井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

内閣官房副長官補>内閣総理大臣

2020-04-29 22:51:29 | 国際・政治
ショックな事を知ると、当然のようにこのブログを書くのも止まる。

昨年5月、日本人一人あたりのGDPが世界で26位にまで下がっていたことを知った時もそうだった。(現在はもっと下がっている。)

先週、首相でもその人の言うことに従わざるを得ない存在というのを知って愕然ときた。

内閣官房副長官補、という存在である。

内閣官房副長官が3人いて、そのうち一人が内政担当。現在はスギタさんという人だ。そしてその補佐官がフルヤさんという人。財務省OBで、事務次官級とのこと。

このフルヤさんが、現在必死で財務省の権益を守っているそうだ。国民はどうなっても良いようで、安倍さんも逆らえないとのこと。

もしフルヤさんがOKを出したら、消費税減税など簡単に決まるそうだ。

その昔、第二次大戦で大本営が滅茶苦茶な戦略を立て、おかげで日本を敗戦に導いた時と相似形のように思う。

大本営で作戦を立てていたのは中野学校出のエリートらしいが、実戦を知らないエリートさんの作戦だから、日本は滅茶苦茶な負け方になった。
そして、その責任をとった形跡もないし、もちろん日本史の教科書にも出てこない。

消費税は2度増税を延期して昨年増税が実施された。リーマンショック級の事でも起きない限り、増税は実施する、ということで実施されたが、リーマンショック以上の打撃にも関わらず、減税に踏み切らないのは、このフルヤさんがダメと言っているかららしい。

予測では昨年の増税でGDP7%減、現在は25%減という見方も出ている。

それでも財務省の権益を守るフルヤさんは、大本営で作戦を立てていた軍人さんとダブって見える。

お願いだから目を覚まして、国民の事を考えて!

この際学校は一斉に秋入学にしよう

2020-04-20 19:15:24 | 受験・学校
これは私のアイディアではない。
たまたま佐藤優氏の動画を見たら、このような提案があった。

これは良い、様々な問題が一辺に解決する、あるいは解決に近づく。

4~5カ月あるから、その間にそれこそ特別な予算を組んでもらって、可能な限り遠隔教育ができる準備をすると良い。

諸外国との留学もやり易くなる。

皆さんで声をあげましょう!

コープランド:静かな街

2020-04-18 23:10:56 | オーケストラ
トランペットとコーラングレがソリストとしてフューチャーされる管弦楽曲、元々は映画音楽である。

1980年代後半、まだコープランド存命中、演奏したことがある。
正直言って、何が面白いのか、さっぱりわからなかった。

それが変わったのは、それから何十年も経った時である。何かのテレビ番組で、朝の人通りの少ないニューヨークの映像のBGMで使われていた。
これが見事にぴったり!コンクリートの建物が並ぶ街並みの無機質ながらも透明感があり、それなりの美しさが表出している映像なのだが、それを音楽が共に演出を強めていたのだ。

トランペットもコーラングレも弦楽器も別々に扱われることが多く、それが都会の寂寥感のようなものを巧みに表現している。急にこの曲が好きになったのであった。

さて、現在緊急事態宣言が出された日本で、人通りが激減した街並みを見ると、この曲をふと思い出した。

街並みが別の顔を見せて、それなりの美しさが感じられたし、コープランドの音楽がぴったりの光景ではあった。

コープランドの偉大さに触れた思いがした。

この風景、個人的に嫌いなものではない。

だけど、人通りの復活は切に願うところである。雑踏はアジアの原風景だ。失われてはならない。

狩猟民族VS農耕民族

2020-04-16 00:34:12 | 国際・政治
武漢ウィルス騒ぎで、我々日本人はやはり農耕民族なのだなあ、と改めて思い知らされた感がある。

欧米は騎馬民族であり、牧畜民族であり、狩猟民族、それらの末裔と言える。
彼らの行動は速い。瞬時を狙わないと獲物は捕れないから。

一方農耕民族にスピードは必要ない。
その代わり、協調性が必要になる。田植えを一人でやっていたら大変だし、川の水を一人で引っ張ってくるのは効率が悪すぎる。
もちろん家単位で多少の違いはあるが、隣が始めたらウチも始めよう、で大抵間に合う。

