「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

忘却の東京大空襲と陸軍記念日

2017-03-10 06:46:03 | 2012・1・1
「3月10日」は、日本の近現代史にとって二つとも、もっと記憶されるべき日だと思う。一つは72年前の昭和20年3月10日の米空軍Bー29による東京下町大空襲。この空襲で民間人、非戦闘員を含む10万人の方が犠牲になっている。もう一つは、112年前の明治38年3月10日で、わが国は旅順(今の瀋陽)の戦いに勝ち、日露戦争を最終的に勝利に導いたた記念日。戦前までは「陸軍記念日」として祝っていた。

東京大空襲の夜、僕は中学3年生だった、幸い東京の山の手に住んでいて被害にはあわなかったが、強い北風の中、下町方向に上がる業火の白煙を今でも昨日のように覚えている。東京都では平成2年、この日を「東京都平和の日」に制定、平和国家の首都として、戦禍を再び起こさないよう平和を祈念し、被害の大きかった地に建てられた記念碑の前で式典を行うようだが、今一つ知られていない。とくに6年前の東北大震災の後は、その陰に隠れてしまった感がある。

まして陸軍記念日の「3月10日」についてはほとんど知る人はない。戦前は日露の役は、小学唱歌「出師営の歌」”旅順開城約なりて、敵の将軍ステッセル乃木大将と会見の所はいづこ出師営」と歌われ、小学生の僕でも知っていた。しかし、今や、日露の役も出師営も乃木大将も陸軍記念日も完全に忘れ去られ、僅かに乃木大将の名前は、乃木大将を祀る神社横の地名からとった「乃木坂46」の女性アイドルグループの名として残っているだけだ。。

聖徳太子の名前も教科書から消える世の中である。東京大空襲も陸軍記念日もやがて、人々の記憶から忘れられてゆくのだろうか。それにしても、大空襲の日が「平和記念日」とは、あまりにも空々しい気がするが。