井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

タネーエフ : 交響曲第4番

2010-11-30 23:49:04 | オーケストラ
龍馬伝の最終回を見ていたら、「オーケストラの森」の最初の方は見れなかった。なかなか観る機会のない、大阪交響楽団のドキュメンタリーだったのに・・・(それ以上に龍馬伝の方がおもしろかったので仕方がない。)

何でも忘れられた曲を積極的に掘り起こして演奏しているとのこと。リハーサルの詳しい様子やインタビューなどは、あまり見れなかったが、肝心のタネーエフは全部聴けた。楽譜には第一交響曲と印刷されている「交響曲第4番」、一応タネーエフの代表作とされている。

最初に聞いて「おっ、これはカリンニコフよりいいかも・・・」と一旦は思った。しかし、楽章を追うごとに段々印象は薄まっていった。やはり埋もれていくだけのことはあるのではないか、とどうしても思ってしまう。

大阪交響楽団は、このような珍しい曲や埋もれてしまった曲を積極的にシリーズで取り上げている。聴衆も結構はいっているようだ。このような曲を聴いてみたい気持ちは筆者にもある。

一方で、聞き終わって「ああ良かった」とあまり思えなかったのも事実。これが毎回続くのは、もはや学問をしにいくのと同じ境地、学会に参加する気分、少なくとも楽しみで行く方向からは随分離れてしまうような気がする。

演奏が良ければ、少なくともつまらないということはないだろう、という今までの筆者の考え方も修正を余儀なくされた。というのも大阪交響楽団、発足の頃とは全然違って、かなりハイレベルの演奏だったのである。昔は、音楽上の「大阪弁」が聞こえたものだが、今は影も形もない、立派な「共通語」で語っていた。

名曲だけではなく珍しい曲も聞きたいし、だからと言ってつまらない曲は聴きたくないし、でも聞いてみないと面白いかつまらないかわからないし、何が良いやり方なのか筆者にもわからない、ということに気づかされた時間だった。(それからすると「龍馬伝」は面白かったよ。)


J.S.バッハ : 悔悛と悔恨が

2010-11-27 21:39:48 | 音楽

いきなりとんでもないタイトルで恐縮だが、これは「マタイ受難曲」で最初に現れるアリアの題(新全集の番号で第6曲)。本当は、プレリュードに続く「ルーレ」を書こうと思ったのだが、それよりもこの曲を知る方が、かなり役立つと思うので変更。

まず悔悛Bußと悔恨Reuはどう違うか?

答えは「違わない」

ドイツ語を勉強すると、いかにもそれらしく「二語一想」などと言われるのだが、同じような意味を二つ並べて言うことは、洋の東西を問わずある。英語のtwist and roll、日本語の「曲がりくねった」、のように。

という訳で、このアリアは「悔い」を歌っているのだが、その内容以上に、器楽奏者にとって重要な事項がある。

それは「イタリア風舞曲」であること。

まず「舞曲」

欧米人がしばしば「これはダンスだから・・・」という説明をする。これが日本人にとってほぼ無効なのは日本人ならばよくわかる。日本の生活にダンスは無いからだ。

ではダンスを理解するにはどうするか? 選択肢は二つ、ダンスをやってみるか、想像力で補うか。

筆者は前者を試みたことがある。そして、狭い部屋で相手もなしにダンスを習得するのは困難を極めることを身をもって知るはめになる。

よって、想像力で補うのが無難な選択になろう。

ヒントは「欧米の舞踊は上下動が基本」である事実。上下動したくなるような音楽が舞曲、逆に言えば、聞いている人が上下動したくなるように演奏するのが、舞曲の演奏には望まれるということだ。

具体的には、強拍をしっかり強調する演奏ということになる。(強迫、じゃなかった強拍の話ばかりで脅迫されているみたいとか、昨日はいた靴下を今日履く、なんて言わないでください。)

次に「イタリア風」

その論拠は、随所に顔を出す「モンテヴェルディ様式」。低音部に16分音符でドロロロロンと出てくる音階、これのこと。

バッハはオペラを全く書いていなかったが、大好きだった。隣の町で好きなオペラをやっていると知ると数十キロ「歩いて」観に行ったそうだ。東京駅から千葉市やさいたま市まで歩いていったようなものだ。

