井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

上通アーケード

2017-12-31 18:22:53 | まち歩き
熊本で一番賑わっているのは下通(しもとおり)アーケード。それに比べて少し人通りの少ない上通(かみとおり)アーケード。

そこの中央部は板張りである。今のところ、日本で唯一の板張りで、これはなかなか歩きやすい。

ウッドデッキの材料としてよく使われるイペ材でペルーあたりの南米から輸入されたものだそうだ。
このイペ材、とても硬いそうで、この形に切り出すのも大変だったとか。

ほとんどの市民は、そんなこととはつゆ知らず歩いている。私も今日初めて知った。
昨年の地震にも立派に耐えている(はずだ)。
22世紀まで遺ってもらいたいものだ。


今年もご愛読いただいた皆様、どうもありがとうございました。
来年も皆様にとって良い年でありますように。

旧NHK熊本放送局

2017-12-30 19:56:00 | まち歩き
熊本市中心部の千葉城趾内に半世紀以上存在していたNHK熊本放送局が、2017年6月に移転した。

新しい放送局の建物は、現時点では面白くも何ともない。
一方、この旧放送局は、個人的な思い出もあり、取り壊される前に写真を撮っておこうと思った。(熊本逓信病院は、それをしないで後悔しているので。)

鉄塔の向こう側に見えるのが、再建中の熊本城天守閣である。

一般的には、毎日テレビを観る人でも放送局に行ったことがある人はごくごく少ないだろう。

しかし、アマチュアオーケストラに関わっていると、その練習場所として放送局を使うことが時々ある。
熊本放送局も、その昔、ジュニアオーケストラに所属していた時の練習場所だったので、毎週出入りしていた建物であった。

なので、思い出は尽きないが、それはともかく、今見ると1950~60年代の典型的な雰囲気を持っていることがわかる。

各階にベランダが付いている。これが、あの時代の一大特徴だと思う。今でも霞が関や日比谷の官庁に同様のデザインは見られるのではないだろうか。ベランダか「ひさし」が付いた建物。

この「ひさし」は、夏場の直射日光をさえぎってくれるので、特に九州あたりではとても具合が良かった。

この様式が、その後きれいさっぱりなくなった。
セキュリティ上の問題もあるかもしれないが、まずはそんなスペースがあるなら室内にした方が良いという考え方が主流になったからだろう。

多少遊びの空間があった方が、ゆとりを感じて良いと思うのだが。

ちなみにもう一つ、同市内の旧電報局ビル。電報局というものが存在したこと自体も時代を感じる。

奥の建物は、デザインを合わせて作ったものと思われる。

しかし、この二つを並べると「平凡」という言葉も頭に浮かぶ。

とは言え、どれもいずれ無くなる建物。私としては記録に残しておきたいものなのである。

ポピュラー音楽は消滅しているかも

2017-12-24 09:21:22 | 音楽
小学校の先生になる人のための大学の授業「音楽科指導法」の教科書に「児童達はポピュラー音楽に強い親近感を抱いている」という記述があった。

そこで、受講している大学生に問うてみた。
「では皆さんは強い親近感を抱いていますか?」
手を挙げさせたら全体の1~2割程度。

そんなものかと一瞬思ったが、いや違う。全くわかっていない顔をしている。

「ポピュラー音楽って何だかわかる人は?」

今度は1割以下。
そうだよねぇ、この言葉を巷で聞かなくなって久しい。

「ポピュラー・ミュージックは言い方が少し長いので1960年代あたりからポップスという言い方に段々変わっていきました。ポップスならわかる人?」

ああ、J-PopsやK-Popsのあれか、と推測してくれるかと思ったけど、相変わらず1割以下。これは大変だ。

「ジャズを源流とする音楽の総称として、かつてポピュラー音楽というくくりがあったのです」
と、説明はしたものの、この呼び方は1980年代あたりで事実上終焉を迎えている。

