・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

時間つぶしは もう古い

2015年02月28日 | つぶやきの壺焼

辞めた大臣の所業の詮索を、いつまでも続けているのは時間の無駄です。


どうしても続けたければ、無駄な言い合いをしているその分は、議員歳費から差し引いて返上させるとよいでしょう。


元は税金の、国費を使って無駄な時間を過ごしている様子を、中継放送で視聴料を払って見させられるという、二重の無駄を私たちは強いられています。


ゆとり、鷹揚とは無縁の、これは無駄礼賛の偏向ではないかとも思うのですが、いかがでしょうか。

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トリカセ はもう古い

2015年02月27日 | つぶやきの壺焼

ラジカセが古いのはわかるが、トリカセとはなんだ、とお思いでしょう。

トリカセは、モノではありません。
トリアエズ カセゲレバ という経営態度です。

モノを創る会社は、モノづくりの好きな人が創業します。

創業者の眼の黒いうちは、モノづくりのこころが受け継がれます。
モノづくりのこころの芯は、つくってうれしい、使ってもらえればなおうれしい、たくさんの人に使ってもらえればなおなおうれしいというところにあると思います。

ところが、何十年か経って、創業者がこの世にいなくなり、経営だけが、モノづくりの心をまったく持たない人に受け継がれてしまうこともあります。
引きうけた人が、経営業という仕事人の場合、契約期間内に、数字にあらわれる業績を上げること、つまりとりあえず稼ぐことに専念します。
つくることより、使ってもらうことより、買わせればよいということになります。

とりあえず稼ぐために、モノを売るだけでなく、作り方を知らないがカネだけは用意できるという会社があれば、そのモノの肝心な部分だけを売り始めます。
そのうちに、モノの部分を作ることさえやめてしまって、作り方まで売り始めます。
技術提携などという、カッコよさそうな名目も用意されています。

たくさんの人にモノが行き渡って喜んでもらえればよいではないかと、トリカセさんは思っていますから、それが失敗のもととは気づきません。
気付かないのではなく、自分には、どこかに呼んでくれる次の会社があるので、あとのことはどうでもよいのかもしれません。

しかし、モノを創ることは、研究室だけではできません。
実際に仕事としてモノをつくり続けていなければ、創る人も、アタマも、途絶え ます。

世渡り経営を仕事にする、古びた頭のトリカセさんが増え、創る人が減っていったとき、その国の政治家は、カジノなどという衰退途上の興行を、今頃から始めてみようかと、古くたびれたような頭の働きしかしなくなってしまうのです。

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農水省 経産省 はもう古い

2015年02月26日 | つぶやきの壺焼

文化防衛には、国民の日常生活の安定がまず第一です。
日常生活の安定には、どんな場合にも食料と熱源が確保されていなければなりません。
自由貿易は、流通経路遮断がいつ行われるか予想できません。
「どこ」は予想できても、「いつ」は予想できません。

流通経路遮断は、農林水産、経済産業というような分野別には起きません。
一切合財、ハードもソフトも、ばっさりと途絶えます。

食料と熱源、飲食と電気、これが自給できなければ国民生活は破綻します。
占領軍の手伝い仕事をずっと引きずってきた、作ることへの邪魔だても、宥めすかしの補助金策も、もういいでしょう。
国民生活の防衛には、これまでの縄張りにとらわれない、総合施策が必要です。
どこかのだれかの顔を立てるために動きがとれないような、古くさい鎧は脱ぎ捨てなければなりません。
食糧熱源省、食熱省、名前がダサければ公募すればよいので、大きな心構えで大きな仕事をする役所に組み換えをしてほしいと思います。

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行司さん しっかりせいが なぜ悪い

2015年02月25日 | つぶやきの壺焼

滅多に愚痴を口にすることのない横綱が、酒の席で行司の判定に異を唱えたというので、いつまでもそれに食い下がる執念深い記者がいます。

親方が謝っても本人が謝らないのが気に入らないらしいのです。
悪いと思わないことについて、悪いと思っていない本人から謝罪の言葉を無理やり引き出させ、溜飲を下げようという、なんとも意地汚い根性にも見受けられます。
それが一人二人ならまだしも、次の場所前の記者会見に、団体交渉のような雰囲気を作り上げて迫るというのは、嫌味を通り越して集団下司行動としか言えません。

