井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

井財野友人 : Beguine for Beginner

2011-12-31 00:21:33 | 井財野作品

「ビギン・ザ・ビギンBegin the Beguine」というコール・ポーターの名曲がある。生まれる前にはやっていたらしい、と思っていたら、現代(?!)に見事蘇らせたスターがいた。フリオ・イグレシアス。

その年の紅白歌合戦では、松田聖子も郷ひろみも村田英雄も三波春夫も一緒に歌ったくらい、大はやりだったので、完全に日本人にも定着したと思いこんでいた。

それから、いつの間にか三十年弱が経過している。今から考えると、フリオ・イグレシアスも一発屋歌手だったんだなあ。でもそれで巨万の富を稼いだそうなので羨ましい限り。

時が経ち、また「ビギン・ザ・ビギン」には解説が必要になり、この曲は、それのパロディだというのにも説明がいる時代になってしまった。パロディは説明してしまうと面白くないのですよ、やれやれ。

もっとも、クラシック音楽には、その状況が宿命的に存在する。バッハは、みんながわかるように、みんなが知っている「コラール」を挿入して受難曲をわかりやすいものにしたはずだった。しかし、例えば現代の日本人にはコラールなんて全く知らない曲だから、説明が必要。皮肉にも、さらに難解な受難曲になってしまった、というように。

「ビギン・ザ・ビギン」を「ビギンを始めよう」と訳してしまうと、何のために韻をふんでいるのやら、ということになる。この曲も同じで「初心者のためのビギン」では面白くない。本当は「ビギン・フォー・ビギン」としたいくらいだが、それでは意味が通らないので、「ビギン・フォー・ビギナー」で我慢したのである。

もともと1990年に開いた「リサイタルA」のアンコール用に作った曲なので、私としてはシメを飾る扱いにしてしまうことが多い。「アプレシオ」のステージも、アンサンブルのコーナーの最後に置かれた曲。

本当は、この倍の長さがあるのだが、それだと発表会には長いので、今回のために後半部分を切り取って作り直したものである。

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原曲は安田女子大学のプロデュースでCD録音されている。(MRCL-1002)

アプレシオ版の楽譜の問い合わせはアプレシオ・アラ・ムジカ音楽スタジオまで。

さて、今年の記事はこれで最後である。

今年の日本は大変だった。いい年だったとはお世辞にも言えない。多分明治維新や第二次大戦に匹敵する歴史的転換の年になるのだろう。

ただ、世界的にはヨーロッパの金融危機の問題の方が大きいことになっている。そして大変なのは欧米であって、アジアとアフリカは実は堅調らしい。

だから我々日本人は、今すばらしい成長をとげている地域と共に歩むことを考えるべきだろう。(マスコミも欧米の悲惨な報道だけでなく、元気なアジアの姿を報道してほしいものだ。)

震災そのものは途轍もない惨事だったが、お陰で日本人の心が一つにまとまりだした。そのまとまったことで生じたパワーが、来年の日本を大きく良い方向に変えていくことを期待したいし、自分もその流れに力を尽くすことができるようにがんばりたいと思う。

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西武門(にしんじょう)

2011-12-29 10:14:53 | 琉球頌

「アプレシオ・アラ・ムジカ音楽スタジオ」の発表会、今年は近現代の作曲家の作品がテーマだった。その中に井財野も加えてもらったのであった。

しかし、子供でも無理なく弾けるものというと、そのような曲が多くある訳でもなく、必然的に選ばれたのが、この「西武門(にしんじょう)」

もともと、子供の弦合奏のために書いた小品だったので、比較的音符も少なく、理解もしやすいはずだと思って選んだ。(それでも、慣れないアンサンブル形態に対する難しさはあったようだが。)

「西武門」とは那覇市内の地名。那覇市の西側、比較的海に近いあたりに「久米」という地域がある。久米村(くにんだ)には14世紀後半から中国・福建から移り住んだ人達が定住していた。その久米村の入り口に建てられたのが久米大門(うふじょう)である。久米大道(現在の久米大通り)の北西側である反対側には西武門(にしんじょう)があったとのことである。

そして「西武門節」という民謡が歌い継がれている。その節をテーマにして、この曲を作った。

実は、この曲には様々な版があり、これは弦楽合奏、弦楽四重奏、ヴァイオリンとピアノの二重奏に次ぐ、四つ目の版になる。二重奏の版は「嬉遊笑覧」の第2楽章、以下のCDに収録されている。

琉球頌 琉球頌
価格:¥ 2,700(税込)
発売日:2006-10-18


ピアノ発表会のニュー・ウェイブ

2011-12-26 00:10:18 | 音楽

ピアノの発表会の最後に、先生が演奏する時間をとることがある。そこでソロ演奏のみならず、ヴァイオリンとの二重奏をやるという先生も時々いらっしゃって、たまに呼ばれて弾くことがある。通常、ピアノの発表会との関わりは、その程度だろう。

