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警視隊の出征と凱旋

2012年03月24日 | 侍たちの警視庁

西南戦争が勃発し九州出張を命ぜられた警視隊は、蒸気機関車で新橋停車場から横浜停車場へと移動し、そこから九州に向けて出航しています。
画家のチャールズ・ワーグマンは、新橋停車場へ向かう警視隊の姿を描いた「日本警官隊の点呼」という作品と、横浜港に向かう警視隊の姿を描いた「薩摩の戦場に向かう江戸の警官」という作品を残しています。
おそらくワーグマンは東京から横浜まで警視隊に同行し、この二点の作品を描いたのだと思われます。
描かれた警視官たちはコート姿で六尺棒を携帯しています。
警視隊は横浜港から神奈川丸に乗り、九州に向けて出航しています。
ワーグマンの友人のアーネスト・サトウは日記に、警視隊の九州出張と戦闘について以下のように記しています。
「薩摩軍は、あきらかに退却せずとの決意を固め、はげしく戦っている。かれらと、全員が士族の出身であり、且つすぐれた剣士である巡査隊との刀による接戦が、戦闘の主要な部分を占めているようだが、かかる戦闘では政府の正規軍はほとんど役に立たないらしい。」「部隊の乗船がたえまなくおこなわれている。巡査の追加募集がいたるところでおこなわれているが、これに応募するのは皆士族である。これは危険な徴候である。」(萩原延壽/著 『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄13 西南戦争』)
九州出張を終えて横浜に戻った警視隊は、往路と同じく蒸気機関車で新橋停車場へと移動しています。
京橋の警察博物館には、新橋停車場に到着した警視隊を描いた「警視隊凱旋」という絵が展示されています。
出迎えの群集の中を警視隊が行進する雄壮な絵ですが、描かれた警視官たちは銃を担いでいます。
警視隊の凱旋の様子は、喜多の『征西従軍日誌』の明治十年七月六日の部分に記されています。
「本日午前九時三十分、汽車にて横浜を発し、同十時三十分、東京新橋停車場に着。即ち戦地のままなる行粧にて、その行粧たる羅紗のマンテルの破れたるを麻糸をもって綴りたるあり。或いは帽子の無き者あり。または潰れたる帽子を被りたるあり。ズボンはことごとく廃てて、紺股引きに脚絆草鞋を穿ち、腰に用意の草鞋を付け、銃器を担い、整列押軍、別働第三旅団第四大隊、新橋停車場より鍛冶橋内警視本署に凱旋す。それより各位その分署分署に帰着せり。」


※写真はワーグマンの墓