・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

指数・係数いろいろ:9

2017年08月31日 | つぶやきの壺焼

狡猾と言えば、見るからにずるい、ずるさが看板のような人を想像します。
バレバレであればむしろ正直とも言えます。
幇間は、これが仕事だと名乗ってのことですから、狡猾そうに見えるその行動で、相手を楽しませます。

狡猾の"コウ"を、恍惚の"コウ"に入れ替えると、うわべはとぼけて見えても中身のずるい人に入れ替わります。
恍猾度の高い人が世界を動かす実権を握ったとき、相手は超多数の1対n の関係で、ミスター1が何をし出すかと n 側は不安でたまりません。

始末の悪いこの恍猾度は、数値では表現不可能です。
数値にしたとたんに嘘に見えそうなこともあって、安心度と奇妙な縁戚関係にあるようです。

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成長の下手な生物:12

2017年08月30日 | つぶやきの壺焼

おどし、まやかし、ゆすりにたかり、国を名乗っての外交という行為に、人間が何百年何千年もかけて身につけたのは、こんな恥ずかしい手のうちです。
手のうちどころか、それが当たり前、まるで正攻法のようになってしまいました。

恥ずかしいという感覚が抜け落ちたのであれば、育った環境ということにもなるでしょうが、恥ずかしいという言葉のない、顔を赤らめるのは力んだときだけという人びとしかいない国もあります。
これは、歌や踊りのように見せていれば覚えるというものではありません。
何かよい手はないでしょうか。

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指数・係数いろいろ:8

2017年08月29日 | つぶやきの壺焼

インドのメイドさんの話を聞きました。
クリスチャンのメイドさんは、お願いすれば何でもしてくれるけれども、ヒンズーのメイドさんは、決められた範囲以外手を出さないそうです。

戒律を守る厳しさなのか、かたくなな習慣なのか、よくわかりませんが、その度合いの逆数を寛容度と名づけられそうです。

これまでに、いろいろな係数を7色まであげてきましたが、係数だけでは31も揃えられそうにないことに気付きました。
ここでの係数は、何かの効果のあらわれかた、あるいは性状の見かたを、人間の感覚に合わせるよう調整する割合を表す数値としてきました。

いま思いついている寛容度は、数値に表せば性格そのものですから、係数とは呼べないでしょう。
そこで、"係数いろいろ"としてきた標題に"指数・"を加え、埒をひろげることにしました。

話は埒外に飛びますが、"埒をひろげる"と動きやすくなる、これは今更ながらの実感です。
動けない理由を取り除く、というより動かない理由を払いのけなければ、何かと制約の多い世のなかのものごとは進まないでしょう。

連れ去られたことがわかっていながら、拉致に該当するとかしないとか、埒もない理由にこだわっていたのでは、いつまでも埒はあきません。

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成長の下手な生物:11

2017年08月28日 | つぶやきの壺焼

人間は陸上に住まなければ生き続けられないことを、無理やり忘れたがる人がいます。

それも人それぞれの楽しみなら、何をしてもよいでしょう。

人の住んでいる土地に支配の手を伸ばす、これはいけません。
その人たちをより幸せにと、形の違う生活を押し付ける、それは余計なお世話です。

人の住んでいる土地を奪い取る、これはもっといけません。
よりよい使い方があると、別の使い方を押し付ける、それも余計なお世話です。

住んでいる土地を奪い取るだけでなく、人まで入れ替え、もとからいた人をいなかったものにしてしまう、これはもうお話になりません。

余計なお世話や、お話にならないことを、何代にもわたって続けている人たちがいます。
自分たちの優雅なくらしを見せつけることが成長のあかしと、成長の止まった頭で思い続けています。

 

 

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係数いろいろ:7

2017年08月27日 | つぶやきの壺焼

世の中のでたらめメチャクチャの多さを表す"乱度"という係数がありそうな気がして、まさかそんな画像はないだろうと Google 画像を見たら、"緒乱度"と書いたシャツやカップが現れました。

あらためて"緒乱度"をキーに検索すると、こんなに出てきました。

"緒乱度"とは何でしょう。

Google 翻訳の、
____________日本語⇒中国語では、緒乱度⇒乱気流
____________中国語⇒日本語では、乱気流⇒動乱

さあ、わかりません。 

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成長の下手な生物:10

2017年08月26日 | つぶやきの壺焼

人間は、何をしでかすかお互いにわからなくなり、自分ひとりのが続く間のことしか考えなくなっています。
なかには自分ひとりのさえ早く断ち切ろうとする者もいます。

成長が下手などころか、衰退滅亡を望んでいるようにも見えます。
人間がいなくなっても歴史に名が残るとでも思っているのでしょうか。

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係数いろいろ:6

2017年08月25日 | つぶやきの壺焼

冗談もえぇ加減にせえというせりふがあります。
半硬半軟のこの戒めことばは、冗談のように発せられた言葉そのものへの戒めよりも、時も場合も考えなかった冗漫な態度、気持ちの"えぇ加減さ"への戒めの意味のほうに重みがおかれます。

