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ビター☆チョコ

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新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

ステップ!ステップ!ステップ!

2006-11-08 | 洋画【さ】行

94年からニューヨークの公立小学校では、情操教育の一環としてボールルームダンス=社交ダンスが取り入れられている。
10週間のコースで、子供達はメレンゲ、フォックストロット、タンゴ、ルンバ、スウィング、を習う。
ダンスの楽しさに目覚めた子供達は学校の代表の座をめざして、そして市のコンテストに優勝するために猛練習する。

ドキュメンタリー映画です。
10歳から11歳。
ちょうど子供の世界の出口から、大人の世界を覗き込んでいるような年の子供達が、学校のプログラムのひとつとして社交ダンスを習うことになる。
はじめは照れていた子供たちも、一人前のジェントルマンとレディーとして扱われるうちにだんだん気分が乗ってくる。
なにより音楽にあわせて体を動かす楽しさに目覚める。

踊ってる間は笑顔で目と目を合わせて
パートナーを大事に
男の子は踊ってる間、女の子を幸せな気分にさせることに全力を傾ける。
紳士、淑女として。

クラスの大半は家庭に問題を抱えていたり
犯罪予備軍になりかかってたり
移民してきたばかりで英語が話せなかったり
宗教の戒律で踊りが禁止されている、という子もいる。
それでも子供達はちゃんとその問題を受け止め、理解し、仲間として受け入れていく。

最近、日本では子供のつらいニュースを聞かない日はないじゃないですか。
それなのにアメリカの子供達は「違い」を当然のこととして、ちゃんと受け入れている。
私、そのことにすごく泣けてしまった。
アメリカがなんでもいい。って言ってるわけじゃない。
貧困層の子供が犯罪を犯す確率の高さやドラックの問題、根深い人種差別。
かかえている問題の数や深刻さは、たぶんアメリカのほうがずっと上かもしれない。
でも、子供達にダンスを教える先生の意識の高さやストレートな情熱、小生意気なクチをきく子供達の前向きさに
アメリカという国の懐の深さを感じてしまうのだ。

「夢はあそこで叶うのよ」
学校のダンスがきっかけでダンサーを夢見るようになった少女が指差すのはマンハッタン。
過酷な社会だからこそ夢を見ることができるのか。
今の場所から這い上がるために、なにが必要なのかということを子供達はちゃんと知っている。
夢を叶えるのも、社会の闇に飲み込まれるのも自分しだい。
大きな夢を持つものだけが成長していける。
そんな夢をまだ見せてくれそうな空気がアメリカにはある。。。ありそうだ。

大人だってなにを目標にしたらいいのか分からない時代。
子供に夢をもつ大切さを教えるのは大変なことだろう。
難しく考えなくても、大人がちゃんと生活を楽しんでいたり、ちょっとした新しい提案をするだけで
子供って自分で手がかりをつかんでいくものなのかもしれない。

合間にはさまれる子供達のインタビューがすごく面白い。
そして、結構鋭い。
子供ってちゃーんと見てるんだな~と思った。










 




サンキュー・スモーキング

2006-10-22 | 洋画【さ】行



タバコ研究アカデミーの広報部長ニック・ネイラー(アーロン・エッカート)は、一日に1200人殺す業界の顔として、禁煙の逆風の中、巧みな話術で戦い続ける。
そんなニック・ネイラーを天敵と思っている禁煙派のフィニスター上院議員(ウィリアム・H・メイシー)は、何とかしてタバコのパッケージにドクロマークを付ける法案を成立させようとしている。
それを知ったニック・ネイラーはフィニスター上院議員の企みを阻止しようと動き始めるのだが。。。。

最近、街の片隅に追いやられた形で、群れてタバコを吸ってる人を見かけるようになりました。
初めてその性別も年齢もまちまちな集団を見かけたときは、いったいなんだろう?と思ったものでしたが、今ではすっかり当たり前の風景になりました。
雨の日やカンカン照りの空の下、そうまでしてタバコを吸わなければならない人たち。
ホントに難儀なことです。

まあしかし、タバコ業界の人たちにとっては
肺がんになるわよ。
お肌に悪いわよ。
歯がヤニで真っ黒になっちゃうわよ。etc
そんな世間の声に背を向けてまでタバコを吸い続ける人達は大事なお得意様なわけで、
この大事なお得意様がタバコをやめたりしないように、
タバコの弊害を否定せずに巧みに論点を摩り替えて、心安らかにタバコライフを送れるようにしなければならないわけです。

