・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

押し寄せる力の限り

2015年04月28日 | つぶやきの壺焼

 

押し寄せる力の限り  こう書いてみると
さまざまな意味が        押し寄せてくる
<>
大きな力で押し寄せてくる             大地震のように
秩序を失った押し寄せは ときに地の神の怒りを誘う
トレッキングの コースにされたのでは
ヒマラヤの神も        黙ってはいまい
<>
押し寄せる力にも           限りがある
他を押しのけ     乗り越えようとしても
自力で這い上がる力を      もし授かっていなければ
道の神も            引き揚げの手を伸ばしてくれない

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地球環境と地域環境

2015年04月23日 | つぶやきの壺焼

コンクリートブロックがサンゴ礁を傷つけたと大騒ぎするところもあれば、サンゴ礁をどんどん埋め立てて3000メートル滑走路をつくってしまうところもあって、海も魚もサンゴも、人間の気ままさに呆れかえっていることでしょう。

環境とひと口に言っても、地球全体の環境と、ごく限られた地域の環境では、見方も異なり、取り組み方も変わってきます。
海洋全体の相を、急激に変えてしまうような行為は、地球全体の環境に影響を与えます。
サンゴのひとかけらさえも傷つけてはならないと頑張ることが、地球環境に破壊をもたらすような党人の動きへの牽制力を阻害し、大きな環境を損ねていくお手伝いになっているのに気付かなければ、問題の大小に無感覚であるというそしりをまぬかれないでしょう。


地球と地域の一字違い、球と域の違い、ここで奇妙な連想がわいてきました。
球はじゅずを思い出させます。
じゅといき、なにかありそうだと思ったら、十三弦の箏で柱間隔のいちばん狭いところの音階でした。
いにさしごろなはくじゅといき

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選挙の声が走って往く

2015年04月22日 | つぶやきの壺焼

しばらくぶりに選挙放送車の声が走ってきては消えていきます。
珍しく熱狂のあまりに我を忘れたような声も混じります。

「みなさんの手足となって働きます」と言っていたのだけは耳に残っています。
勝手放題の注文つけに、手足となってどうするのだろうと、思いながらではあったのですが。


選挙公示という制度は、日本だけのものという話があります。
公示されてしまうと、その日から候補者からの情報発信がパタッと止まる、不思議な方式です。

外国にはないのかと、「公示」で日英翻訳にかけてみると、七つほど言葉が並んだ中に、おやと思うのが見つかりました。

judgement 判定, 判断, 判決, 審判, 裁き, 公示
judgment 判定, 判断, 判決, 審判, 裁き, 公示

二つの単語がまったく同じに見えてどこか違うのです。
真ん中に「e」が入るか入らないか、どちらを正書法とするか、裁かれないままに月日が過ぎてしまった、こんな言葉もあるのでした。
どちらでも・・・というだじゃれは、書かずに置きます。

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言ってしまったことを消し去る新発明

2015年04月21日 | つぶやきの壺焼

見られても困るわけではないのに、住所氏名電話番号メールアドレスが書かれたものは、そのまま捨てない習慣が、いつの間にかついてしまっています。
煙が嫌われるようになってから、書かれたものは何でも粉々にして読めなくするシュレッダーが、家庭にも置かれるようになりました。

書いたものはシュレッダーにかけられますが、言ったことをなくしてしまうシュレッダーはまだできていません。
これが発明されればXXXX賞ものでしょう。

つい国際紳士気取りで言ってしまったことも、この言語シュレッダーにかければ人びとの記憶から消え去ります。
それでもう歴史に汚点を残す心配もなくなります。

虚言用、放言用、脅迫自白用、各種用途に応じて設定を変えられますが、本当のことは消すことができません。
問題がひとつあります。
装置の検定機関をどうするか、これは現代の学術・技術ではどうにもなりません。

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こだわりは 何を教えるか

2015年04月20日 | つぶやきの壺焼

漢字の「四」という字の、3画目のはらいは、1画目にくっつけなければならないのか、という質問がFAQに出されていました。

回答は、こういう細かいことは、フォントの製作者でなければどうでもよいので、ついてもつかなくても、四はその字しかないだろう、とされています。
実際に使われているフォントを並べてみると、どこかが付くか離れるかを言い出せば、みな異なった字ということになりそうです。

ところが、学校で、前の担任の先生がどちらでもよいと言っていたので、離れた「四」を書いたら、今の担任の先生から○をもらえなかったという驚きの実話を、子どもさんが体験されていたのです。
四の字の構成に、ここまでこだわりを持った教育をするのは、どういう意味を持ってのことなのでしょうか。

くっついた「四」が正しいけれども、離れた「四」も間違った字ではない、という意味で○はつけなかった、文字の形ひとつとっても、世の中にはいろいろな考えがあるということをわからせたいということだったのでしょうか。
もしそうであれば、そのことに気づくはるか以前に、先生と呼ばれる人への不信や、世の人びとへの猜疑心のほうが先に身についてしまいそうにも思えるのですが、いかがでしょうか。

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新しいコーギョーとは どういうことか

2015年04月19日 | つぶやきの壺焼

とかく人間は新しいものに興味を持ちます。
新しいといっても、違うものに入れ変えるだけでは、もうオドロキの材料にはなりません。

同じはずのものが違う、違うはずのものは同じ、あるはずのものはない、と並べていくと次は、ないはずのものがある、となりますが、ないはずのものをつくりだすのは「新しさ」としてはもう古びかけています。
それは「珍しさ」であって「新しさ」ではないからでしょう。

