・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

怪語補検:14 海外

2019年01月31日 | つぶやきの壺焼

Google で検索ボックスに「かい」まで入れると「海外」というキーワードがまず出てきて、次に海外をかしらにしたキーワードがいくつか並びます。

列の最初の項目は「海外の反応」でした。
日本での関心事は海外の反応がいちばん多いということなのでしょうか。

海外という言葉は、外国の言い換えに使われていますが、四辺を海に囲まれている国でなければそうはならないでしょう。
外国と呼ぶと、どこかよそよそしい感じがしますが、海外という言葉には、親しさと気になる対象という感覚が織り交ざっているように思います。

最近の出来事をみると、日本人は、自分たちが海外を見る目で相手も見返してくれるものと思い込んでいるようなところが目立ちます。
無理難題どころか、話にもならないでたらめな注文を、それが当たり前のように次々に突きつけてくる相手に、いつまでもおだやかにとか真摯になどとのんきなことを言い続ける、紳士気取りの政治家、財界人、報道人、学者がいます。

交通機関、情報網の発達は、地球の裏側までの往復時間を、極端に縮めました。
しかし海外とは海の向こうで、日本人一般と同じ考えを持っている人はごく少なく、しかも距離の近いところほどこちらに手をのばしやすく危ない人たちがいるということ、そういう人たちには、こちらの我慢や善意は通じないものだということに早く気付き、子供たちにも教え込まなければならないでしょう。

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怪語補検:13 話題

2019年01月30日 | つぶやきの壺焼

XXが話題になったという報じ方があります。
多くの人の興味が集まりそうな話題があると、話題になっているということが興味を呼ぶだろうという、安直真正直な思いがそうさせるのでしょう。

人々の興味には、ふたとおりの湧き方があります。
1.話題にされた物事への直接の興味
2.話題にされているということへの興味

2.のほうは、興味というよりもB級の野次馬根性、あるいは置いて行かれないための興味の素振りです。
事実やその周辺のことはどうでもよく、興味を持っているという参加表明のようなものです。

敵対他党の演説中に、中身も時もお構いなしで、ただむやみに野次にもならない奇声を上げ続けるバカ議員が、その見本です。
これから何ヶ月か、バカな動物に与え続けなければならない餌代が1日3億円、そのうえ秋にまた2%の増税? 冗談ではすまされません。

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怪語補検:12 汚点

2019年01月29日 | つぶやきの壺焼

採点、汚点はつけられるもの、初めからあるものではありません。

採点はそれを望まれてつけますが、汚点は元来つけることを望まれないものです。

汚点は、見つければきれいにしたい、拭い去りたいと思うのが、普通の人間の感覚でしょう。
ところが、何かにつけて汚点をつけたがる人の集まりもあります。
人間社会全体に汚点を残していくことを、まるで責務のように思い込んでいる始末の悪い人たちがそれです。
その困った集団は、政党、報道人、教員の仕事の場でうごめいています。

 

自分たちがわざわざ汚れをつくって何度も繰り返し塗りたくった見せかけの汚点を、世界に向けて広げようと懸命になるそのさまは、狂気の沙汰としか思えません。
ねらいをつけた誰かの顔に塗りつけたつもりの汚れは、自分の顔を汚していることに、汚点制作集団の亡者たちは気づくことがないようです。

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怪語補検:11 類似

2019年01月28日 | つぶやきの壺焼

複数の物事の間に共通した部分があること、互いに似かよった点があることを類似といいます。

この言葉は、似ていることがよい場合にはほとんど使われません。
使われるのは、似たことを嫌い、似ていることが目立たないように、似ていることを隠すように、または似ていることがまた起きないように望む場合に多いようです。

とかく嫌われがちな類似を、逆に利用したがるのは、器用でいながら頭のよくない人に共通な手段でもあります。
よく似たものをちょっと変えて同じものと思わせて売る商売や、類似どころかまったく同じ手口を使った犯罪がその例です。
うまくやったつもりが、ほかに手はないのか、ばかではないかとはたから見られていることに気付かない、それらの人には、頭の働きに共通の類似欠点が沁み込んでいるようです。

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怪語補検:10 抜く

2019年01月27日 | つぶやきの壺焼

「抜く」という言葉は、多種多様に使われますが、最も多いのは中に入っているものを抜き取る所作です。
抜く目的には、中のものを役に立てるための場合と、役に立たないので抜く場合があります。
役に立てるためとはいっても、これがまた多種多様で、善悪さまざま、抜く手法も善悪さまざまです。

また、染め抜きのように、抜いたものではなく抜かれたあとを目的にすることもあります。
この抜かれたあとの出来栄えで、物の値打が定まります。

抜かれたあとが大事なことは、物だけでなく、時の場合にもあてはまります。
競技などでは抜かれたあとが大事な瞬間です。
そこでの対処の仕方が大事とわかっていても、できるかできないかで、その人の一生が定まることさえあります。

抜くというのは人間のすることですから、抜き方にその人間の性格が表れます。
抜く手を見せずという剣の極意のように、抜く行為そのものは、得意になって見せるものではありません。
他社に先駆けて特ダネ報道をものにしたときでも、抜いたあとが、抜いた人の値打にかかわってきます。
抜く行為自体は、やまとごころとの折り合いがよくないので、喧伝されないほうが抜いた人の身のためになると思うのですが、抜いたことを自慢の種にするグローバル・タイプの跳ね返り者もいます。
それが三流ジャーナルを賑わし、また売れるという具合で、文化の質の下方修正を自分で続けているのです、いやはや。

