井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

歌の力

2009-12-31 14:37:52 | 音楽
 60年前に様々なものが始まったようで,今年はいろんな60回や60周年があった。NHKの「紅白歌合戦」もその一つ。NHKが総力をあげて盛り上げようとしているように見受けられる。

 過去の映像を引っぱり出して,紅白の栄光の歴史を見せてくれるのも然り。私などは,過去の紅白の方がおもしろかったので,そんなものを見せられたら,今年の紅白の興味が減っていくのだが…。

 見たことのない映像も当然ある。そうか,昔は,ゆうきみえこさんは歌手だったのか,「城ヶ島の雨」を歌っていたんだ・・・と思いきや,どうも違うみたい,と途中で気付いた。歌手は現在の人らしい。日本人ではないのかもしれない。「城ヶ島の雨」ではなくて「歌の力」という60回に合わせて作られた歌のようだ。

 どう聴いても「ふーねはゆくゆく~」に聞こえる。「城ヶ島の雨」の後半,長調に転調した部分だ。

 まあ良いでしょう。人が心地よくなれる音の並びには限りがある。何と似ていようが,今年の紅白がこれで盛り上がれば良いのだ。

 しかし「歌の力」などという気負ったタイトルにしなきゃ良かったのに,とも思う。「城ヶ島の雨」は1913年作だそうである。そろそろこの歌の寿命は百年を超えようかというところ。これこそ凄い歌の力だ。「『歌の力』の力」はどのくらいでしょうか?


検索ワード

2009-12-28 23:17:34 | ブログ

 「琉球頌(りゅうきゅうしょう)」の問い合わせが多いので,含まれる楽曲の解説だけ復活させました。

 ところで,このブログがひっかかる検索ワードを見ると,勉強になるものあり,笑ってしまうものありで,なかなか面白いのです。

 不可解なものもあります。
「ブラームス交響曲第4番 終着駅」

 何ですかね?

 「終着駅はヴィヴァルディ」というのは書いたけれど,ブラ4ですか?

 第4楽章の最初の変奏が音階を下行する音型。「終着駅」(浜圭介作曲,奥村チヨ唄,のことだと思うけど)も下行する音型でできているけれど,ブラームスに結びつけるには,ちょっと無理があるのではないでしょうか?

「雨の慕情 コード進行」

 この曲はバッハだと書きました。バッハと似ているのは旋律の動き方で,コード進行だとやや論点がずれるでしょう。しかし,こういう検索をされる方がいらっしゃるのですね。この曲も浜圭介作曲です。浜圭介さんはクラシックの素養がありそうに見えますね。でもそのような証拠は全くありません。恐らく,曲作りを真剣にやった挙げ句の到達点はクラシック音楽と同じ境地だったということなのではないか,と推察する次第です。

「ガ-シュイン ゴーストライター」
 これは可能性が無いでしょう。初期にオーケストレーションをグローフェが担当したことはありますが,ゴ-ストライタ-が必要なことは全くなかった,と井財野は断言したいと思います。

「バイオリン 小学生が弾く曲」
 これは興味深いですね。次の機会で,じっくり検討したいと思います。


嬉遊笑覧

2009-12-28 22:24:18 | 琉球頌
 この曲を作るにあたって考えたことが二つある。
 一つ考えたことは、世の中のヴァイオリン曲のピアノ・パートは、音が多い曲が多すぎる、もう少し減らさないとヴァイオリンと対等になりにくい、だから世の中にはうるさい音で弾くピアニストが多いように見えるけれど、あれは作品に問題がある、という見解に立った作品を作りたかったということだ。

 二つめは、小学生でも弾けるように、ということも考えた。ヴァイオリン・ソナタはバロックのソナタ以外は、ほとんど全て大人の音楽になってしまい、二重奏を楽しめる、しかも技術的に困難の少ないものというのはないに等しい。

 それで、ピアノ・パートはほとんど7度以内の指の開きで弾けるようにし、ヴァイオリン・パートも高音域を控えめにした。けれど、やはりラヴェルの「マ・メール・ロワ」や「左手のための協奏曲」には遠く及ばなかったようだ。これについては次の機会に考えたい。

 曲は3楽章構成で、すべて、沖縄の旋律が基になって作られている。ちなみに「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」とは江戸時代の本の題名で、当時のわらべうたやこどもの遊びを集めた内容のものである。

 1998年3月に九州作曲家協会「スプリング・コンサート」でも披露した。その際ピアノを弾いてもらった作曲家の二宮毅氏から「5度の下方変位が多いですね」との指摘があった。それまで全く意識しなかったが,そう言われれば確かに多い。偏愛と言っても良い。(皆さんお好きだと思うのだが……そんなことはないか)

