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長岡と越後湯沢に行ってきました②

2011年08月31日 | 掃苔録

長岡の次に向かったのは越後湯沢駅です。
私としては珍しいことですが、今回の旅は掃苔目的ではなく、思い出のたくさんある街を久しぶりにブラブラ歩きたいという思いから計画しました。

私の家では十数年前まで越後湯沢(以下、湯沢)に別荘を持っていました。
そのため幼少から二十歳ごろまでは毎年湯沢を訪れていたので、田舎を持たない私にとっては湯沢が田舎のようなものでした。
歴史に興味を持ちだしてからは、湯沢を拠点にして新潟県の史跡巡りに励み、長岡はもちろん、戊辰戦争の戦場となった小千谷の朝日山には毎年のように登りに行きました。
井上陽水さんの『少年時代』を聞いて私の脳裏に浮かぶのは、湯沢の山や川や祭の風景です。

湯沢では観光スポットには寄らず、思い出のある街並みや風景をブラブラと見て回りました。
オニヤンマを見るのも、キリギリスの独特な鳴き声を聞くのも、大量のカエルを見るのも、久しぶりでした。
商店街は昔とは様変わりしていて、顔馴染みだった店も閉店していたり経営者が変わったりしていました。
石川遼記念館もできていました。
それでも十二分に懐かしい湯沢の雰囲気を味わうことはできました。

掃苔目的ではないとはいえ、やはり一ヵ所くらいは墓地を訪ねたくなるのが掃苔屋の性です。
思い出の地を一通り巡ったあと、湯沢でも一ヵ所だけ掃苔をしました。
それは吉村昭先生の墓です。
吉村先生は湯沢の地を好み、生前から湯沢に自らの墓を建てていたそうです。
私が大好きな湯沢を吉村先生も好んでいたのだと知り、嬉しく思いました。
越後湯沢駅から中央公園近くの大野原墓苑まではタクシーで向かい、千円足らずで着きました。
吉村先生の墓はすぐ見つかりました。墓石には「悠遠」と彫られていました。

その後、神弁橋の欄干から魚野川の中に入って鮎釣りをしている人を眺めながら、越後の地酒ワンカップとビールを飲みました。
懐かしい商店街をもう一度通り抜けて越後湯沢の駅に向かい、新幹線で帰りました。

終わり

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