教えるというのは面倒なことです。
教師という面倒な仕事に、日夜励んでいらっしゃる方には頭が下がります。
教師が面倒なのに、学校という場でその仕事をするとなれば、面倒どころではありません。
MPと呼ばれるどうしようもない人たちを相手にしなければならないからです。
面倒な教えごとは、つい早く片付けたくなります。
教える前に知らせてしまえば、サッサと片付きます。
これは何かと聞かれたとき、それはこうだと、すぐ答えれば話は早くすみます。
ビジネスでは、相手の気の変わらないうちに、「今」という機会を逃さないためには、即答もだいじなことです。
しかし、教えることはビジネスではありません。
教えることの主人は、教える人ではなく、教えられる人です。
何かの方法を教えるにしても、教えられる人が、考えながら自分で試してみたくなるような教え方をしなければ、QとAの流れ星の交換ぐらいで終わってしまいます。
テレビにも、教えるような顔をしてカメラの前に立つ人が現れますが、身振り手振りとおしゃべりだけで、教えることはしません。
あれはもともと知らせる道具で、教える道具ではないからです。
3Dだ、8Kだなどと言っているうちはまだまだ、教える道具になったときこそ、テレビの大変革ということになるのでしょう。