井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

「キャッスル」のコーヒー

2020-11-29 18:24:20 | 日記・エッセイ・コラム
東京芸術大学の音校にある食堂が、最初は旧奏楽堂の裏にあったとは聞いていた。

それは全く知らない。私が知っているのは現在の場所、学生会館の1階、しかし新築2年目くらいの、なかなかにして新しさの漂う場所だった。
しかし、冷房がまだなくて、夏は大変だった。
(ちなみに、当時芸大は夏休みに冷房が入らなかった。)

そして、喫茶室という小綺麗な場所があり、学生のたまり場になっていたのだが、そこではちょっと高級感のあるコーヒーが飲めた。

一般の食器同様、陶磁器のカップなのだが、それだけではなく、当時珍しい(恐らく海外製品の)「コーヒーマシーン」で淹れるコーヒーで、茶色い泡が浮いているやつ。ソフトエスプレッソみたいな感じである。
で、私はこれがあまり好きでなかった。何だかインスタントコーヒーみたいで。

と、そこまでは普通の話だが、この喫茶室で数名集まって打ち合わせをしていると、マスターの豊さんが、そのコーヒーを差し入れてくれることが時々あったのだ。

今でこそ、私はコーヒー中毒なのだが、当時はコーヒーを飲むと腕が震えてヴァイオリンが弾けなくなるので、コーヒーは極めて慎重に飲んでいた。

ありがたいやら、ありがた迷惑やら、私の意識は混乱してくるので、結局喫茶室には安心して入れず、入る時はレモネードを頼むのを常としていた。
レモネード1杯50円だったか80円だったか、とにかく一番安い飲み物である。

よく考えると高いような気もするが、高級感あふれる場所なので、そのくらいは払わねばなるまい。

レモネードと言うと、また思い出したことがあるが、それはまた次の機会に。

「キャッスル」閉店によせて

2020-11-22 22:34:56 | 日記・エッセイ・コラム
馴染みの店ができても、そこの店員さんと馴染みになるのは、どうも苦手である。

東京芸術大学には「大関売店」という楽譜等を売る店があった。大関さんというおばちゃんがやっていたのだが、そのおばちゃんが亡くなった時は、元学長が亡くなるより、大騒ぎだった。

私自身は、この大関おばちゃんに覚えられないように、なるべく寄らないようにしていた。このおばちゃん、黛敏郎先生と仲良しだったし、口を開くと「池辺君は~」とか何とか雑談をする。池辺君とは当時既にテレビドラマの音楽で活躍していらした作曲家、池辺晋一郎氏のことである。

こんなおばちゃんと話すと、いよいよ自分が小さく見えるから、ここで駄弁ったり、店番までするヤツの気がしれなかった。

その隣に「キャッスル」という学生食堂があったのである。
学生食堂、と言って良いのかわからない。普通の学生食堂ではなかったからだ。

例えば、食器が全て磁器製だった。これは声楽科の友人が大騒ぎしたから、初めて気づいたのだが、確かに学食の食器はプラスチック等の「割れない」ものを使うのが一般的だ。
「だから、ここはとても贅沢だ」と、その友人はのたまわっていた。

そのせいか、いわゆる学食よりはやや高めの価格設定。カレーライスが250円。これではわからないか……。

それは大した話ではない。来年閉店するにあたって知ったことは、私にとって衝撃だった。

「キャッスル」がもともと東京駅近くで営業していたのは聞いていた。が、初耳だったのは、
・戦前丸ビルで営業しており、東京音楽学校の先生方から贔屓にされていたこと。
・その先生方から「音校の学生にも本格的な洋食を」と頼まれて、昭和11年から音楽学校内で営業し始めたこと。

こうなると、一つの文化財だ。

例によって、経営する福本家にあまり近づかないようにしていた。
でも、そもそも学食の経営者の名前を知っているだけでも、普通の学食ではないと言えるだろう。
そして、それを私でも知っているくらいだから、そうは言っても様々な思い出がある場所だ。

戦前からあるのを知っていれば、諸先輩にももっといろいろ聞いておいたのに。

まあ、仕方ないので、自分の思い出でも振り返るとしようか。

窓の景色は映画のようで、映画のお金は取らないで

2020-11-09 21:00:25 | 旅行記
これは大中恩作曲《バスの歌》の一節。私はバスに乗ってもそれほど楽しくないが、都会の電車は楽しくてたまらない。

今回久しぶりに京成線に乗った。

成田空港は都心から遠いから、可能な限り使わないようにしているが、時間と値段の関係で、久しぶりに使ってみた。

成田空港なんて10年に1~2回しか使わないから、いつ行っても久しぶり。いつの間にか第3ターミナルまでできていて、そこから駅にたどり着くのが、まず大変だった。

しかし、成田空港に用がなければ乗れない「スカイライナー」に乗らない手はない。

小学生の時、京成上野から出発するのを垂涎の眼差しで見つめていたのだが、爾来、過去1回乗れたかな、という程度。

それに、昔より随分早く行けるようになっている。
「こんなに速くなるものか」と、なんとなく思っていたら、駅の掲示板で、新しい路線を作ってつなげた結果だと知って「なるほど」と溜飲を下げたのである。