重要なのは嘘をつかないこと。
うっかり嘘なんかついたら、訴えられて自分の業界のクビを絞めることになります。
真実をオブラートでくるみ、微妙に論点をすり替えながら禁煙の逆風の中を戦い続けるのです。
その弁舌の淀みのなさといったら神がかり的です。
学校でディベイトが盛んに行われるというお国柄もあるかもしれませんが、ここまで神がかり的だと
「練習」とか「勉強」とかの問題ではなくて、もって生まれた才能、センスなのかもしれません。
ニック・ネイラーと同じように「死に至る危険性のあるものを売る業界」の広報マン達の会合。
モッズ特捜隊・・・死の商人(Marchant of Death)の中で交わされるセリフに、業界の本音が見え隠れして思わず笑ってしまいました。

さて、そのモッズ特捜隊の一人、ポリー・ペイリー(マリア・ベロ)
ニック・ネイラーの息子ジョーイ(キャメロン・ブライト)。そして主役のニック・ネイラー(アーロン・エッカート)。
この3人ともに最近全く違うタイプの映画に出ていたのを観たばかりだったので(それもどちらかというと暗い役で)とても新鮮に生き生きとして見えましたね。
ニック・ネイラーを罠に陥れる記者役でトム・クルーズ夫人のケイト・ホームズが出てましたが、
どうしても色仕掛けで勝負するタイプに見えないんですよね。。。
それはそれで意外性があってよかったのかもしれないけど、男って。。しょうもない生き物なんですね。。

情報があふれる世界で生きている私達は、
絶えず選択を迫られながら暮らしているんですね。
情報を流す側だって必ずしも良心的ではないわけで、
何を選ぶにしてもメリットもあればデメリットもある。
そこのところを納得して、後は自分の意思で選んでいくしかないのでしょうね。

新しいダイエット法に足を突っ込んでは挫折して、それでもまた新しいダイエット法に挑戦する自分が
とてもアホに見えちゃった映画でした。
完全に情報に惑わされてます。自分。







 





 


サムサッカー

2006-10-05 | 洋画【さ】行



ジャスティン(ルー・コップ)は17歳のフツーの高校生。
愛情あふれる中流家庭で育ち、傍から見ればなに不自由なく見える。
でも、ジャスティンはそんな自分が大嫌い。
人とうまく付き合っていくのも苦手だし、気も弱い。
進学のことも考えなくちゃいけないし、
不安になると親指を吸う癖を直そうとして干渉してくる親もうざったい。
なんとかして「皆が認める自分」になりたいというのがジャスティンの願いだ。

サムサッカー。
親指を吸う人。という意味だそうです。
小さい子供にはよくあることですよね。
不安な気持ちを落ち着かせるために、何かに依存することって。
うちの子たちもまだ小さい頃、眠る前には必ずガーゼのハンカチが必要でした。
いつの間にかそんな癖もなくなったけど、17歳にもなってまだそんな癖があるとしたら親としては気になるでしょうね。
みっともない、から始まって、なにか悩みを抱えてるんじゃないか、仕舞いには育て方が悪かったんじゃないか、と自分を責めてみたくもなるでしょう。

難しい年頃の子供を抱えた親の気持ち、子供の態度、あまりにも我が家とよく似た問題の数々。
母親が俳優に熱を上げているのを覚めた目で見つめる息子。とかね。(笑)
いちいちうなずきながら観てしまいました。

この年頃の子供って自分ひとりが悩んでるように思えるのかも知れません。
親なんて勝手なことばかり言って気楽なもんだ。と思ってるのかもしれません。
でも悩んでいるのは子供だけじゃないんです。

「少年の母は強烈体験よ。ない答えを求められて」
ジャスティンの母、オードリー(ティルダ・スウィントン)の言葉ですけどホントにそうです。
自分だって答えを出せずにいるのに、息子に適切な助言を与えるのは至難の業です。
結局「大切なのは答えのない人生を生きる力」なんでしょうね。
ジャスティンのかかりつけの歯科医(キアヌ・リーブス)がうまくまとめてくれました。

さて、ジャスティン役のルー・プッチくん。
はじめはオタクっぽい子だなぁ~と思ってみてたのですが、みてるうちにだんだん美しくなってきました。
自分の殻を破って自信がついてきたジャスティンの変化がプッチくんを美少年に変えたのだとしたら、すごい演技力だったのかもしれません。

見事に思春期のトンネルを抜けたジャスティンに、終始母親目線で観ていた私はウルウルしてしまいました。
軽やかに街を走るジャスティンの姿が明るい未来を感じさせる、さわやかな映画でした。







 