このスピード感があまり無い農耕民族暮らしが千年以上も続いているから、日本人には染み付いて離れないところがある。

今回の敵はウィルスだ。狩猟民族の判断は速かった。(遅かったところもあったけど。)直接のウィルス対策だけではなく、保障関係の判断も。

一方我が国は、何かにつけて時間がかかる。
農耕民族だから仕方ないかな、と思わなくもないが、それで死んでしまっては話にならない。

次に心配なのは、この騒ぎが収まっていることの見極めの遅さである。
ヨーロッパは、死者感染者、共に減少に転じたそうだ。

「日本だけがまだ自粛を続けているよ、あいつらほっとこうぜ」とならないことを切に祈る。

シャルル・ド・ベリオ:協奏曲第7番

2020-04-12 20:42:54 | ヴァイオリン
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲が弾けるようになって、次はブルッフかラロか、と行きたいところ。実際行く人も多い。

が、ここには深くて大きい谷がある。

ブルッフの協奏曲、ラロのスペイン交響曲、いずれも速足でかけ上がるアルペジオがある。
ブルッフには三重音の連続、ラロにはハイポジションとの往復、いずれもモーツァルトには出てこない。

この対策として、以前から「大量のアルペジオ練習」をお勧めしていたし、私もそうしていた。

この方法の弱点は、アルペジオ練習の必然性が生徒さんにわからないことである。

やはり、ブルッフほど難しくはないアルペジオが含まれた曲を並行して練習する方がわかりやすい。
そういう曲があまりないから「では作るか」と思って、昨年末から取り組んでいたのだが……。

なるべくテレワーク、になった今、かねてから気になっていた楽譜達を眺め直した。
シュポア、ロード等の協奏曲である。

……私が考えることなど、百年以上前の先人達も考えていたことがよくわかり、とても恥ずかしかった。



タイトルにまず
《CONCERTSTUDIEN No.6》
とある。
イタリア語とドイツ語がチャンポンの造語だが、直訳で協奏曲練習曲、つまりエチュードコンチェルトとでも言ったらわかりやすいだろうか。

下に小さく書いてあるのは「ライプツィヒ王立音楽院の要請に応じて」のようなこと、そして校訂がフェルディナント・ダーヴィト。

つまり、当時は盛んにヴァイオリン作曲家の先生方が、学習者のために練習用協奏曲をせっせと書いていた事がわかる。

ダーヴィトが手を入れた物は、ほぼ必ずアウアーが目を通しているはずだ。そして恐らく全生徒に練習させているに違いない。
というのも、私はアウアーの孫弟子にあたる人に3人も習ったことがあり、私も練習したからである。

しかし、私はこのあたりの協奏曲が嫌いだった。ちっとも良い曲だと思わないし、ヴァイオリンを弾く人以外誰も知らない曲をなぜやらなければならないか、必然性を見いだせなかったからである。

自分が嫌なものは、人にもさせない。道徳的には極めて正しい行動である。

が、これらの楽譜を前にし、私が「実は善き伝統」を絶ちきってしまっていたことに気づかされた。

というのも、曲を次から次にやりたがる人も決して少なくないし、無味乾燥な音階よりもそちらの方が練習して上達するタイプもあることが、今更ながらわかったからである。(何回やっても正確な音階を弾けない生徒さん、しかし曲になると極めて練習してくるのである。)

そうやって改めてみると、標題のベリオの7番、なかなか良い曲だ。適度なアルペジオや音階も織り込まれている。

私はいやいややっていたけど、みんながそうだとは限らない。
そこに早く気づくべきだったが、今からは、これを活用せねば、と強く思ったテレワークの1日であった。