まあ仕方がない、謝る形だけでも見せておこうかと、よくある謝罪会見のような格好にもっていければ、よくやったと社に帰って褒められるかもしれないという、サラリー・ジャーナルのけちな考えなのでしょうか。

行司の軍配は絶対と声を強める人もいます。
しかし、絶対であるのはその判定に限ってのことで、星の色分けが決まるまでの権限でしかありません。
絶対はそのとき限りのものです。
軍配が大間違いであれば、勝負審判の協議によって、行事差し違えという判定もされます。
勝負審判からも控え力士からも物言いがつけられなければ、行事の軍配どおりに星の色は決まります。

ただ、星の色がそう決まっても、実際に負けでなかったかどうかは、力士同士がよくわかっています。
何百回という勝負を通して積み上げてきた力士の判定眼でみて、もし、仮に負けでない勝負に黒星がついたら、謝る人はそのときの行司と勝負審判ではないのかと思うのですが、いかがでしょうか。

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ゆっくり配るメール便

2015年02月24日 | つぶやきの壺焼

メール便で配達されるものを最近ひとつ買ったら、品物がなかなか着かないことがありました。
早くて便利だったのがなぜ遅くなったのか、おかしいと感じていました。

メール便が廃止になると聞き、思い当たりました。
民営がよい、競争がよいと喧伝されたものも、知れわたって利用者が増え、そちらが優勢になれば難癖をつけられ、やめなければならなくなるのでしょうか。

せっかく慣れてきたことをやめるには、顧客不満足度を薄めておく必要があります。
やめる前ぶれを流した後、やはりだめだと思わせなければ利用者は納得しません。

ゆっくり配られるメール便、それでも問い合わせのときの返事よりも1日早く着きました。

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中国流 ~こんなもの見つけました :2

2015年02月23日 | つぶやきの壺焼

鉢植えの葉ダレ防止用 円形支柱

長い名前がついています。
14文字の後4文字で体を表し、前10文字は能を表しています。
名前が簡潔でないと何かと不便だった時代には、短い名前も考えてつけられていたことでしょう。
いまでは、伝票も記帳も包装の印刷も、一度記録してしまえばいくら長い名前でも困ることがありません。
体も能も想像のつかない名前よりも、いっそ両方がわかるこういう名前のほうが、わかりやすくてよさそうです。

直径140ミリの輪に、長さ280ミリの足が3本ついてひと組、それが5組入りで売られています。
国内で作れば、とても100円という値段では店に出せないでしょう。

袋から出したとき、1本の足がポロっとこぼれ落ちました。
輪につなぐところの、はじめは自由に動いてしかも外れない微妙な接続部分で、曲げ方が少し足りなかったのでしょう。

5組の中から2本足でいるものを探し出して、またつなげればよいので、数が合っていれば差し障りはありません。
こんなところにも中国流があったのでした。

囲碁の布石だけではなかったようです。

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ヒモつきでない 箱の閉じかた ~こんなもの見つけました :1

2015年02月22日 | つぶやきの壺焼

ダンクリップ

英語名 Box Clip
スペイン語名 Grapa de la caja グラパ デラ カハ

カハ が 箱 の発音にどこか通じるようなところが、面白く感じます。

閉じてもそのままじっとしていない、なにもしなければ律儀にある角度までは開いてくるダンボール箱のふたを、グッと差し込むだけで止めてくれます。
ヒモも、輪ゴムも、ガムテープもいりません。

あけるとき、うわぶたにちょっと無理がかかるのが難点ではあります。
これ、ダイソーで見つけました。

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毎日のことが変なこと~不思議であるような ないような:4

2015年02月21日 | つぶやきの壺焼

人間生活には、ただ黙ってしているだけの、変なことがいろいろあります。

一緒に運んで行って、機械で振り分ければ簡単にできることを、家庭ごとに割り当てられ、毎日しています。
分けておけば、その家庭でこれから何か役に立つからではありません。
それは、家庭ではもう使うことのない、ゴミという材料ですから。

