ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

続・芸術家の品格・・・オペラ歌手編

2009年02月07日 | オペラ
音楽の世界の「品格」って、その芸術家の品格というのでなく、その芸術を鑑賞した人が崇高なものを感じる時、と思います。
「時」と書いたのは「いつも」ではないこと。
たとえばあのカップッチッリだって、ガラ・コンサートで最初に「オテッロ」の<イアーゴの信条>を歌いましたが、声は素晴らしいのになぜか・・・違うのですね。
続いて「アンドレア・シェニエ」のジェラールのアリア<祖国の敵>を歌った時、言葉につくせない喜びと感動を受けました。
声の高潮とともに心も痺れて、拍手を一瞬忘れてしまうほどでした。
そのコンサートは他の有名歌手も出ましたが、今はあのカップッチッリの堂々たる歌だけが耳に残っています。

カラスが来日、そしてあんなに憧れたディーヴァの姿が現れた時、まるでリンクへ向かう女子プロレスのような大股で乱暴に歩き、「確かに乱暴だけれど、彼女は<カラス>だもの、そのうち魅了してくれる、彼女はディーヴァだから」と期待していました。
声が衰えていても「それ以上のものを与えてくれるに違いない」と、まるで信仰のように考えていました。・・・でも彼女は「ぬけがら」でした。プライドだけがハナにつきました。それでも彼女の全盛期の録音を耳にプラスさせて聴きました。
その後、私の「信仰」は続き、パリではカラスの住んでいたマンションまで行きました。せめてもの思い出に、とマロニエの葉を手帳にはさみました。

でも、彼女の全盛期の録画を見た時、あの「歩き方」は同じでした。
あれは彼女そのものだった、そして歌も「一人称単数」で、いつもいつも「わたしが」でした。急速にカラスへの憧れはさめていったのです。
彼女は人間としての「愛らしさ」がない、やがて大切にしていたマロニエの葉を捨てました。

名舞台人は、まず「愛らしさ」がなければ、と思ったのです。
ホールを圧倒するニルソンやコッソットでも、どれほど「愛らしい」でしょうか。
それは媚びるのでなく、こぼれるように自然に出てくるものでした。

スカラのロンドン公演でカラスが「夢遊病の女」の最終回をキャンセルして、あのオナシスと船で遊んでいた事件、あれは朝青龍どころではありません。「私はラストの回まで歌うとは知らなかった」と言ったそうですが、まるで他人事ではありませんか。そんなことは通用しませんし、彼女のキャンセルで代役に選ばれた当時19歳のレナータ・スコットのあまりにも素晴らしい(私はそのライヴを聴いて驚きました。まるでストラディバリのレガートではありませんか。)完璧な歌にロンドンの聴衆は狂喜したというのです。

有名で、さらにマスコミが騒いでいる、ということを真に受けて、とても恥ずかしく思いました。
ヴェルディではステッラが声質・声量、演技力も含めてはるかに上です。
カラスの声は周囲と溶合わないのです。

カラスをカルーソやシャリアピンのような大歌手以上だと、のたまう批評家もいましたがそう思うのは勝手です。その人は確かにそう思ったのでしょう。

ただ、カラスがカラスとして不朽の名を残したのは「ノルマ」でしょう。
そして「メデア」、これは私もそう思いますが、好きではありません。

スリーテノールのパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスは、その前の世代のコレッリ、ベルゴンツイ、クラウスの三人の歌の気品に遠く及びません。カレーラスは重い役を歌いすぎましたし、ドミンゴは声は贅肉でいっぱい、パヴァロッティは天性の美声ですが、ピアニッシモが裏声、さらにどんな役でも「楽しすぎる」かな?イタリア民謡はディ・ステファノと双璧を成すのですが、ディ・ステファノの巧みな言葉の表現はカレーラスに受け継がれたように思います。

芸術家、オペラ歌手の品格というには「そのとき」ではなくて、ずっと後年わかるのだと思うのです。

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 芸術家の品格 | トップ | 負けて悔しがる朝青龍 »

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど… (y.a)
2009-02-08 00:22:33
ベッラカンタービレ様
お返事コメントありがとうございます!
オペラ歌手の品格は「そのとき」ではなく後になってわかる…というのはすごくわかる気がします…。
だからこそ長年の積み重ねが大切で精神的、身体的にも強さを要しますよね。
日々自分に負けそうになりながら踏ん張ってますm(_ _)m
私は今学校では、アリアですとベッリーニの夢遊病やヘンデルのジュリアスシーザーのクレオパトラのアリアなどやってます。
でも本来自分のやりたいものとは違います。
なぜ大学の先生はソプラノというと軽く明るく歌わせようとするのでしょうか…。
私の憧れている歌手はまさしくレナータスコットです。あの技術を手に入れたい…。
ベッラ様もリリコスピントと伺いましたが、すごく聞いてみたいです!!!
長々すみません(+_+)
レナータ・スコットのこと♪ (ベッラ・カンタービレ)
2009-02-08 04:10:58
スコットは「ルチア」で来日、ベルゴンツイと朗々と歌って聴衆を感激させたのは昨日のように思います。
当時の批評家はスコットがレッジェーロでなく、リリコ、またはリリコ・スピントの音色で歌っているのに注目しました。彼女はロンドンでカラスがキャンセル?した為、急遽代役を歌ったのが19歳、その時の歌をきいてみますと、30代で歌った「ルチア」と同じレヴェルでした。
もうすでに完成の域だったように思われます。

