ベーシック任されてからランニングとか足が速くなるとかそういう言葉に敏感になりました。
運動会シーズンのせいなのか結構色んな番組で取り上げられているので気付いたらチェックするようにはしています。
とりあえず自分でも試してみて面白そうなものは即採用。
マラソンの番組も最近多くなりました。
『ラン×スマ』毎月最終日曜よる9時NHKBS1
『3か月でフルマラソン!』月曜よる9時30分Eテレ
ストレッチの方法とか参考にしています。
他にも清新町のコミ館で行われた体幹トレーニングの教室に参加したり、ダンスのレッスンに参加したり(これは自分の趣味だけど)、ちょっとでも役に立ちそうな事には積極的に参加してます。
時間はあるので(お金はないけど)陸上だけにこだわらず色んな事吸収してクラブに還元していきたいです。
高橋尚子がシドニー五輪で金メダル(2000年/中1)、イチローがメジャーに挑戦(2001/中2)、日韓ワールドカップ開催(2002/中3)。
そんな時代に中学生活を過ごしました。
陸上を続けるつもりなど全くなく中学では野球部に入りました。
ただ部活の練習日が月水金土だったため、火木の練習そして日曜の土手ランには家から近いこともあり今まで通り参加し続けました。
サッカー部に入った子は練習日が重なるため来れなくなってしまい自分たちの学年は陸上部2人にバスケ部そして野球部の4人だけになりました。
小学生を入れても全員で20人くらいの規模だったと思います。
中学生も小学生もそしてその父母達も一緒に練習してました。
その頃のタイムがたまたまブログに載っていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/seishinjac/diary/200504070000/
中1秋で3分43秒。
小学生はまだしも母にまで負けてる…。
月水金の部活の後には塾にも通っていて、今考えるとなかなか多忙な生活を送っていました。
そこまでしてなぜJACに参加し続けたのか?
走るのが大好きだったんです。
嘘です(笑)。
正直に言うと当時好きだった子がクラブにいて、家も近く練習の後一緒に帰るのが楽しかったんです。
本当にそれだけだった気がします。
当時長距離そんなに好きじゃなかったです(今はもちろん大好きですよ)。
土手ランでみんなから離されて一人きりになった時に何度辞めようと思ったことか。
ただその子に会いたくて(もちろん他の仲間にもだけど)あのきつい練習をしに行ってました。
恋の力恐るべし。
動機が不純がすぎて今のクラブの子達には言えません。
その恋の行方はともかく、自分より速かったその子の背中を追い続けた結果、中学のマラソン大会ではそこそこ上位に入り、野球部の最後の大会にスタメンとして出してもらえたのは普段の練習で走れている姿が監督の印象に残っていたからかもしれません。
公式戦で打てたヒットはその試合での一本だけでしたが、そのセンター返しの打球の行方を僕は一生忘れません。
部活を引退すると高校受験に専念するためJACにも行かなくなりました。
最後にいつ練習に行ったかも覚えていません。
コーチにお礼も言えないまま、消えるように辞めてしまいました。
再び走り始めるのはそれから6年後。
最終章のJAC復帰編はまた次回。
だんだんと暖かくなり練習コースの葛西臨海公園や新佐近川沿いも桜が満開で走るには最適な季節です。
小中学校も入学式を迎え、クラブの部員には色んな出会いがあるでしょう。
自分自身ベーシッククラスも始まったので例年以上のたくさんの出会いを期待しています。
スポーツとの出会いも巡り合わせだと思っています。
という訳で今回はJACとの出会いを振り返ってみます。
小さい頃から水泳や体操などをやってきましたがJリーグ開幕(1993年/幼稚園年長)の盛り上がり経験しているので小学校からは当然サッカーをやりました。
1年生から学校のサッカークラブに入り、そこで悠希や畠中コーチと出会いました。
低学年の頃は夢中でやっていたサッカーでしたが高学年になると外で遊ぶ機会も減り、また平成の怪物松坂大輔の甲子園優勝や巨人のスーパールーキー高橋由伸の活躍(1998年/小5)を見て野球の方に関心が強くなっていました。
練習をしなくなったため周りとどんどん差がつき人数ぎりぎりのサッカークラブでレギュラーになれていないような状態でした。
そんななか6年生(1999年)になると江戸川区の小学生は区の体育大会に全員参加することになっているので、サッカークラブのみんなで江戸陸で練習することになりました。
これがJACとの出会いです。
メンバーもコーチも一緒なので本当にサッカークラブの練習の延長線みたいな感じでした。
忘れもしない初めての練習は1000m×3。
タイムは5.00/5.30/6.00くらい(遅っ)。
それから何度か練習を重ねてその成果が出たかと言うとJACのせいで長距離は人気種目になり、自分は幅跳びをやることに(確か記録は2m99cm)。
学校のマラソン大会でも周りのみんなも練習してるため、そんなに良い順位ではありませんでした。
その後何度か大会に出ただけで自分の小学生陸上は終了。
走るのが好きというより単に友達同士で夜集まるのが楽しかったんだと思います。
中学では陸上をやるつもりなど全くありませんでした。
そんな自分がどうして陸上を続ける事になったのか。
中学編はまた次回。
撮影日2000年2月12日
どれが自分かわかりますか?
卒業を祝う会でもらった寄せ書き