ゴミを別々に集めるわけを考えてみたところ、思い当たるのは「分けないと仕事が減るから」ということでした。
分別をしないと、こんな仕事が減ってしまいます。
1.家庭の主婦がおもに担当している、ゴミ入れの内容を検査する仕事
2.家庭内検査員以外の人を、検査員が教育する仕事
3.分別に容易なゴミの容器を製作販売する仕事
4.ゴミの分別に住民の協力を呼びかける役所の仕事
5.廃棄物処理業者に、専門領域を設けて、それぞれに事業許可、処理委託をする役所の仕事
6.ゴミの種類ごとに別々に動かす車両の製作販売、運転、収集作業に携わる人の仕事

仕事が減るというのは、量が減って楽になるのではなく、いままで続けてきたものがパッタリなくなってしまうということもあるのです。
黙ってしているそのことが、誰かの仕事を支えているのです。
これは、環境という言葉にはあまり関係がなさそうです。
走る車の数が増えれば、環境が良くなることはないはずですから。

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そとゆめ うちゆめ

2015年02月20日 | つぶやきの壺焼

標題は、そとよめ、うちよめの書き違いではありません。

眠りの中で見る夢のほとんどには、そこに自分がいます。
夢に鏡はないので、自分の姿は映りませんが、とにかく自分がいます。
自分と相手のだれか、自分と出来事の何か、その関係を夢に見ています。

もし、見る夢に自分が関わってない場面があったら、すばらしい夢になるだろうと思います。
自分の外の夢です。

「ときめきが、生きることなのです」と、王さんがこの間ラジオで言っていました。
ときめきは、自分の外に見る夢が、震源になって、そこから伝わってくるような気がします。
自分の外に夢を持てるか、持てないか、それは人物の大小の篩になるかもしれません。
見る夢、持つ夢が、自分のことに限定されてしまう人には、満足感もときめきも、なかなか得られないでしょう。

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ひそかに活かされるハイジン

2015年02月19日 | つぶやきの壺焼

ハイジン、それは、風流の道に明け暮れる俳人とも、もうだめになった廃人とも違います。
ある目的のもとに人材を配置することを、配人と名づけてみました。
はっきりした契約のもとに行われる人材派遣とも、また違います。

配人は、深く静かに、表面上はまことに穏やかに行われます。
世にいうテロのような、乱暴な個別行動は禁止されていますが、ときに多勢を装う必要のあるときには、随所に集団を形成して、多少の被暴力行為を演じることもあります。
被-ヒは彼-カ、彼-カは加-カに通じ、暴力エネルギーが往復運動をすることもありますから、被が被だけで終わらない場合も、ときにはあるでしょう。

配人は、人の配置という行為の抽象表現ですから、具体性を持ちません。
工作という具体行動の名称もありますが、たぶん本人にも意識させられることはないでしょう。
無理に意識を持たせれば、保険の外交員が、自ら売り歩く新型保険制度を、平然として「商品」と呼ぶような、間抜けな言動に至るおそれがありますから。
適材適地に配置された人は、隣人を作り、仲間を育て、弛緩と先鋭を織り交ぜた無意識の連帯を、日常の生活の低層の部分に浸透させていきます。

悪い人と思われないようになれば、配人は成功です。
やがて家を手に入れ、土地も手に入れます。
家や土地は局所のものでしかありませんが、手に入れたら最後、決して話すことのないもっと大きな利用価値を持つものがあります。
XX特権という名の「制度」です。
制度は人を動かし、地方自治にも揺さぶりをかける力を持つようになります。

江戸や明治との時代の違いを見定めること、歴史はそう読まれなければならないでしょう。
何度も繰り返すための参考書ではありません。

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大根役者の語源を探る

2015年02月18日 | つぶやきの壺焼

映画にせよ舞台にせよ、監督、演出は大変な仕事です。
演じられる人間の数が、2倍にも3倍にもなるからです。

まず、脚本の中に描かれている人物が一人め、演じる役者本人が二人め、三人めは役者の演技に現れる人物です。
役者が優れていれば、一人めと三人めがすぐに一致します。

ところが、そんな役者はどこにでもいるわけではありません。
三人めの人物は、二人めの演じ方によって、すぐに変えられてしまいます。
二人めが演技という方法を持っている場合はまだよいのですが、演技の方法を待たない、自分の道具を持たない叩き大工のような役者が多ければ、さあ大変です。

