「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

今、電子レンジ 昔、ニクロム線パン焼き器

2017-03-18 06:29:01 | 2012・1・1
先日、老妻が娘と一緒に東京の有楽町の電気量販店に行き、購入した電子レンジが届いた。老妻の記憶によれば、こわれた前のレンジは、平成5年、わが家を新築した際、求めたそうだから、随分と長持ちしたものだ。今や、電子レンジは家庭での必需品で、”チーンする”という新語まで生まれるほど、親しまれるようになってきた。

僕ら夫婦は昭和30年に結婚しているが、二人で昔話をすると、当時は東京の23区部でも都市ガスがなかった。同居していた亡母が台所の裏の空き地で、薪や燃焼ゴミを燃やしながらご飯を炊いていた。料理はすべて電熱器であったが、まだ電気ガマのような便利なものはなかった。30年代後半になって、都市ガスが入り、やっとガス釜が使えるようになった。電気冷蔵庫もなかった時代である。

都会の家庭の主婦にとって最悪だったのは、戦後すぐの食糧難の時代であったろう。コメの配給が滞り、代わって小麦粉が多くなってきた。昭和21年から22年にかけてである。おそらく、米国からの救援物資LALAによるものであった。しかし、代用食になれていなかった当時の主婦は使い方に困ったが,生活の知恵である。電熱器に使われているニクロム線をそのまま使ったパン焼き器が流行し始めた。わが家でも鰹節(かつおぶし)器の箱にニクロム線を這わせ、即製のパン焼き器を作った。

到着した新品の電子レンジを使って、老妻が早速、正月の残り品のお供え餅を”チーン”して季節はずれのお雑煮を作ってくれた。便利な恵まれた時代である。