井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

モーツァルトが嫌いなトランペット

2017-07-27 21:52:00 | 音楽
モーツァルトはトランペットが嫌いだったという説がある。
しかし、当時トランペットは打楽器の亜種扱いが普通だったから「仮にモーツァルトがトランペットを好きだったらどうなるか」と考えても、結果はあまり変わらないような気がする。

当時のトランペットは音階が自由に吹けた訳ではないから、打楽器的な扱いになってもやむなし、と思っていた。

しかし、ある時思った。

金管楽器を弦楽器に調和させるのはとても難しい。モーツァルトの周囲の金管奏者は、調和しない音しか出せない人たちばかりで、ついにモーツァルトはトランペットが嫌いになったのではなかろうか、と…。

金管楽器は高い倍音成分がかなり強いのが特徴である。その高い倍音と音量を減らせば、弦楽器にもかなり調和するはずだ。

現代でも、古典派の作品を演奏する時は、それが求められる。
そうでないと、弦楽器がどれだけ美しく演奏しても、結果的にそれを壊してしまうだろう。モーツァルトならずともトランペットを嫌いになってしまうかも…。

そんなことを、とある演奏を聞いて考えてしまった。

白木原商店会ありがとうございます

2017-07-23 13:10:00 | 日記
焙煎士チャンピオンのいらっしゃるコーヒー店にはなかなか行けないでいるが、白木原は時々通過する。

ところで西鉄大牟田線とJR鹿児島本線を乗り換えるのは、あまり容易ではない。ライバル会社同士?利便性を敢えて考えていないかもしれない。

その「便利でない」乗り換えの一つに、西鉄白木原駅からJR大野城駅というのがある。その乗り換えを時々利用する訳だ。

最近、スコールというのか、ゲリラ豪雨というのか、突然の雨が福岡近辺でも時々降る。降水確率10%の時、大抵傘は持ち合わせていないものだが、その10%に当たることがあるのだ。

ヴァイオリンを持ち歩くと、どうしても荷物は増えるから、できれば傘は持ちたくない。
なので、突然の大雨は頭を殴られた気分。

それで先日、白木原駅に降り立ったら大粒の雨!前の駅では全く降っていなかったのに…。

ところがありがたいことに、白木原駅にたまたま「無料レンタル傘」があったのである。



本当にありがたい。白木原商店会の提供とのこと。それで、大野城駅まで傘をさして行くことができたのである。

そして再び電車に乗ると、次の駅ではもう晴れていた。その程度の雨だったので、なおのことこの傘はありがたかった。

今度は白木原までコーヒーを飲みに行きますので…。

福岡コーヒー事情

2017-07-19 19:20:00 | 日記・エッセイ・コラム
「あ~果てしない~」で始まる「大都会」という曲、日本人なら誰もが東京のことを想像するだろう。
それが実は福岡のことだった、と先日何かで聞いた。

この気持ちは長崎あたりに昔住んでいた人でないとなかなか「わっかんねえだろうな~」と思う。
博多駅を降りると正面に黒っぽいツイン・ビルがドンとそびえていて、その前を忙しく車や人(かつては路面電車)が往来している光景。「感動したけんね」とかつての級友が言っていた。

さてその後、東京や大阪を知ると福岡はせいぜい小都会。まあ全てがそこそこ揃っていて、しかし文化面ではなかなかパッとできない、という認識を私は持っていた。

ところが、また別の級友で現在付き合いのある友人によると、福岡は全国的に見ても良い所だと思う、と言いだした。

キーワードは「コーヒー」である。

まずバリスタとして昨年全国で2位に輝いたイワセさんが、福岡市薬院のRECコーヒーにいらっしゃる。

ついで焙煎士のチャンピオン、ゴトウさんが福岡近郊の白木原、豆香洞にいらっしゃる。

さらに鑑定士のチャンピオン、タハラさんが太宰府市の蘭館にいらっしゃる。

おまけにと言っては失礼だが、ラテアートの九州チャンピオンも福岡市のTOWN SQUAREにアンドウバリスタがいらっしゃる。

どうだ、なかなかだろう、ということだ。
なるほどね~。

架空の映画のための音楽

2017-07-14 20:22:47 | 映画
映画音楽ではないが、NHK大河ドラマの音楽も昔から人気がある(と思う)。
多分、日本で一番お金をかけて作っているテレビ音楽?だ。
だから面白い、とも言えるだろう。

しかし、かつてそれを素直に面白いとは言わない集団があった。
私が学生時代の作曲科の学生達である。

「大河ドラマ風」という表現は、良くて自分の作品を卑下する言い回し、多くはコソコソと冷笑する時に使われた。
いわゆる「前衛的」あるいは「難解」でないものには価値がない、という見方が多数を占めた時代だった。

おそらく今はもっと自由にやっているだろうと想像するが、上述の妙な考えが消えないおかげで、いわゆる「大河ドラマ風」の管弦楽曲が作られることはあまりない。

そして、人々が聴きたいと思うような音楽を作ることが難しくなってしまった。変な時代である。

だが、映画音楽ならば前衛的にも大衆的にも作ろうと思えば作れる。

なので、いっそのこと「映画音楽です」と看板を掲げて新作を発表してみたらどうだろうか。
「夏目漱石の映画音楽特集」とか「松本清張サスペンスミュージック」とか、なかなかキャッチーにできそうな気がするが…。

映画音楽というジャンル

2017-07-12 20:14:00 | 映画
20世紀後半には確実に存在し、隆盛を極めていたと言えるだろう。
ジャンルと言ってしまうと誤解も生じやすい。クラシック、ジャズ、民族音楽、と中身は何でもありなので、カテゴリーとして緩やかにまとめられているに過ぎない。

先日、あるアマチュアオーケストラの演奏会で「1950~1960年代映画音楽メドレー」と「1970~1980年代映画音楽メドレー」というものが演奏された。

やはりそうか、と思わざるを得ない。少なくとも我々の年代が想起する映画音楽はこの時期の音楽で、アナ雪やハリポタではない。
そして「名曲」が集中して生まれた。

そして、なぜかこの後の時期の映画音楽はどんどんつまらなくなっていく。

いくつかの理由が考えられる。
・予算が小さくなっていった
・優れた作曲家がいなくなった

本当にそうなのか、なかなか確信が持てない。
というのも、20代以下が楽しんでいる音楽の良さが、こちらには全く伝わらないからだ。
あれが良いのなら、これ(20世紀後半映画音楽)は面白くないのかもしれない、と思ってしまう。

どうなんだろうか。