 この曲は井財野作品の中で演奏回数が最も多い。そして多くのピアニストから「小学生には弾けないよ」と断言された。しかしここで気づいたのは、彼等は「おもしろく」聞かせるために「速く」弾くのであった。私が考えた小学生用の「のんびりした」譜面は、専門のピアニストの手(目)にかかると、「速い」テンポの曲に見えるようである。私もその「速い」テンポに慣れてしまったので、今さら小学生向きのテンポに戻れなくなってしまった。という訳で、当初考えたことは変容してしまい、次の機会も来ることなく今にいたっている。

 引用した歌は「耳切り坊主の子守唄」「わーっくぁ/あみどーい/牛もーもー」「西武門(にしんじょう)節」「白浜節」。いずれも沖縄では割と有名なわらべうたと民謡。ぜひ聴いていただきたい。


みみぐすい

2009-12-28 22:21:45 | 琉球頌
 沖縄関連の楽曲は、この曲が最初のものである。きっかけは1990年、沖縄県浦添市で開かれた「わらべうたコンサート」に演奏者として参加したことである。沖縄のわらべうたと宮良長包(沖縄のフォスターと呼ばれる作曲家)の唱歌をソプラノ歌手が小オーケストラ伴奏で歌うのであるが、まず内地日本の感覚では「わらべうた」でコンサートが成り立つこと自体が、非常に珍しく感ぜられる。本土では成立しないかもしれない。ところが沖縄では立派に成立するどころか、最後には聴衆全員が大声で斉唱する感動的な一夜になるのである。

 その感動をさらに高めたのが、当夜の編曲であった。編曲者は琉球大学の当時助教授であった中村 透先生である。この編曲の素晴らしさに耳を奪われた。と同時に、手法を大いに学んだ。琉球音階は西洋音階のド-ミ-ファ-ソ-シに近い。そうすると長三和音、いわゆるドミソを沖縄民謡と同時に鳴らしても、あまり違和感がない。その長三和音や長七の和音を堂々と使っているところが、すばらしいと思った。

「この手法を使えば自分にもできるかもしれない。自分でも作ってみたい」と思って作ったのがこの「みみぐすい」である。「みみぐすい」は「耳薬」で良い音楽や良い話のことを指す。

 この曲には自作の主題三つの他に五つの沖縄のわらべうた(花ぬ風車、てぃんさぐぬ花、べーべーぬ草、じんじん、えんどうの花)が織り込まれている。10分の作品にしては、この数はかなり多い。それは統一感を欠いたものになりやすい危惧はあるのだが、非西欧型の手法として、私なりの一つの提示もしたかったのである。

 お陰さまでこの曲は、1991年琉球放送主催創作芸術祭にて芸術大賞を受賞した。井財野友人20代最後の作品、エポックメイキングな曲であるのだが、今考えると,冨田勲の「勝海舟」の影響が濃かったりして若気の到りをも感じさせ、気恥ずかしいことおびただしくもある。


あかいんこ

2009-12-28 22:20:14 | 琉球頌
 「あかいんこ(赤犬子)」とは、沖縄中世の楽聖と呼ばれた人物である。15世紀頃までの沖縄には、歌を作っては歌い、放浪する吟遊詩人のような人々が大勢いたという。そして15世紀末、三線を弾きながら巧みに歌う「あかいんこ」が現れたという。
 沖縄に行くと様々な「赤犬子伝説」が伝わっている。しかし、全てが本人のものではなく、様々な吟遊詩人の話が集大成されたもの、という見方が一般的である。
 さらに、この曲は特にその伝説に基づいたものではなく、あくまでも抽象的な絶対音楽のつもりである。室内楽編成のヴァイオリン協奏曲とでも言うべきスタイルをとっている。独奏ヴァイオリンにフルート(疋田美沙子さん),クラリネット(河端秀樹さん),ヴィオラ(増田喜代さん),チェロ(長明康郎さん),ピアノ(丸山滋さん)の6人で演奏する。長明さんは東京の仕事をいくつも断っての来福,昨日のフォーレでも大活躍。河端さんと丸山さんも東京からの参加で,気合いの入れ方が半端ではない。演奏準備は万端と言って良いだろう。
 内容を敢えて文学的に表現するならば、第1楽章は、「あかいんこ」のルーツはヤマトにあったというフィクション、第2楽章は沖縄の夜の海辺で「野遊び(もーあしび、即興の歌合戦)」における天才ぶりをクールに発揮する「あかいんこ」、第3楽章は現代に通じる「あかいんこ」の精神、活力、とでもいえるだろうか。
 作曲当初から、これはいつかオーケストラに書き直したいと思っていた。それが実現したのは2001年。ハンガリーのサヴァリア交響楽団定期演奏会(指揮:井崎正浩)に招かれた時にオーケストラ版を演奏した。また第2楽章だけ能舞と合わせて演奏する試みも何度か行った。そのような次第で比較的演奏回数の多い作品である。そして折を見て沖縄へ飛び、読谷村楚辺にある「赤犬子宮」に参拝し、霊前に報告することもしばしばである。