新しいコーギョーと標題に書きましたが、コーギョーには、興行、工業、功業と、いろいろな形態があります。
例を挙げてみましょう。

入る人によって入場料の違うシネコン興行
おカネもちからは高い入場料をいただきます。
集めるカネに差をつける新しい銀行とよく似ています。
しかし、その場内に特別席はなく、みな同じ椅子です。
同じ椅子といっても、場所によって見え方が違います。
違って当たり前のこれが、どの席でも同じ見え方になれば新しさも際立ちますが、そこまではなかなかのようです。

バックギヤのないクルマを製造する工業
乗って動き始めたら、後戻りはできません。
その車にはバックギヤなどという面倒なものはないのです。
一方通行の道路にはピッタリの構造です。
集められたカネは返されることがなく一方通行、これも新しい銀行とよく似ています。

歴史の歯車を逆転させる功業
前世紀以降、植民地は次々に独立をしてきましたが、これから植民地を増やしていこうという企みです。
植民地には新しいインフラが必要です。
インフラ建設に必要なカネには、新しい銀行が植民地向けに発行した、それでなければ通用しない、新しい札が割り当てられます。

どんな文字や意味を当てはめても適合している、ユニバーサルな性格をもっているのが新しいコーギョーのようです。

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理に走ると 勘が鈍る

2015年04月18日 | つぶやきの壺焼

山手線支柱倒壊事故、あれはもちろん自然災害ではありません。
人為事故かというと、そうでもなさそうで、人為を尽くし損なったための事故のようにみえます。

つながっていた梁を外されて、そこで頑張っていろと言われても、一方から強烈に引っ張られている支柱さんにとっては大迷惑です。
引っ張られる反対側を支線で引っ張っておけば、倒れずに済んだのではないかと、素人でもそう思います。

梁を外してもすぐには倒れないだろうと、なるべく余分な手をかけない経済効率に都合のよい計算上の理論が、工事計画承認者の納得に力を貸したのかもしれません。

世の人びと一般の生活感覚が、工事担当個所の考えにも影響しているようにも思えます。
ひとつは、スマホゲームのおかげで、対象の瞬時の動きへの指先反応は達者でも、少し長い目で見てどうなるかという勘、つまり予想能力が鈍っているということです。
もう一つは、金曜日に異常の報せをもらっても、とにかく土日は休み、働く人に嫌われたくないという気持が、念のためできる手を打っておく気持ちを、退けてしまったとも考えられます。
なにしろいまは、ゆるキャラ時代ですから。

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都を増やすトコウソウ

2015年04月17日 | つぶやきの壺焼

「みやこ」は日本には一つあればよいのに、なぜもっと増やそうとするのか、よくわからないのがトコウソウです。
徒抗争、塗工層、床嘘ぉ、音の響きも、どこかパッとしません。

都のないところにそれをつくると、なにがどうなるのかと考えて気付いたことがあります。
都の中には、多分大きな区ができるでしょう。
すると、それぞれの区に議会が置かれるでしょう。

1府議会、1市議会から、都議会、区議会へ、ずいぶん議会の数が増えます。
まさかいまの市議を各区に分散させて終わりということもないでしょう。

トコウソウとはセンセイを増やすことだったのでしょうか。

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読めないメモはメモではない

2015年04月16日 | つぶやきの壺焼

C0see 2h 40p カベ
走り書きのこんなメモがあります。

ラジオを聞きながらとったメモですが、これを解読できる人は、相当想像力旺盛な方です。

はじめの4文字のうち、最初と4番目は、くずれてほかの字に変わってしまっています。
これが何日か経てば、書いた本人も読みとれなくなるでしょう。

修正して変換するとこうなります。
10秒 2時間 4割 壁
100メートル走、マラソン、バッティングの打率、スポーツの壁でした。

記憶の補助になってこそのメモですから、走り書きであってもなくても、読めなくなったとき、それはメモではなく、意味のないただの文字列になります。

メモの条件は「読めること」でした。
おっと、もうひとつ「書くあいだ待たせる」これもメモではありません、のろまの書き取りでしょう。

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ものの食べ方に国民性が現れる

2015年04月15日 | つぶやきの壺焼

魚は釣るもの、けものは飼うもの、日本人のおおよその感覚はこうだろうと思います。
いいやそうではない、こういうこともある、それも当たり前としたうえでの話ですが。

魚は尾頭付きが祝いの膳に上って喜ばれますが、ふだんは魚の姿を見せなくした刺身が多く好まれます。
刺身や寿司は、日本人どうしの清潔感共有の前提があってこそ、その味を愉しめるのだという説があり、もっともだと思います。
地べたにじかに並べて春巻きを干すようなところでは、刺身に箸も向かないでしょう。

日本では肉の尾頭付きは見ません。
どこかの国で丸焼きを見てきてわざわざ真似をするモノ好きは、例外としてありますが。

顔かたちが見えるようにしておいて、その肉を切り刻みながら食べる、そういう食文化をもった国では、人を人と思わないことが行われます。
残虐を許す神は、何かにつけ生活の端はしに現れるようです。

おだやかな神は、ふだんの暮らしのなかには姿も見せず、言葉にも出させません。
悪口にまで神様を引きずり出すようなことは、この国ではしないのです。

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