老妻が娘と一緒に品川の荒神様の春の例祭に出かけてきた。例年ならば、桜が5分咲きなのだが、今年は1週間前、開花宣言が出たのに、陽気が足踏みしていて1部咲き。代って裏庭のミカンが、まだたわわに実をつけていた。
ブキテインギの「日本の穴」(昨日の小ブログ参照)について、再度調べたいと思い、古いスクラップ帖を持ち出して、昨日、一日がかりで資料を調査してみた。「日本の穴」の資料の収集に当たったのは、昨日のように思われたが、20年前、ふた昔も前の事、やはり、思い違いや忘れかけた資料の再発見があり、改めてスクラップ帖の効用を知った。
IT(Information Technologu )が発達した今と違って、昔は資料の収集保存はもっぱらスクラップ帖に頼っていた。文具店には各種のスクラップ帖が売っていたが、今はどうなのだろうか。20年前といえば、すでにワープロの時代が始まっており、僕も自分の原稿などはフロッピに残してあるが、資料の保存はスクラップ帖だけである。現役の記者時代は資料室があったが、フリーになると、インターネットがなかった昔は執筆に困ったものだ。
スクラップ帖の記事の中には、当時あまり関心がなくとも、今になると別の角度から重要と思われるものもあった。例えば、僕の切抜き記事の中に、戦争中、日本軍が北スマトラの近衛師団の司令部のあったメダンに造った紘原神社の写真である。今でも神社の社務所建物は残っているが、スクラップ帖の写真のコピーは造営中の本殿の前で撮られた結婚式の集合写真で、媒酌人の中島鉄蔵中将と共に当時、NHKのメダン放送局長だった仏文学者の高橋邦太郎氏や従軍作家だった直木賞作家の小山いと子氏の顔がある。先日、小ブログの読者で、戦争中の海外神社の研究者に紘原神社の資料を贈ったばかり。その時には、この写真のことはすっかり忘れていた。
加齢と共に資料の収集保存がが出来なくなってきた。スクラップ帖がなくとも今はIT技術を駆使すれば、資料は永久保存できるのは理解しているし、知人から親切にその方法を伝授されたのが、それが出来ない。齢はとりたくないものだ。
IT(Information Technologu )が発達した今と違って、昔は資料の収集保存はもっぱらスクラップ帖に頼っていた。文具店には各種のスクラップ帖が売っていたが、今はどうなのだろうか。20年前といえば、すでにワープロの時代が始まっており、僕も自分の原稿などはフロッピに残してあるが、資料の保存はスクラップ帖だけである。現役の記者時代は資料室があったが、フリーになると、インターネットがなかった昔は執筆に困ったものだ。
スクラップ帖の記事の中には、当時あまり関心がなくとも、今になると別の角度から重要と思われるものもあった。例えば、僕の切抜き記事の中に、戦争中、日本軍が北スマトラの近衛師団の司令部のあったメダンに造った紘原神社の写真である。今でも神社の社務所建物は残っているが、スクラップ帖の写真のコピーは造営中の本殿の前で撮られた結婚式の集合写真で、媒酌人の中島鉄蔵中将と共に当時、NHKのメダン放送局長だった仏文学者の高橋邦太郎氏や従軍作家だった直木賞作家の小山いと子氏の顔がある。先日、小ブログの読者で、戦争中の海外神社の研究者に紘原神社の資料を贈ったばかり。その時には、この写真のことはすっかり忘れていた。
加齢と共に資料の収集保存がが出来なくなってきた。スクラップ帖がなくとも今はIT技術を駆使すれば、資料は永久保存できるのは理解しているし、知人から親切にその方法を伝授されたのが、それが出来ない。齢はとりたくないものだ。