井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

九州セカンドシティ考2~長崎県佐世保市

2014-03-24 00:28:44 | アート・文化

長崎県のユニークな点はいろいろある。海岸線の長さが都府県一長く、見た目よりも県内の移動にかなり時間がかかる。さらに壱岐、対馬が長崎県になぜか編入され、お互いに(本土側も島側も)不便を感じながらかれこれ一世紀以上の時間が流れている。

その中でセカンドシティが佐世保であるのは、多分衆目の一致するところであるだろうが、他の核になる大村市、諫早市、島原市は単純なサードシティではない。

大村市と島原市は城下町である。それがどうしたと言うなかれ。これは住めばわかり、住まないとわかりにくい、独特の住民感情をひきおこす街の構造であり、全国共通のものである。

一方、長崎市も佐世保市も城下町ではない。どちらも港町で平地が非常に少ないという共通点がある。長崎は誰もが知る、江戸時代唯一の海外への窓口だったし、佐世保は明治に海軍がおかれて、軍港として発展をした。要するに出入りの多い土地柄で、九州の中ではよそ者に比較的寛容なところである。(城下町は寛容ではないのだ。)

そして、長崎市は言わずと知れた観光都市。ナガサキの名前は世界に知られているし、観光客はひっきりなしに全国から訪れる。この魅力は大したもので、今の時期は特急かもめも満席で走る。

だが、佐世保市民はあまり長崎市に行かない。行くなら福岡市。なぜなら長崎市に行くのに2時間弱かかり、2時間かければ福岡市に行けるからである。一方、長崎市民はと言うと、やはりそうそう佐世保市に出かけるわけではないが、大昔には米軍艦エンタープライズが入港している、今でも米軍基地がある、そんなこんなで「佐世保は派手だなぁ」という印象がややあるようだ。県庁所在地の人間が、このようにやや憧憬を以てみる都市は、やはり珍しい。

さらに音楽文化面では、以前から佐世保の方に分がある。長崎市には「公会堂」と「市民会館」があり(普通はどちらか一つだ)、しかも向かいあって建っている。この二つの音響は、全国の市民会館の中で最低レベルの音響であることを、私は大学生の時に知った。「音響学」という講義の中の資料に掲載されていたのである。

一方、佐世保に建てられた佐世保市民会館はコンクリート打ちっぱなしの壁面を適度に使ったもので、多目的の割には音楽的な音響がほど良い感じ。合唱や吹奏楽をやっている長崎市の中高生は、佐世保に演奏に行くたびに、ため息をついたものだった。

時代は平成になり、長崎市には長崎ブリックホールが建てられ、ようやく人並みのレベルに達した(かに見えた)。そして佐世保にも長崎県の文化ホールという意味でアルカスSASEBOというものが建てられた。木を割って作ったブロックのようなものを壁面に積み上げ、全体は船の形をイメージしてあるユニークなデザインだ。私はこのこけら落としに参加したのだが、こちらは九州でベスト3には入る、素晴らしい音響を持つにいたった。

という次第で、いつまでたっても佐世保が優位というのが変わらないのが長崎県事情である。

ちなみに佐世保には佐世保市民管弦楽団があり、時々私も関わらせてもらっている。長崎市には長崎交響楽団とフィルハーモニックオーケストラ・長崎の二つのオーケストラがある。ほか県内には諫早市に諫早交響楽団、大村市にOMURA室内合奏団があり、大村のものはプロフェッショナル集団。だが、佐世保でも諫早でも、他の3団体のメンバーが散見されるのはご愛嬌といったところか。


九州セカンドシティ考1~福岡県北九州市

2014-03-04 23:27:00 | アート・文化

九州のあちらこちらに行き、土地や人々に接すると、その度に、その地独特の個性を感じる。

最近、興味を持っているのは、その県の「第二の都市」の有り様である。通常は「第一の都市」、つまりは県庁所在地が、その県の個性を代表するし、大抵の場合、そこに接するだけでも各県の個性が浮かび上がってくる。

それが基準であることは間違いないのだが、では「第二の都市」を見た時、どうなるか。

これが決して「第一の都市」に準じていないこと、各県少しずつ事情が違うことが度々訪れるとわかる。そして、それは県外の人には知られていないことも多く、同時にそこに住んでいる人も自覚していないことが含まれる。これが面白い。

という次第で、本ブログらしく少々音楽文化のことまで含めながら、今まで見聞した限りの「セカンドシティ」考察を、ここで披歴してみたい。

まずは筆者の住む福岡県から、そのセカンドシティ、北九州市。

極めて人工的な街である。まず、かなり細長い。北端の門司から西端の折尾まで何と30キロある。東京駅から30キロとは、大宮、千葉、立川あたりなのだ。ここを昭和の頃は西鉄北九州線(路面電車)が30キロ走り抜けていた。信じられない長さである。

ちなみに井財野は「西鉄北九州線」という名の子供用ピアノ曲を作った。曲は2分で終わるので、新幹線並みのスピードで駆け抜ける曲ということになるか・・・。

自然発生的に30キロの街ができる訳がない。人工的な街なのである。

昨年が五市(門司、小倉、戸畑、八幡、若松)合併50周年だった。しかし、半世紀たっても合併以前の意識が市民から抜けない。八幡の人は小倉がいくら賑わっても、あまり行こうとしないし、小倉の人が八幡に行くことは無いと言いきっても良い。そして、口を揃えて「門司は遠い」、「若松は北九州だったっけ?」

この意識がイベントを打つ時に、かなりの障害になる。要するに市民は隣町に行こうとしないので、北九州市は百万都市だと思って計画すると、かなりの確率で頓挫することになる。人口数十万の規模の街だと思わないと、どこかに無理が生じる街である。

市民の意識が一つにならないのは、実はもっと根深いものがあって、小倉は豊前国の城下町、八幡は筑前国の漁村、国が違うので一つになる訳がない、という説を唱えた方もいらっしゃった。

まさかそこまで、と言いたいが、現実を見るとあながち否定できない。

ただ、この市民が唯一一つにまとまる瞬間がある。それは「福岡市」に対するライバル意識が顕在化する時。

北九州市が誕生して、何となくめでたかったのは九州初の百万都市になったことである。これがほどなくして抜かれる。これが北九州市民にとっては何となく面白くない。

とにかく行政を筆頭に、あの手この手で福岡市に無いものを何とか作り出そうとしてきている。音楽祭、音楽ホール、どれも福岡市より先行していた。

それでも福岡市との差は開くばかり。それは、やはり八幡でがんばっても小倉の人には通じていないという、前述の「意識」の溝が、どうやっても埋まらないからではないかと思う。

ちなみに北九州市は少年少女合唱団とジュニア・オーケストラの2団体を運営している。それなりの実績も挙げている。福岡市のジュニア・オーケストラが出来ては消えを繰り返しているのと好対照。

市民オーケストラも北九州交響楽団というのがあって、こちらもそれなりの歴史がある。何年か前に40周年誌が作られて拝読したのだが、作曲家の團伊玖磨が自作以外の指揮をした貴重な記録から、誰と誰が喧嘩したまで載っている、極めて興味深いものだった。

また「響ホール室内合奏団」というNPO法人の弦楽合奏団、これはプロの演奏団体として活躍している。

このように、かなり立派な活躍をしている団体もあり、並のセカンドシティではない。県外の方には「九州の中の東京が福岡市で、大阪が北九州市」と説明している。大阪の皆さん、ごめんなさい。