北九州市八幡西区に「アプレシオ・アラ・ムジカ音楽スタジオ」という音楽教室がある。そこの取り組みはユニークだ。

プロの演奏家を招いて、幼稚園児から高校生にいたるまで、大半の生徒に弦楽器とのアンサンブルをさせるのである。

連弾や二台ピアノのアンサンブルならば、特に珍しくはない。だが、弦楽器とのアンサンブルとなるとそうそうない。なぜならば、まず楽譜がないからだ。

それが可能なのは、この教室を主宰している熊本陵平・美由紀ご夫妻のうち、陵平氏が作曲家だからである。毎年せっせと子供たちのために編曲を施して、アンサンブルさせているのであった。

それはすばらしい、と、言うだけは簡単なのだが、実際はかなり大変である。

ヴァイオリンでもそうだけれど、アンサンブルというのは、すっとできる人とそうでない人がいる。なぜか、初めてやるときから、すでにできる人とできない人がいる。できる人は問題ないのだが、できない人はものすごい苦労をするハメになる。

なので、極力易しい譜面を作るのだが、それでもできない人はできない。ピアノがもともと弾けないから、という人もいるけれど、一人ならかなり弾けるのにアンサンブルだとタジタジ、という人も少なからずいる。

弾けなくなるパターンとして、一人だと間違えたら弾き直して先に進む癖がついているため、アンサンブルになると、それができなくてパニックになる、という場合がある。

これはヴァイオリンでもあることだ。初めてオーケストラに入ると全く弾けなくなるという人はざらにいる。そういうことを体験的に弦楽器奏者は知っているから、弦楽器関係は比較的早くからアンサンブルを取り入れたりする。

それがピアノだと、なかなか難しい。演奏者のつてがない、楽譜がない、先生もやったことがない等々。

そこを度胸と実行力でクリアしての熊本陵平氏であった。

だからと言って、生徒さん達の演奏が全てうまくいく訳ではなく、最後まで苦労の連続なのだが、これはきっと何年も続けていくと、どこかで花が咲くはずだ、と確信している。それに、成功してないかも、という演奏でも、子供たちと一緒に演奏するというのは、結構楽しいところがある。

このような試みは、ぜひ続けてほしいし、全国で行われることを希望するものだ。

今年は井財野友人も一部、編曲者に加わった。比較的うまくいったものを二つほどご紹介しよう。

ドビュッシー作曲、「子供の領分」から「ゴリウォーグのケークウォーク」

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サティ作曲、君が欲しい Je te veux.

楽譜等の問い合わせは、アプレシオ・アラ・ムジカ音楽スタジオまで。

Tel. 093-981-8520

E-mail: aprecio_m@izm.bbiq.jp

山の風車

2011-12-23 07:52:59 | まち歩き

こう書くとなかなか風情があるのだが・・・。

10月、長崎県立松浦高校に伺う際の道中のことである。佐世保から車に乗ってしばらくしたら「ほら、山の上を見てください。」と言われた。「ぼこぼこ、立ちよりますよ。」

建設中の風力発電所だった。

ここは九州電力の管轄内。「やらせメール」で問題にされている玄界原発も十数キロ先、そう遠くではない。
電力会社は、原発が必要という世論を作りだすために、やらせのメールまで使って、ということが問題にされているようなのだが、なんだ、一方ではちゃんと風力発電を作ってるじゃないか。
一歩間違えば危険極まりない原発より、風力発電の方が、何かにつけ簡単で安全なのは火を見るより明らかだ。
電力会社も、本音のところでは風力発電をやりたいのではないか?
福島のことが無くても、あのように危ない原発をわざわざ作るのは国策であって、電力会社の本意ではなかろう。ただ国策に従っただけのはずだ。
それが、現状のように悪者扱いされるのは、どうも腑に落ちない。
その政策を進めた政治家の扱いは時効なのか?
その存在も、すでに新聞では報道済み。それを今頃あいつが悪いなんて言っても、誰も浮かばれないかもしれないが。
本当に悪いのは、その政治家達をそのように操った存在だろう。国民の関心がそちらに向く時、本当の解決を見る日が来るのだと信じている。

シフリン : 最後のタンゴ~協奏的タンゴ 第4楽章

2011-12-20 23:38:17 | 音楽

前記事に続き、最終楽章の紹介。

調性感の薄い、近代音楽的な開始だが、徐々に熱を帯びてくる様は圧巻だと思う。

ただ残念なのは、その後の展開で、ソロ・ヴァイオリンのカデンツァの後がちょっといただけない。もうちょっと別の発展はできなかったのかなぁ、と思ってしまう。

もっとも、ピアノ伴奏ではなくオーケストラ伴奏ならば、もっと違う効果が期待できるのかもしれない。

どこか、やってみたいと思うオーケストラはありませんか?

最後のタンゴ