「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

72年前の強制建物疎開 荷馬車で引越し

2017-03-19 05:43:03 | 2012・1・1
春分の日を挟んで前後7日間を春の彼岸というが、72年前の昭和20年の春の彼岸は、わが家にとって忘れられない。亡父の残した日記帳を改めて読みなおしてみたが、あの戦争時代の不条理な冷酷の日々が、今さらのように想い出される。

わが家は当時、東京五反田の軍需工場近くにあったが、3月10日の下町大空襲を受けて、彼岸の入りの17日、亡父の日記によれば”突如として”町会から1週間以内に家を明け渡せと命令が出た。政府は敵の空襲の被害を抑えるため、鉄道の駅周辺や軍需工場の半径100m地域内の建物は疎開する計画を進めていたが、まさかわが家がそれに当たるとは思っていなかったようだ。

慌てた両親は早速疎開先探しを始めたが、幸いにもわが家は両親が老後のために建てた家作が、5キロほど離れたところにあったので”家作人と交渉して家を明け渡して貰った。しかし、引っ越し先が決まっても、そこまで荷物を運搬するのが大変だった。母親の実家が運送業をしていたが、車は全部、軍に徴用されて1台もない。やっと荷馬車会社に頼み込み、荷馬車2台で2回にわたり往復して運んだ。

あの戦争は誰でもが被害者であった。わが家も一人の姉が、食料難による栄養不足と過労により結核で亡くなっている。しかし、近い身内には戦死者はいない。激しかった東京の空襲にも一度もあっていない。この強制疎開だけだが、両親にとっては、退職金で建てた自分の家であっただけに無念だったであろう。亡父は当時61歳であった。