なので、その好きなオペラの様式が、たまに顔を出すことがあるのだ。このアリアもその一つ。だから、イタリア風という訳だ。

で、具体的にはどうするかというと、強拍と弱拍の差をあまりつけないで演奏するのである。

さんざん強拍の強調を説きながら、あまりやるなとは混乱を招くかもしれないが、世の中そうそう単純ではないのだ。

でも、それだけ知ってから、このアリアを聴くと、何とも清楚で可憐な味わいを一層深く持つことだろう。御一聴あれ。




まやかし

2010-11-24 22:59:01 | 国際・政治

先日、税法が平成23年分から変わったということを知った。小学生以下は扶養家族から外れるという。(住民税の方は従来通り扶養家族扱い。)

つまり、こども手当はあげるけど、税金控除は無しね、ということだ。

こんなの「まやかし」ではないか?

え、まやかしって何かって?

それは多分マヤ国の菓子でしょう。

・・・これは映画「ALWAYS 3丁目の夕日」のパロディのつもりでした。

「デリカシーないんだから・・・」

と言って去っていく女の子。残った男の子二人、

「デリカシーって何だ?」

「アメリカのお菓子じゃないか?」


バッハは拡大する

2010-11-21 23:03:56 | ヴァイオリン

バッハの記事は終わっても良かったのですが、バッハの全作品に通じることを一つだけ追記しておきましょう。

バッハは、ほとんどの部分が拡大する方向に向かう音楽で、鎮静していくものは大変少ないです。

そうすると、音量的にも常にクレッシェンドをしたくなるし、フォルテで弾きたくなるでしょう。

これを感覚的に処理すると、際限なくクレッシェンドをしなければならなくなります。もちろんそれは無理です。

どうすれば良いか?

無伴奏曲の場合、三重音、四重音はフォルテでしか演奏できないし、他にもフォルテ以外はふさわしくない箇所はあります。一方、フォルテでもピアノでも可能という箇所もあります。そこが表現のポイント、つまり、ピアノで表現できる部分は極力ピアノで表現する、ということに尽きるでしょう。

書いてしまうと簡単なことですが、バッハを弱音で演奏するのは、意外と意志の強さがいるもので、そう簡単ではありません。よく計画を立てて演奏に臨んでいただければ、と思います。


シューベルト:ロザムンデ序曲

2010-11-19 00:14:16 | オーケストラ
ロザムンデとは正確には「キプロスの女王ロザムンデ」といって,その名前のお芝居が昔上演されたのだそうです。それに合わせた音楽をシューベルトが作曲し,現在ではその音楽だけが残って時々演奏されています。

お芝居の中身は,貧乏な未亡人に育てられた娘が,ある日突然キプロスの女王になります。でも,国には政権を狙う人がいて陰謀を企てられたり,彼女との結婚をもくろむ人がいたり、毒殺されそうになったり,というあわやの所で、若き青年が登場。その青年によって,王女は救われます。しかもその青年は王女が子供の頃に将来結婚するべく定められた許嫁であったこともわかり,めでたしめでたし,というあらすじです。

そしてこの序曲はそのお芝居が始まる前に演奏される曲ですが,実はこの曲、別のお芝居の付随音楽「魔法の竪琴」の序曲で,ロザムンデのために書かれた曲ではありません。どうも曲を書いている時間がなかったようです。それに当時,つまり今から200年前は別の音楽を使い回すことはよく行われていたようで,問題にする人はいなかったみたいですね。

また,当時はロッシーニのオペラが大変流行していました。モーツァルトの「魔法の笛」も人気の音楽劇でした。だからシューベルトもその人気にあやかって「魔法の竪琴」という曲を作り,ロッシーニ風の軽快な音楽に仕立てた感じがします。このシューベルトの涙ぐましい努力の甲斐あって,今日まで永く演奏される音楽になったのではないでしょうか。





11月21日福岡県の岡垣サンリーアイ・ウエーブアリーナ 開館10周年記念事業「元気!アリーナ10周年」で福岡教育大学管弦楽団がロザムンデ序曲を演奏します。その時の紹介のためのMC原稿でした。