脚本の中の人物などそっちのけで、ただただ演じている自分が好きという困った役者もいるでしょう。
ヘボ大工の集まりのような困役者、監督さんは腹の中で「このダイコンどもが」と呟きながら、メガホンで頭をコンコン、それが大根役者の語源と言われますが、あてにはなりません。

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腹の皮をよじると 翌朝寒くない

2015年02月17日 | つぶやきの壺焼

言葉が出せないほど笑っていているときには、腹の皮が共振状態に入ったように振動を続け、しばらくはそれを止めることができません。

ところが、そこから立って、何かを取りに隣の部屋へ行って帰ってくると、笑いの振動がおさまっているのです。
人が笑うとき、その場には笑いの空気が発生しているらしいです。
麻酔に使う亜酸化窒素を笑気ガスと呼ぶそうですが、そういうボンベに詰められたガスではなく、その場でできる空気です。

昨日は娘の親子がやってきて、久しぶりに笑いの空気をばらまいてくれました。

今朝は、最低4度、最高6度、それなのに、あまり寒さを感じません。
笑いの空気がいくらか残っているのでしょうか。

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がんばれ 箱根湿生花園

2015年02月16日 | つぶやきの壺焼

箱根湿生花園が身売りするうわさを聞きました。
大きなガジュマルを運び出すのが大変という話もまじっています。

そんなことより、どうして潰さなければならないのか、町だけで何とかならなければ、県は知らん顔なのか、そちらのほうが気にかかります。

いま、火入れの動画が公開されています。
 ⇒ http://shisseikaen.blogspot.jp/

間違っても、どこかの国の、文化侵略組織に湿性侵食されないよう、頑張ってください。

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体験が人間を作る

2015年02月15日 | つぶやきの壺焼

中学生が、近隣の店舗へ、仕事の体験に行くことがあります。
いわゆる「職場や就業に関わる体験活動」です。

文部科学省の「体験活動事例集」を見ると、このほかにもいろいろな体験学習が挙げられています。
数ある項目に「勤労生産に関わる体験活動」「交流に関わる体験活動」というのも別にあるのが、奇妙な感じもします。
事例の分類上での命名なのでしょうが、就業~職場~勤労~生産~交流は、つながりがあるどころか、ばらばらには考えられないことであるからです。

それはともかく、人と人の交流は、信用される人間を育てる上で、とてもだいじなことです。

いま、高校の授業が連休に入っています。
入試が行われれば、教室はある程度使えなくなります。
先生も、ある程度授業に時間をあてられなくなります。
しかし、入試がそう何日も続くとは思えないのですが、連休が長く、しかもその間学校が立ち入り禁止、交流遮断になっているのだそうです。
部外者の立ち入り禁止はわかりますが、生徒も、入試を挟んだある期間部外者と同じにされてしまうのは、信用されていないからでしょうか。
入試のときには、信用されない体験をさせているということになります。
信用されない体験をさせておいて、信用される人間を育てることはできないでしょう。

どこかから、現実をよく見よという声も聞こえてきそうです。
だがしかし、現実依存の積み重ねが、崇高であるはずの宗教さえねじ曲げてきているではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

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外国人の不動産買い付けに用心を

2015年02月14日 | つぶやきの壺焼

文化は土地に根付きます。
文化は家で生まれます。

土地や家を、むやみに外国人に売り渡せば、育てた文化を一緒に差し上げることになります。
受け取ったほうは、時期を見て高値で売り飛ばすか、別の文化を根付かせようとするか、いずれにしてもはじめにその土地にあった文化は消えてなくなります。

ジグソーパズルのコマが抜け落ちたように、そこには穴があきます。
その穴は、塞がることがないばかりか、周りのコマもポロポロと抜けていき、何でも植え付けられるような大きな穴になります。

文化を防衛するためには、外国人の不動産買い付け者には、厳重な資格審査をする必要があると思うのですが、いかがでしょうか。
それはグローバル時代への逆行だなどと、決まり文句で片付けようとするうちに、恐ろしいミッションは着々と進んで行きます。
ご用心、ごようじん。

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