地球人の原子力利用の失敗は、世界中逃げ腰型研究者ばかりだったことに原因がありそうです。
終末処理の方法を確立できないうちに、最も肝心なそのことから逃げていました。
共同研究という、人間社会では当たりまえのことも、産業といううしろだてに頼らなければ成りたたないと思いこんで、声を掛け合うことからも逃げ、ひとりずつバラバラに研究室に閉じこもっていたのでしょうか。
自世代にはとりあえず必要がないとしてきた終末処理のことは、でっち上げたコスト計算方式を壊してしまうので、言い出せば産業界からは冷たい目で見られます。
その冷たい眼から逃れるのに、危険性を唱えているだけの、暗闇の読経のようなことしかすることはなかったのでしょうか。
ものが壊れてから、「だから危ないと言ったではないか」などと、いくら叫んで回っても、それはもう研究の仕事ではなく、逃避の旅でしかありません。
研究の壁を、自ら取り除く意志を持たずにいたのでは、「それが現実」という言葉も、逃避先を示す貼り紙の決まり文句で終わります。
原子力の専門研究者は、御用会議の委員や、ぶち壊しのための講演論者の依頼は断って、研究室に戻ってください。
掻きまわしたり、溜め込んでみたり、隠したりの、その場仕事ではなく、何をどういう手順でどう進めなければならないかという、道筋を見つける共同研究を始めてください。かた意地、逃げ腰は、危機には役立たないのです。
箱もの産業、プラント産業の売り込みを待ってみたり、試してみたりの進言では、任期勘定の時間稼ぎ効果しか得られないでしょう。