スタンド・アップ

2006-08-11 | 洋画【さ】行



ジョージー(シャーリーズ・セロン)は夫の暴力に耐えかねて、二人の子供をつれてミネソタの実家に帰ってきた。
そこは古くからの鉱山の町。
鉱山で働く父(リチャード・ジェンキンス)は、父親の違う子供を連れて出戻ってきた娘に冷たい。
母(シシー・スペイシー)も子供のために夫の元に帰るべきだと、ジョージーを諭す。
自立して子供を育てるためにジョージーが選んだのは、父が働く鉱山での労働。
そこでジョージーと仲間の女性労働者達は、男性労働者から屈辱的な迫害を受けることになる。


アメリカで初めてのセクシャルハラスメント裁判に勝訴した女性達を基にした実話。


セクハラ。。。ちょっと軽く考えてたようだ。。
過剰反応じゃないの?とすら思ってた自分が恥ずかしい。
ごめんなさい。

80年代。まだ「男は外」「女は内」という考え方がアメリカでさえもあったのかもしれない。
男の職場に進出してくる女性に、自分の仕事を奪われるのでは。という脅威もあったのかもしれない。
それでも・・・この嫌がらせの数々はひどすぎる。
腹立たしくて腹立たしくて、いたたまれない気持ちだった。
セクハラする側の男達。
自分達がなぜこんなひどい行為をするのか分かってなかったんだろうなぁ。
ひどいことをしている自覚さえなかったのかもしれない。
理由も自覚もないのが陰湿ないじめ。
女性ばかりの職場で働く自分が、とてもラッキーに思えてしまった。
男のほうが女よりはるかに陰湿なんじゃないの?もしかしたら。
「そんな時代だった」で済ませてしまうには、
たとえ裁判で勝ったとしも彼女達の受けた傷は癒されないほど大きなものだと思う。

もうひとつ、この映画の核になってるのが「親子の愛」だ。
実の娘を「尻軽女」扱いしていた父親が、集会の時にただひとり、娘を擁護する。
裁判で孫の出生の秘密を明らかにされ、思わず孫の父親に殴りかかる。
親子の中でずっとわだかまってたものが融けていく様に、涙があふれる。
そして祝福されない子供を生んで、自分の力で育てぬこうとするジョージーのたくましさと責任感には驚嘆する。
父と娘とその息子と。不器用だけどその行動の下にあるのは強い愛なのだね。

私なんか。。とんでもないアマちゃんだ。。。と思ってしまったり。
自分はなにもわかってなかったと反省したり。
セクハラというものがどんなにひどいもので、どれほど女性を傷つけるかということを。

以前に比べてセクハラに対する批判が強くなってるとはいえ、今でもセクハラはなくなった訳ではないのだろう。
多くの女性が働いている今、
自分の母も、恋人も、妻も、娘も。自分達と同じ働く仲間なのだということを、世の中の男性全てに忘れないでいてもらいたい。






スーパーサイズ・ミー

2006-02-07 | 洋画【さ】行
                  

ある日自宅でテレビを見ていたモーガン・スパーロック監督。
ニュース番組は肥満に悩むティーンエイジャーが、肥満はファーストフード会社Mのせいだと訴えたことを伝えていた。
M社は真っ向から否定する。「当社のファーストフードは安全でヘルシーだ」。

そんなにヘルシーで安全なら、ずっと食べ続けても問題ないはずだ。

スパーロック監督は自らの体を張って恐るべき実験を行うことにした。

いやはや怖い映画でした。
風邪気味ながら大事には至らず、仕事を終えて帰ってきたら娘が観てたので一緒に観たのですが~~ご飯食べる手が止まっちゃいました。

スパーロック監督が行った実験とは、1ヶ月間食事は全てファーストフードのMで賄うということ。
実験前は全く問題のない健康な体が、そのことによってどう変化するのか克明にカメラが追いかけていく。
監督が決めたルールは
1.ファーストフード店内にあるものしかオーダーしてはならない。(水も含めて)
2.スーパーサイズを勧められたら断らない。(絶対勧めると思う)
3.全てのメニューを一度は食べる。
4・朝・昼・夜の3食全て残さず食べる。

もちろん内科医・胃腸科医・心臓専門医・栄養士が付いて健康診断を行いながらの実験だ。
。。。があまりの体調の悪化に医師団は実験の中止を勧める。
わずか20日で医者も驚く脂肪肝、体重増加、無気力。
みてるこっちも止めてしまいたくなったよ。

アメリカの抱える深刻な肥満問題。
もちろんそれは教育や企業の問題とも関係していて、母親の一人として食育の大切さをひしひしと感じさせられました。
いやいや、母親じゃなくても人間として体も精神も健康に暮らしていきたいのなら、もっと食べるということに皆が真剣にならなくちゃいけない。
食べるということは生きていく基本なんだね。
単におなかを満たせばいいという問題じゃない。

