出会いの話がかなり脱線してしまった。閑話休題。
パーシー・フェイスの次はNHKの名曲アルバムという番組。これで「この曲はクラシックなんだ」ということを知るのである。 というのも、冒頭の旋律は遥か昔から記憶していたからだ。「窓をあけて待ちましょう~」云々の歌詞とともに。NHK「みんなのうた」で放送されたものと思いこんでいたが、手元の楽譜集に載っていなかったので、何故知っていたのか今となってはわからない。
仮に知らなかったとしても大変親しみやすい旋律で成り立っている曲だ。もっと有名でしかるべきなのに、日本では楽譜も録音も手に入りにくい。
これは自ら演奏の機会を作るしかない、と長年思っていたのである。ようやく実現の運びとなった。皆さん、是非聴きに来ていただきたい。
これがブームになったことがあったのである。たかがBGMと言うなかれ。今でも街頭で、店内で、ポール・モーリアは頻繁に耳にする。しかも世界中で。ベルリン・フィルでは考えられない。
それで約30年前のブームの頃、アレンジが秀逸なのはパーシー・フェイス、時に新鮮な好盤があるのがポール・モーリアなどと取り沙汰されていた。すでにパーシー・フェイスは亡くなっていたにも関わらず、である。
そのポール・モーリアの名前が師匠の口から飛び出してびっくりしたことがある。思わず「先生もその類を聞かれるんですか?」と尋ねたら「パリにいた頃はそんなのばっかり聞いていたよ。友達も入っていたし。」 そうか、ポール・モーリア・グランド・オーケストラの音はパリ音楽院の音だったのか…。心なしかポール・モーリア・サウンドが上等なものに響いてくる。
そのポール・モーリア氏と偶然出会ったことがある。場所は大阪グランドホテル、時間は朝食時。またまた偶然にも大学で一年上の先輩にもそこで出会った。私はブロードウェイ・ミュージカルのオーケストラの仕事で来ていた。先輩はもしかしてポール・モーリアですかと尋ねたら、ここにいることは内密にしてほしいなどと言われ、話題は何故かパーシー・フェイスの話になっていた。
パーシー・フェイス楽団はパーシー・フェイスの死後も活動を続け、今でも存続しているはずだ。その先輩はそこのエキストラ奏者として演奏したことがあったらしい。 「みんなすごく上手いの。とにかく音程がいい。」音程を外す日本人奏者は何回も駄目出しがあったとか…。こちらはこちらでハイレベルな話である。
今思い返すとポール・モーリア楽団に日本人エキストラ奏者が入っていることを一般に知られてはまずいから口止めされていたのだろうな、と思う。 そのポール・モーリアも今年お亡くなりになった。口止めももう時効だろう。
しかし始めに述べたように、その音楽は今でも立派に生き続けている。そしてそこにはたかがBGMでは済まされない奥の深さがある(と私は思っている)。ポール・モーリア、そしてパーシー・フェイスよ、永遠に!
2006年6月24日、フーゴー・アルヴェーン作曲の「夏至の徹夜祭」(スウェーデン狂詩曲)を演奏(指揮)することになった。ただいま勉強中だ。
この曲との出会いは約30年前にさかのぼる。長崎の中学生だった頃、輸入盤LPのセールで買った2枚のうちの一つに入っていた。といっても編曲もの。長崎でやってるセールにまずクラシック音楽のLPなんてある訳ない。と思っていたが、全くない訳でもなかった。
しかし私が買ったのはパーシー・フェイス・オーケストラ。当時カラヤンがいいかベームがいいかも話題だったが、パーシー・フェイスかポール・モーリアかという論争もあったのだ。そのアルバムの最後に入っていた。
…続く…
今、佐世保にいる。アマチュア・バイオリニストのW氏を含む人々と飲んでいた。W氏は福岡在住なのに福岡以外で顔を合わせることが多い。 W氏は工学部の先生だから、音楽であろうとギリギリまで理論的に把握することを追求する。私も今は忘き父が工学部卒、理論的な追求には関心がある。 で、本日のテーマは聴衆は何に感動するか?(いきなり大上段!) 結論から述べれば「意思(気持ち、気)のはいった音による音楽」に感動する、というのが私の考え。気のはいった音を聴くのは快く、それが緩急自在に変化すると感動に至るのでは、と思っているが、どうだろう?