音楽学校とは音楽家になるために必要な訓練をする場所という認識は正しい。
が、だから卒業生は音楽家にならなければならない、という認識は疑問が生じる。
その理由の一つには、全員が音楽家になれる訳はないから、ということは誰しも考えつく。こちらは言わば「消極的」な理由。
ハンガリーには、音楽学校がかなりある。しかし、ハンガリーの人口は1000万人ちょっと。普通に考えたら多すぎる学校の数である。
どうしてこのようにたくさんの音楽学校があるのか。
その理由を昔聞いたことがある。
「私達は良い聴衆を育てるためにやっています。」
日本人なら思うだろう。「聴衆の育成まで考えて音楽をやらねばならないものなのか」
答は「やらねばならないもの」なのである。
そもそもヨーロッパはなぜあれほどまでに文化を大事にするのか。
それは、ヨーロッパが侵略、強奪の繰り返しばかり延々とやってきた国々だから、と言えるだろう。
それぞれが自国を守らねばならない時、もちろん軍事力は必須。
そして、その国民が一致団結するために精神面で必要なのが「文化」であろう。文化は国民の心をつなぐ。そのおかげで精神的に強くなれるのである。
だから文化を守るのも真剣だ。
と、いささか話がずれてしまったので元に戻そう。
良い聴衆になるために音楽学校に行くべし、とは私も思わない。勉強の途上で、その選択肢が出ることには大いに賛成だというに過ぎない。文学部に進んだ者が全て文学者や言語学者になる訳ではないように。
より積極的な「聴衆」として評論家や音楽学者の道もある。こちらは演奏家とほぼ同様の努力がいるので、やはり好きでなければなれないだろう。
逆に好きならこの道もある、ということだ。まあ、こちらは「音楽家」の道なのだが。
もう一つ、積極的な聴衆に近いのが音楽プロデュース業とマネージメント業。こちらは、現在のところ人材不足とみている。
こちらも好きでないとできないが、企画から立ち上げて本番が成功した時は、無上の喜びを感じるはずだ。
この仕事、必ずしも音楽学校出身が必須ではないのだが、私は音楽を学校(教育学部を含め)で勉強した人にやってほしいと思っている。
それは、音楽学校で何を勉強しているかを肌身で知っていないと、ちょっとした演奏家の心の機微がわからないと思うからだ。
あるオーケストラが、リハーサルがうまくいって時間より早めに終わった。早く帰る楽員達を見た外部役員「時間いっぱい働かないとは何事か」と言ったそうな。
これがわからない人には、正直音楽業界には入ってこないでほしい。