彼女のご主人はスカラのコンサートマスターであり、ソリストとしても有名なアンセルミで、彼女にひとめぼれ、ヴァイオリンの技法の持つカンタービレを彼女に教えたといいます。彼女の発声の基本は暗い響きから口をあまりあけずに言葉を発する、これぞ伝統のベルカント、失敗した人は「含み声」になりますが、彼女はシミオナートのように自然な発声です。最初は軽いメッゾだった(ベルガンサのレパートリーに近かったのでは?)とききました。
ソプラノとしても最も軽いレパートリーからはじめたようです。そして年齢とともにだんだん、重いレパートリーを開拓、やがてカラスに迫ります。

彼女の練習は聴いている人を震えさせるほどすごいものらしいです。また読書や絵も熱心で、60歳をすぎて、バレエとドイツ語を習い、さらにステージマナー、レパートリーを広げたということです。

若い時はあまり重いレパートリーを歌わず、発声・呼吸法(カップッチッリは6年もそれを勉強、プロになってその理由がわかったといいます)

とにかく若い時はたくさんのレパートリーを暗譜すること(トシ取っては無理、突然の代役、できる様に)、地味な基礎基本をモノにすること、音楽以外の知識や教養も楽しく身につけること、・・・など、思いつく限りのことを書きました。ご参考になれば幸いです。若い才能を大切になさって下さい。
ありがとうございます!! (y.a)
2009-02-08 23:48:51
本当にたくさんの知識と教養を持っていらっしゃるのですね。
すごく勉強になります。スコットの19才のルチアと30才のルチア私も聞き比べたいと思います。
それにしてもすごい努力ですね。
数多くのオペラを暗譜すること…卒業までに少なくともオペラで3つの役を歌えること、アリアを8曲歌えることが目標です!!
正直私は1年前まで声楽に関する教養、知識共に皆無でした。(今も全然ですが…)オペラ歌手の名前すらカラスや所謂3大テノール(?)くらいしか知りませんでした。とゆうか知らない自分から逃げ、知ろうとしなかったのかもしれません…。
ところが昨年学校の先生とは別に奇跡的に新しい先生との出会いがあり今180度考えが変わり、必死に発声、教養、知識を詰め込んでいる最中です。
先生はD.ステファノとA.プロッティに10年ついて学んだ方で、カラスとステファノの来日リサイタルの際は弟子としてマネージャーをしていた方です。またジーノベーキのレッスンなども受けたと言っていました。
まだまだわからないことばかりですが環境に流されず自分に負けずに頑張りたいと思います。
これからもベッラ様のブログを参考に勉強させていただきますm(_ _)m
今は「スポンジ」♪ (ベッラ・カンタービレ)
2009-02-09 01:16:14
たくさん吸収する、貪欲なまでに。今は音楽の「スポンジ」よろしく頑張って下さい。
私も外部の先生につきました。このブログにもでてきていますが・・・。
昨年から師事なさっている先生は本場で勉強なさったかたですね。私より先輩かも?
暗譜をたくさんしておくことって、とても大切。
アタマの柔軟な時でないと、それに仕事や家庭をもつと覚えることが苦痛になることがあります。
学校の先生に頼ることは私の場合、時間の無駄でした。
フィギュアスケートでもどんどん先生を変わっているでしょう?タラソワからモロゾフへ、と荒川静香さんも。
最近では浅田真央さんがタラソワに指示、村主さんがモロゾフにと、それぞれ自分の考えで動いています。
そして音楽はいろんな人との出会いもありますが、結局は「必ずしも最高の人が最高の位置を占める」のではない、「条件に合う人」・・・これは生活もあります・・・がプリマになったりします。運もあります。でも勉強したことはいつも「自信」になります。
そうそう、能の世阿弥が書いた「花伝書」(岩波文庫)も時間があったらお読み下さい。洋の東西を問わず、舞台人の心得が書かれています。私は30代で読みましたが、もっと若い間に読めば良かった、と思いました。
そして東洋人として誇りを持って「李白」や「杜甫」の漢詩もどうぞ。豊かな世界がそこにあります。これも私はもっとはやく読んでいたら、と思いました。
私の「反省」もこめて・・・
「花伝書」は正しくは「風姿花伝」です。 (ベッラ・カンタービレ)
2009-02-09 01:41:06
申し訳ありません。「花伝書」は俗称、正しくは「風姿花伝」です。これには一時の花、そして真実の芸術、などなど、書かれています。

韓国のヴァイオリニスト、チョン・キョンファが巨匠シゲティに師事した時、「西洋人になろうとしないで、東洋人の感覚を大切にして下さい」と、教えられた、といいます。それから彼女は「巫女」と言われるように情熱と敬虔さを演奏に現しました。それでいて音楽は西洋人以上の本格派。弟さんの指揮者ミュンフンはパリオペラ座の専任指揮者になっています。

西洋人は自分たちと違う何かを持っていないと、かえって「物真似」のように思うのです。西洋風のお化粧をしてもフィリッピンのマルコス夫人や最近のデヴィ夫人みたいですものね。深いところにある文化が東洋のプライド、と思います。私は今も「李白」などに憧れています。

オペラ」カテゴリの最新記事