4社分の路線がつながってのことだという。どのように路線をつなげたのか、窓越しの線路を凝視してみたが、見てわかる感じではなかった。

しかし、新幹線のように揺れず静かだ。ゲージの広さとロングレールのおかげなのだろうが、今時レールの継ぎ目のカタンカタンという音は、ど田舎にしかないのだろうか。
京成線は、あまり乗ったことがなくて詳しくない。だからこそ、一回一回の乗車経験が貴重である。

それでも都区内に入ると、行ったことのある場所を次々通過するから、その確認で大変忙しくなる。
東京にたまに行くと、電車に乗るだけで何故こんなに疲れるのだろうかと思っていたが、つまりは巨大なテーマパークのアトラクションに乗っているからだ、と遅まきながら今頃気づいた。

例えば日暮里で降りて、山手線を待つホームで、オッと思ったことがある。


奥に「京成線」と書いてある跨線橋の塗装が剥げている。板にペンキを塗るのは昭和の流儀だ。

中央の白い柱は(写真ではわかりにくいが)何と左端が切り取られている。
右端はホームの屋根を支えている。どうか長生きしますように、と柱に祈った。

この柱は私が生まれる前に作られている。
まだ鉄が貴重品だった時代に、レールを再利用して作られた柱だからだ。
国鉄時代か、省電時代かまでは知らないのだが(その後知人より、昭和10~20年代だろうとの指摘があった)、九州にもまだ少し残っている。

これは鹿児島本線鳥栖駅。

プラットホームも電車の床が高くなったのに合わせて、かさ上げした形跡が見える。
こういった風景に私は無意識に挨拶している。
そして、貨物専用線に客を乗せた電車が走ろうものなら、心臓が止まりかけるほどびっくりする。そして自分が一瞬にして老けこんでしまってクラクラする。

でも、東京のように目まぐるしく変化する街に、残り続けている「遺構」のようなもの、私は限りない興味を持ってしまうなぁ。

チェロとトランペットの持ち替え

2020-11-03 20:18:10 | 井財野作品


ついに念願の共演が実現した。
左から西方正輝、エム氏、児島まさ子、原田大志であるが、西方の手にしている物をよくご覧いただきたい。二つの楽器を手にしている。

今年の7月に一人13役のスーパーミュージシャンを紹介した記事を書いたが、9月にその西方正輝氏と直接コンタクトをとり、10月末日には共演が実現してしまった。

文化庁の補助金事業に応募を9月に決めて、中頃に西方氏参加の許諾を得、それから西方氏に合わせて「チェロ、トランペット持ち替え」の曲を2曲、井財野も作ったのだから、井財野もそれなりにスーパーぶりを発揮したかに見える。

しかし、作ったもののうち《ファミス奇想曲》は昨年作ったものの作り直し。《アガスティアの葉》は黒田寛賢氏との合作で、本来なら11月に発表するべきものが、本番がなくなったので、全く手をつけていなかったもの。

全くの0から作ったものではないし、今回はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが天から応援してくれた(と信じている。思う分には勝手である。アマデウスが「神に愛される」なら〈ユージンアマモーツァルト・イザイノ〉か、ナンちゃって)。

だからといって、すんなり曲が出来た訳ではない。
チェロとトランペットの持ち替え曲なんて音楽史上初だと意気込んでいたが、いざ蓋を開けると、想像していなかった問題も浮上してくる。

その紆余曲折は別に述べるとして、今はとりあえずホッとしているところ。

実はまだ文化庁とのやり取りが終わっていない。
書類不備があるようで、まだまだ面倒な作業がしばらく続く。
頑張らねば……。



川崎絵都夫《NANTO奇譚》再演

2020-11-01 21:12:10 | 音楽


川崎絵都夫作曲《NANTO奇譚》のリハーサル風景。10月30日、福岡県粕屋町サンレイクかすやにて。

作曲者は筆者の大学時代の1年先輩で、その頃は結構かわいがってもらった。
そのご縁が昨年、30数年ぶりに復活し、作曲をお願いしたのが本曲である。

川崎氏は近年、純粋邦楽と舞台芸術関係の音楽の仕事が多く、このような西洋楽器の室内楽作品は作りたくてもその機会がないとの事で、喜んで書いていただいた。

氏から「アメリカに行くと1日中ピアノトリオだけを放送しているラジオ局があったりして、それをずっと聴いていると、全然知らない曲がかかったりする訳。その中で短い楽章を集めて作られた物にとても興味深いのがあって、そういうのを作ると面白いかなと思って作りました」という説明を受けた。

「島のフーガ」と言って、琉球音階によるフーガも第5章に含まれている。

昨年11月に福岡で初演したのだが、今度は広く世界に知ってもらおうと、録画録音出版をすることにした。

編集完成までしばらくお待ちいただきたい。