娘は某ファーストフードでバイトしてるのだが、幼児連れの一家があまりにも頻繁に訪れるので、人ごとながら心配なんだそうだ。
そしてそんな家族はめずらしくないらしい。
日本にもアメリカのように超肥満に悩む日が来るのかもしれない。
たまにはファーストフードもいいけど、娘が思うにそれは食事ではないそうだ。
「ご飯と味噌汁、納豆」がそろってはじめて「食事」なんだそうだ。
あぁ。。。粗食一家。。

「スーパーサイズ・ミー」直訳すると「僕を巨大規模にしておくれ」
絶対に巨大規模にはなりたくないと改めて誓った親子でした。









SAYURI

2005-12-14 | 洋画【さ】行
                

9歳の時,貧しい漁村から芸者置屋に売られた千代(大後寿々花)は,置屋の売れっ妓芸者の初桃(コン・リー)の執拗ないじめにひたすら耐える毎日を送っている。
自分の将来に希望を失いかけていた千代だったが,ある日「会長さん」と呼ばれる紳士(渡辺謙)に出会い,淡い恋心を抱く。
どこの誰かも知らない「会長さん」に会いたい一心で一流の芸者になルことを誓う千代。
15歳になった時,チャンスがやってきた。初桃のライバルである豆葉(ミシェル・ヨー)が千代を妹分として,一流の芸者に育て上げたいと申し出たのだ。豆葉の厳しい指導で千代は花街一の芸者SAYURI(チャン・ツイィー)に成長する。


しっかりと脇を日本人の配役で固めたのに,どうして中心となる芸者が日本人でなかったのだろう。
知名度を考えればどうしてもチャン・ツイィーがベストだったのだろうけど,それならせめてヘアメイク,衣装がもう少し日本的だったら良かったのに。
チャン・ツイィーもコン・リーもミシェル・ヨーもとても美しかったし,たぶん芸者を演じるために色々と学んだのだろうが,置屋での着物姿がまるでバスローブ姿のようにしか見えなくて残念だった。

母方の実家が賑やかなことが好きな家だったので,お祝いごとなどの宴席の時,よく年配の芸者さんが来ていて踊ってくれたのを覚えている。
着物も派手なものではなかったのだが,明らかに周りの女の人とは違う身のこなし方は子供だった私の興味をひいた。
踊ってる時にちらりと覗く足首や足袋の白さにドキリとした覚えがある。
チャン・ツイィーの舞は芸者さんの踊りと言うよりはショーのような。。。
ヘアスタイルにしてもちょっと違いませんか?
意地悪な目でみてしまったのかなぁ。
やっぱりどうしてもよその国の文化を描くのはむずかしいのだろう。
これは日本ではなくアジアのどこか架空の国のお話。。。のような感じがした。

そんな架空の国の話としては充分面白かった。
特にSAYURIの少女時代を演じた大後寿々花ちゃん,堂々たる女優でした。
観客が一番沸いたのは,舞の海が登場したこと。
できれば「はたきこみ?」なんて地味な技じゃなく,「猫だまし」とか「八双とび?」みたいな派手な技でハリウッドデビューを飾って欲しかった。

この映画で高級娼婦と海外で思われてる「芸者」を,「一流の芸をもった芸術品のような人」と改めて認識させることができたのだろうか。
ラストを観た感じでは,それはちょっと難しかったような。。。
どんなに素晴らしい芸を持っていても,結局は「旦那さん」に寄り添って,影でしか生きられないような印象を受けた。
それはそれで大変な人生だろうとは思うのだが。








真珠の耳飾りの少女

2005-10-04 | 洋画【さ】行
ずっと観たかった映画です。

物語は16世紀。
天才画家フェルメール(コリン・ファース)の家に家政婦として住み込むことになったグリート(スカーレット・ヨハンソン)。
やがてグリートはフェルメールに豊かな色彩感覚を見いだされ,
フェルメールの仕事を手伝い,最後には絵のモデルをすることになる。
その間に二人の間には主従の関係を超えた感情が芽生えていく。

ストーリーとしてはとてもシンプルでわかりやすいものだが,
とにかくこの二人の間にほとんど会話がない。
というか,セリフがない。
二人の感情の動きは,ほとんど視線,しぐさで表現される。
それでも二人の感情の変化は手に取るようにわかる。
それだけに,グリートが初めて自分の絵を見たときに言った言葉が胸に熱く響いた。   
「心まで描くの?」

白い頭巾をはずしたグリートの美しい髪。
ピアスの穴を開けるシーン。
雪の降る運河の街。
市場の雑踏さえも美しい絵を見ているようでした。
私の中でずっと膨らんでた期待を裏切らない映画でした。
静かな夜にひとりで観たい映画のひとつになりました。