどの方が、ここの部分をまず見てしまい、最初の評価を下す。そして、クラシック音楽に強い人間は「いやいや、構築性も大事、この積み上げ方はすばらしい」と、ようやくブラームスを評価する、という感じだろうか。

両方好きな人は大勢いるにしても、両者の別の部分を聞きとって、評価しているのが普通だろう。チャイコフスキーは、豊かなメロディとゴージャスなサウンドが良い。ブラームスはがっしりした重みと厚みを感じる渋さが良い。この逆は考えられない。つまり全く違う、というのが世間の一般的な評価だと思う。

筆者も長年そう思ってきた。

それにチャイコフスキーはブラームスが好きではなかったという話ものこっている。さもありなん、だ。

一方、やはり長年不思議に思っていたことがある。

このお二方、誕生日が一緒なのである。ブラームスが1833年5月7日、チャイコフスキーが1840年5月7日。誕生日が同じだから傾向が同じということはないにしても、両極端に近いのは、何か納得しづらいものがある。

ところが最近、意外とこのご両人、やはり近いかも、と思わせる事項がいくつかみつかってきた。

一つは「ヘミオラ」と呼ばれる「2対3」のリズムを多用していること。二連符と三連符を連続して使用する手法も両者に多い。

メロディメーカーの名をほしいままにしているチャイコフスキーも、ベースラインの変化は笑っちゃうくらい貧しい。一方、ブラームスのベースラインは、古今の作曲家の中でも群を抜いて豊かである。豊かなメロディが高音部にくるか低音部にくるかだけの違いで、これも両者の本質は同じことかもしれない。

さらに、珍事実がある。

ブラームスは4曲の交響曲を遺した。敬愛するシューマンの調性をなぞっているのは、昔から知られている。

シューマンの交響曲の調性は、

第1番 : 変ロ長調、第2番 : ハ長調、第3番 : 変ホ長調、第4番 : ニ短調

ブラームスの交響曲の調性は、

第1番 : ハ短調、第2番 : ニ長調、第3番 : ヘ長調、第4番 : ホ短調

シューマンが「シ♭、ド、ミ♭、レ」でブラームスが「ド、レ、ファ、ミ」。ちょうど一音上になっておいかけている格好だ。

さて、チャイコフスキーは6曲の交響曲を遺している。この調性は、

第1番 : ト短調、第2番 : ハ短調、第3番 : ニ長調、第4番 : ヘ短調、第5番 : ホ短調、第6番 : ロ短調

6曲あるから、もともと対応なんて全く考えない。の・だ・が・・・

第2番から第5番をよく見ていただきたい。この4曲、長短調の違いこそあるが、ブラームスの配列と同じなのだ!

作曲年代順に並べ替えてみよう。

1873 チャイコフスキー第2番

1875 チャイコフスキー第3番

1876 ブラームス第1番

1877 ブラームス第2番

1877 チャイコフスキー第4番

1883 ブラームス第3番

1884 ブラームス第4番

1888 チャイコフスキー第5番

ブラームスの3番まではブラームスが追いかける形、チャイコフスキーの第5番のみブラームスが先行する格好になっている。

しかし、チャイコフスキーの第3番は世紀の駄作だし、2番は書き直して1879年に再発表している。

しかも1888年は、ブラームスとチャイコフスキーが会った年だ。チャイコフスキーはそれでブラームスを嫌いになったらしいが、その後に評価が変わって、という話ものこっている。

一見、ブラームスの後だしジャンケンに見えるけれど、実はチャイコフスキー、結構影響を受けていたりして、とも読める。

いずれにせよ、全く無関係な二人ではなさそうな気配が濃厚。やはり同じ誕生日、お互いに無視はできない間柄だったに違いない。


ブラームスで聴音

2011-08-11 07:23:23 | 大学
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先々週、最後の「ソルフェージュ」の授業で「聴音」(書き取り)をやった。

エリザベート音大が編纂した「音楽家の耳トレーニング」という本がある。その中にある問題を初めて使ってみた。

この本は細かくグレード分けされていて、とりあえずグレード7まではできないと困るような主旨だったと思う。

それでは、どこまでできるか、という意図でグレード8,9,10から聴音の問題を出して1年生にやってもらったのである。

G8はフォーレのピアノ四重奏曲第2番の冒頭。

G9はバッハ「マタイ受難曲」テノールのアリアの前奏、オーボエで演奏する部分。

G10はブラームスの交響曲第3番第3楽章の冒頭。

結果はさんざんだった。

G8は1/3、G9は1/4くらいの正答率だったが、G10は手も足も出ないという感じ。

もっともG10はチェロとベースの二声の書き取りで、しかもチェロはテノール記号で、という指定があったから、かなり難しいのは確かだ。

ただ、ここでもう一つ大事なポイントを指摘しておいた。

チェロとベースを書きとるというのがミソ。この二声部は、とりあえず聞こえる。しかし同時に弾いているヴァイオリンやヴィオラを書きとるのは不可能。全く不明瞭だからである。

「皆さんが覚えておくべきなのは、この各声部のバランスのとり方です。」

つまり主旋律が一番強く、次に低音が強く、それ以外の内声部は、聞こえるか聞こえないかくらい弱くてちょうど良い、というバランスである。

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さて翌日、ヴァイオリン(初心者)のレッスンの日。

「サンタルチア」を伴奏したAさん、ごく単純な4分音符だけの伴奏なのだが、極端に内声を抑えた演奏だった。

一方、ラヴェルの「パヴァーヌ」を伴奏したBさん、音色は美しいのだが、右手の伴奏音型がまるで旋律のように堂々と聞こえる。

同じ授業を受けながら、全く違う結果を出した二人。しかも「答え」を示しているにも関わらず、それが「答え」と認識していない人がいる。さらにBさん自身は、ピアノが自分の専門だと思っている学生だというところが、こちらの頭痛のネタになる。

「昨日の授業が全く役にたっていないねぇ。」

驚くBさん。

「何ですか、それは?」

「Aさんは、それを考えて演奏したんだよね?」

軽くうなずくAさん。

「Aさんは今から伸びると思うよ。」

「え? 教えて下さい。」

「答えは昨日言った。よく思い出してよ。」

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さらに数日後、Bさんに会った。

「わかったかい?」

「強拍と弱拍、ですか?」

「うーん・・・」

「Aさんに聞いたら、そう言っていたんですけれど・・・」

「?!」

Aさんのこと、ちょっと買いかぶってしまったかな。

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またその翌日。

「何ですか。教えて下さいよ。」

と、またBさんが言ってくる。それで、Cさんのメモを見せた。Cさんは聴音ができなかった代わり(?)に、上記の私の言葉を書きとっていたのである。

すばやく書き取ったのはCさん一人。Cさんは「伸びる」だろうか?

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その数時間後、ヴァイオリンの試験。

Aさんは、他の人の伴奏も引き受け、絶妙なバランス感覚をみせた。

一方Bさんは、少々右手の伴奏音型が小さめになったかもしれない、という程度。

できる人は簡単にできて、できない人はなかなか、という現実をつきつけられた一場面であった。