人間の態度の底にある、気持の"えぇ加減さ"は、冗漫度係数として評定できそうです。

この係数は、国会議事運営の有効性を高めることに役立つでしょう。
まず、冗漫度係数測定システムをつくります。
議場に測定値を時々刻々表示すれば、論議のない"えぇ加減さ"への警告効果が期待できます。
議事本題と無関係な質問や、言葉尻をとらえた無意味な質問が始まれば、冗漫度係数が上がり、質問可能時間が幾何級数的に短縮されるようにしておきます。

XXの支持率などという"えぇ加減さ"が目に余るものを気にかけるよりも、はるかに効果があると思います。

 

 

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成長の下手な生物:9

2017年08月24日 | つぶやきの壺焼

敵味方入り乱れての合戦、大昔の戦いは、旗印で見分けがつくようにされていました。
現代では、敵・味方も、的・見方も、翩翻急転しますから、旗印など役に立ちません。

旗印に代えて作られた始末の悪いものがあります。
ホードーとかメディアとか呼ばれる怪物のようなシステムによく使われるお題目です。
そのシステムは、XX的と言いながら、まったく正反対の行動を平然とやってのけたり、その場の都合に合わせたYY的な見方を人びとに強要したり、システム自身が生存を続けられるよう、さまざまなお題目を取り出します。

人間以外の生物にも、擬態という生存のための手段を使うものがありますが、手段そのものが千変万化することはなさそうです。

人間は、もっともらしいお題目のもとに、的と見方の分別を投げ捨てたことで、成長にブレーキをかけてしまいました。

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係数いろいろ:5

2017年08月23日 | つぶやきの壺焼

信頼度という言葉があります。
信頼に足る度合いで、大きけれ大きいほどよい、それを上げるほどよいとされますが、ものごとに百%などということはあり得ず、どれぐらいが最適かという指標は作れません。
もし何かの説明に、百何十%、何百%という言葉を使えば、その人の発言への信頼度はガクンと下がります。

この信頼度と、8月21日に書いた妄度係数の妄度という言葉が対語になるのではないかとふと思い、両者の関係を考えてみました。

あるシステムの信頼度は、システムそのものがもつ属性ではなく、そのシステムを人々がどう見るかということで、支持率に似たようなところがあります。
一方の妄度は、信頼度を見極める力の度合いの逆数ですから、対語とするには次元のずれたあやふや感が残ります。

ここでまた、新しい係数を思いつきました。
それは、あやふや係数です。

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係数いろいろ:4

2017年08月21日 | つぶやきの壺焼

10人ぐらい集まっていたある場所で「テレビは半分ウソです」と言ったら、みなさん驚いたように顔を見合わせていました。

妄度係数というものがあるとすれば、そこに集まった皆さんのテレビに対する妄度係数は80~90に達していたのではないかと思います。

ニュース、ワイドショウ、輸入ドラマ、さまざまな場面でウソをホントらしく見せて楽しませ、公共性というぬいぐるみをかぶって安心させていれば、妄度係数を徐々に上げていくことができます。

これが95を超えると、視聴者が我に返る機会を失う、極めて危険な状態が訪れます。
くわばらくわばら。

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成長の下手な生物:7

2017年08月20日 | つぶやきの壺焼

人間以外の動物は、言葉で共同を約束することはしません。
ことによると、人間にはわからない情報伝達をしているかもしれないので、"言葉で"ではなく、"書面で"あるいは"文字を使って"としたほうがよいでしょう。

人間は、条約、あるいは共同宣言などといって、約束ごとを文字であらわし、それが永久不滅のものと安心を得たがります。

けれども、それぞれに生きるという最も自然なことでは飽き足らず、ありのままをどこかで捻じ曲げてしまった約束ごとには、必ず無理なところができます。

相手の迷惑なことに気づかない押し付けは、共同の失敗を招きます。

人間は共同を万能なものと妄信することで成長を阻まれました。

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成長の下手な生物:6

2017年08月18日 | つぶやきの壺焼

主義は人を縛りつけます。
縛り続けるだけではありません。
わずかにたがを緩めることによって、放埓という負い目を持ち主に負わせます。
あるいは、縛られているということを理由に、持ち主に自己欺瞞のたねを植え付けます。
その看板を見せれば、どんな悪行にも罪の意識を払いのけられるという誤解を起こさせます。

人間は主義を妄信することで成長を阻まれました。

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係数いろいろ:2

2017年08月17日 | つぶやきの壺焼

かしこい人がもっているかしこさには、いろいろな型があります。
_・無邪気な聡明
_・小気味よい無頓着な明敏
_・次のこと後のことに頭の回る賢明
_・教養や理性はそっちのけの利発
_・風見立ち回りのうまい狡猾

かしこさ係数というのはどうでしょうか。
たとえば二つの方法があって、選択を迫られたとき、方法提示者のかしこさ係数が決断を導いてくれます。

そのためには、判定に使う係数列表を整備しておかなければなりませんが、それはかしこい人に考えてもらいましょう。

 

 

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