舞浜RC(MRC)&湾岸TC(WGTC)浦安市・江戸川区陸上クラブ

東京ベイエリア(浦安市,江戸川区)を拠点に活動している小中学生の陸上クラブ
mrc@maihamarc.com

思い出~中学編~

2012年04月16日 02時38分35秒 | 日記

高橋尚子がシドニー五輪で金メダル(2000年/中1)、イチローがメジャーに挑戦(2001/中2)、日韓ワールドカップ開催(2002/中3)。
そんな時代に中学生活を過ごしました。

陸上を続けるつもりなど全くなく中学では野球部に入りました。
ただ部活の練習日が月水金土だったため、火木の練習そして日曜の土手ランには家から近いこともあり今まで通り参加し続けました。
サッカー部に入った子は練習日が重なるため来れなくなってしまい自分たちの学年は陸上部2人にバスケ部そして野球部の4人だけになりました。
小学生を入れても全員で20人くらいの規模だったと思います。
中学生も小学生もそしてその父母達も一緒に練習してました。
その頃のタイムがたまたまブログに載っていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/seishinjac/diary/200504070000/

中1秋で3分43秒。
小学生はまだしも母にまで負けてる…。

月水金の部活の後には塾にも通っていて、今考えるとなかなか多忙な生活を送っていました。
そこまでしてなぜJACに参加し続けたのか?

走るのが大好きだったんです。


嘘です(笑)。

正直に言うと当時好きだった子がクラブにいて、家も近く練習の後一緒に帰るのが楽しかったんです。
本当にそれだけだった気がします。
当時長距離そんなに好きじゃなかったです(今はもちろん大好きですよ)。
土手ランでみんなから離されて一人きりになった時に何度辞めようと思ったことか。

ただその子に会いたくて(もちろん他の仲間にもだけど)あのきつい練習をしに行ってました。
恋の力恐るべし。
動機が不純がすぎて今のクラブの子達には言えません。

その恋の行方はともかく、自分より速かったその子の背中を追い続けた結果、中学のマラソン大会ではそこそこ上位に入り、野球部の最後の大会にスタメンとして出してもらえたのは普段の練習で走れている姿が監督の印象に残っていたからかもしれません。
公式戦で打てたヒットはその試合での一本だけでしたが、そのセンター返しの打球の行方を僕は一生忘れません。
 
部活を引退すると高校受験に専念するためJACにも行かなくなりました。
最後にいつ練習に行ったかも覚えていません。
コーチにお礼も言えないまま、消えるように辞めてしまいました。

再び走り始めるのはそれから6年後。

最終章のJAC復帰編はまた次回。

コメント (1)
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