Arturo Melocchi teaching Limarilli
ここで大変珍しい録音です。
「西部の娘」で最初予定されていたマリオ・デル・モナコの急病で、代役として来日したリマリッリが、デル・モナコの唯一の師、メロッキ先生の指導を受けているところ。
もちろん、発声である。
デル・モナコはほとんど独学でカルーソの録音を聴いて勉強したと言っていたが、唯一、このメロッキには感謝していた。
「有名な先生のところも回ったが、まるでジーリのような歌い方を強制するんだ。
そしてしばらくすると、変な声になっている。自分には合わない、と思って無名のメロッキ先生のもとへ発声を習いに行った。
先生は全部フォルテで歌わせた。こうして私は声を取り戻したのだ。
リマリッリが私のもとに来た時、彼はオーディションやコンクールを50回受けてすべてダメだったとしょげていた。
事情をきくと、彼に会わないレッスンを受けていたんだ。
その頃私は忙しかったし、丁寧に教える暇はなかったので、メロッキ先生のところに行かせた。
こうして、リマリッリは素晴らしく変わったのだ。」
ここに、そのメロッキ先生の発声のレッスンを受けているリマリッリの声が聴ける。
デル・モナコもリマリッリもみんな自分の声を録音して聴き直し、また練習したという。
ぐらっぱ亭様、かつてのご友人をなつかしく思い出されることでしょう。
リマリッリは海賊版ではたくさん録音があるようです。
ここで大変珍しい録音です。
「西部の娘」で最初予定されていたマリオ・デル・モナコの急病で、代役として来日したリマリッリが、デル・モナコの唯一の師、メロッキ先生の指導を受けているところ。
もちろん、発声である。
デル・モナコはほとんど独学でカルーソの録音を聴いて勉強したと言っていたが、唯一、このメロッキには感謝していた。
「有名な先生のところも回ったが、まるでジーリのような歌い方を強制するんだ。
そしてしばらくすると、変な声になっている。自分には合わない、と思って無名のメロッキ先生のもとへ発声を習いに行った。
先生は全部フォルテで歌わせた。こうして私は声を取り戻したのだ。
リマリッリが私のもとに来た時、彼はオーディションやコンクールを50回受けてすべてダメだったとしょげていた。
事情をきくと、彼に会わないレッスンを受けていたんだ。
その頃私は忙しかったし、丁寧に教える暇はなかったので、メロッキ先生のところに行かせた。
こうして、リマリッリは素晴らしく変わったのだ。」
ここに、そのメロッキ先生の発声のレッスンを受けているリマリッリの声が聴ける。
デル・モナコもリマリッリもみんな自分の声を録音して聴き直し、また練習したという。
ぐらっぱ亭様、かつてのご友人をなつかしく思い出されることでしょう。
リマリッリは海賊版ではたくさん録音があるようです。
デル・モナコはリマリッリを基本から教える時間がなかったので、恩師メロッキ先生のところに行かせたのです。
でも素晴らしい声ですね。
デル・モナコをひそかにパッサージョ・アクートの神だと思っているぼくですが、どうもそれはメロッキの指導に負うてるようですね!
ちなみにジーリのような指導、すなわち喉を開き横隔膜を張ったままうたう、という指導はごく当たり前のようで、実際はとても応用的なものだとぼくは思ってます。
ジュゼッペ・ジャコミーニも若いときはデル・モナコそっくりですし、、、。
今も覚えているのは「タクシー運転手」です。
ジーリの伴奏ピアニストだった人のレッスンを受けたことがあります。厳格でしたが、基礎基本だけ何度もレッスンされました。
リリー・レーマンの本を読んだことがあります。当時イゾルデからノルマ、と幅広いレパートリーを持ち、そしてファーラーを教えたり、教師としても有名な人で、年間で最高のコンディションなど数日もない、それをいかに歌うかだ、と述べていました。テトラツィー二も然り、ただ、私はジーリのむせび泣きや音楽の過剰な崩し方をヴェルディのオペラにも多用するジーリは好みではありません。
ディ・ステファノは一時、ジーリにレッスンを受けていました。
ディ・ステーファノの見事な呼吸コントロールはジーリから受け継いだものなんでしょうか。
実際、ジーリは横隔膜の圧縮が上手くいかないとき、ディ・ステーファノに代役を頼んでたそうですし。
リリー・レーマンの「私の歌い方」はパリの古書店で買って以来、ぜんぜん開いてないですが、もう一回読んでみます!
舌の使い方や形なんかは勉強になりました。
最初はジーリにレッスンを受けていましたが、だんだん上手くなると、ジーリは嫉妬するようになり、ディ・ステファノを追い出したそうです。完全にライバルとして見たようです。
このころのジーリは神経質でした。
戦争でファシスト賛歌を歌ったりファシストを応援したもので、もはや仕事を干されていたのです。あの頃、ファシストを応援したとされる音楽家の中に、マスカー二、レスピーギもいます。世間は手のひらを返したように冷たくなり、鬱になっていったようです。
ディ・ステファノに「一番好きなソプラノ歌手は?」ときくと「ニルソンです」と答えていました。尊敬できるって。
ティト・スキーパは正統的なテノールです。
自分より背の高い美人の奥さんをもらって、幸せでしたが、引退後、貧しい生活をしていたそうです。五十嵐さんが弟子で音楽の友に書いていました。(これが子供の時、はじめて買った音楽の友で1月号でした)
スキーパはタリアヴィーニをほめていたそうです。でも五十嵐さんとスキーパちは???です。