恐らく教科書の執筆者はポピュラー音楽に親近感を持っていなくて、現実の認識がその時代で止まっているのではなかろうか。

だからといって、他にその手の音楽を総称する呼び方はないのである。
とは言え、世の中の方は総称する必要もなくなったから、必要としているのは音楽教育分野だけなのかもしれない。

しかし、児童達が親近感を持っているのはほぼJ-Pops、そしてヒップホップ系のものであって、ジャズやロックはクラシック音楽と同列であろうから、実際にはポピュラー音楽と総称する必要もない。

なので「児童達はJ-Pops等に強い親近感を抱いている」と書けばわかりやすい教科書だったのに、という結論に落ち着く。

いつの間にか時代は変わっている。30年間をいつの間にかと呼ぶ自分も相当なものだが。

踊るバッハ

2017-12-18 08:23:00 | ヴァイオリン
ヴァンクーヴァーに行く旅費を稼ぐために、ヴァンクーヴァーで小規模な演奏会を開いてもらった。

これがまた大変なことが数々あったのだが、その詳細は機会があれば別に述べるとして…

企画側から「(乳幼児も入れる)ファミリーコンサートにしてほしい」という申し入れがあった。企画の当初からではなく、途中からの申し入れである。

それは基本的にはOKだけど、それにバッハの無伴奏曲を聴かせるとは……。どうなるのか、全く見当がつかない。

これが自分の企画だったら、バッハを聴かせるということはしないと思う。
しかし、よくわからないヴァンクーヴァーでやること、よくわからないままやってしまおう、というノリでやってしまった。

ふたをあけたら、聴衆の3~4割は子供、しかし親が隣に座り、きちんとコントロールしている感じ。通路をうろつく子供もいたけど、騒音を立てる子は皆無。

想像以上に静かだったので、かえってこちらが緊張してしまった。この静けさを維持したい。そのためには、みたいなことばかり頭をよぎった。

演奏したのはパルティータの第三番だったが、むしろ私の方が静けさのプレッシャーに堪えかね、ブーレとジーグは予定していた繰り返しを省略してしまうほどだった。

一方、子供達には予想以上に「伝わった」ようである。
知人を通じていただいた6秒の動画でそれがわかった。
プレリュードに合わせて、弾き真似をしていたのだ。

こういう反応は実に嬉しい。
教会で演奏したから、神様が手伝ってくれたかもしれない。
諸条件重なっての結果だとは思うが、子供だからジブリやディズニー、とは限らないことが実証できた貴重な体験であったことは間違いない。

改めて、企画し手伝ってくれた皆さん、集まってくれた聴衆の皆さんに感謝する次第である。

ヴァンクーヴァーはアジア人だらけ④

2017-12-14 07:23:00 | 旅行記
ことほど左様にアジア人の多いヴァンクーヴァーにVicoヴァンクーヴァー・インターカルチュラル・オーケストラが存在している。

日本でこの存在を知ったときは、単純に、様々な民族楽器を組み合わせると面白いと思ったのだろうと想像していたが、ヴァンクーヴァーを訪れ、演奏会場に入って聴衆の一員となると、全く違うことを感じるようになった。

リハーサル終了時の写真


この日はチャイニーズ特集で、チャイニーズの歌と楽器が中心だった。

通常はベトナム楽器のダンバウとペルシャ楽器のサントゥール、それに和楽器の箏、簫などが入るそうだ。

なぜかコリアン楽器はない。

が、そのことを除くと、市街地で見かける人種と相似形を成していることがわかった。

つまり、ヴァンクーヴァーの現在を表現するには、必然的にこの編成にたどり着くと言っても良いだろう。

そして、このアンサンブルがうまくいくことは、多民族がうまく共生していくことにつながっていきそうだ。

それに気づいた時、私はちょっと感動したのであった。

以下の写真は本番終了時のもの。わざわざ「皆さん、写真をどうぞお撮りください」とアナウンスがあった。