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怪語補検:9 履歴

2019年01月26日 | つぶやきの壺焼

履歴は、いろいろな切り口で層別できます。

1.人の履歴、物事の履歴
2.確かめたい履歴、消したい履歴
3.事実の履歴、捏造された履歴

履歴の履は「ふむ」「はく」という意味をもっているので、捏造されたものを履歴とは呼びにくく、そう呼ぶこと自体が不当なのかもしれません。
学歴詐称などは、社会に対する反逆でもあり、人間として最もたちの悪い行為に属します。
しかし、いったんそう名乗って、しかも首席というおまけまでつけてしまえば、消したい履歴としてもう扱いようがありません。
本人は忘れたことにしておいても、いつかだれかが思い出してくれるという、厄介なことになります。


Google で「履歴」を検索してみたら、「関連するキーワード」に出ている10項目のうち9項目は消したり見えなくしたりというものでした。

<履歴に関連する検索キーワード>
検索履歴 削除 パソコンXXXXXXXXchrome 履歴 自動削除
google 検索履歴 消すXXXXXXXXpc google 履歴 表示
履歴消しゴム googleXXXXXXXX検索履歴 削除 iphone
ドコモ 検索履歴 削除XXXXXXXXgoogle 検索履歴 非表示
google 履歴 削除 ツールバーXXXXXXXX履歴からアイテムを削除できない

履歴というものは消したくなることのほうが多いのでしょうか。

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怪語補検:8 知事

2019年01月25日 | つぶやきの壺焼

最近の知事には、評価が定まらない人がいると言われます。
評価が定まらないというのは、話にならないことのやわらかな言い換えでしょう。

地方行政区画を統轄する役所の最高責任者としての「知事」という職名の元を確かめてみることにします。

「知」は、物事の本質を正しく見とおすこと、「知事」は、物事をおさめつかさどることとされています。(藤堂漢和)

地方行政の範囲を超えて、国の消長に大きくかかわる重要な任務を背負っている知事職もあります。
その職に就いている人は、物事の本質を正しく見とおし、誤りなくおさめつかさどることが行動の基本になります。
あちこちに出かけしゃべり歩いたり何かして見せたりする芸人の仕事とは全く質が異なります。

任期を終えるまで人気を保ってもう一ぺんなどと、小細工を弄している暇はないのです。

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怪語補検:7 都構想

2019年01月24日 | つぶやきの壺焼

大阪で二重行政の無駄をなくそうという都構想は、もう何年も語り続けられていることのように思えます。

その制度設計を話し合おうと呼びかけたのに、「十分な議論ができていない」と話に乗ってこない変な政党があるそうです。
話し合いをしようというのに議論ができていないとごねるのは、食事の支度を一緒にしましょうと言ったら、まだ食べ終わっていないと言い返すような、わけのわからないひねくれ文句と一緒です。

行政区が変わっても、住んでいる人に必要なのは、頭の切り替えと名刺の刷り替えぐらいのことでしょう。
嫌がるのは、今の役所でそのまま定年までずっと同じことをしていたい人と、せっかく作り上げたか引き継がれたか今の選挙地盤を変えたくない議員たちだけではないかと思います。

なぜ話が固まっていかないのか、それには「都構想」という呼び方が、何となく語呂がよいだけで、画餅のような感じを持たせ邪魔をしているのではないかと、ふと思いました。

構想ではなく、こうしなければという実体を言い表す略称はないものでしょうか。
略称といっても、決して軽く見てはならないのです。

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怪語補検:6 閉店

2019年01月23日 | つぶやきの壺焼

閉店の看板とのぼり旗を、何度も繰り返し見かける同じ店があります。

閉店には、店の終わりの意味と、始まる前の意味とふた通りあるようです。
本当にそれでおしまいという閉店と、改装前、あるいは在庫一掃のための、まだまだこれからという閉店です。

まだありました、明日また開店するその日の閉店です。
看板ほどでもない小さな表示板が、入り口の扉の取っ手に懸かっていて、そこに「閉店しました」と書かれているのを歩きながら見かけることがあります。
そこが廃業なのか当日の閉店なのか、どちらでもよいにしても何か気にかかるものです。

もう一つありました、パチンコ・パチスロ動画配信サイト「P-martTV」のスタッフに"閉店くん"という名前がついていました。
その閉店くんは、どういう閉店をするのでしょうか。

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怪語補検:5 骨太

2019年01月22日 | つぶやきの壺焼

毎年夏前に政府から示される「経済財政運営の基本方針」に、「骨太の方針」という奇妙な略称が使われます。

骨太とは、主軸が太くがっしりし、かつ柔軟で、どんな外力にも耐え、内からの骨粗鬆のような障害もない、強靭な骨格の状態を表す言葉でしょう。

ある時、示した政策が、世論の一時的な批判には揺るがない、国政のしっかりした改革方向を示すという意味で、骨太の方針という言葉が使われました。
この方針は骨太のしかりしたものだと言い表したかったのでしょう。

その形容表現が、そんなつもりではなかったのに、いつのまにか略称に変容してしまいました。
骨太と呼べば、いかにもどっしりとゆるぎない内容をもっているかのように聞こえます。
こうして「骨太の方針」は、包装紙の飾り文字に似た役割を持たされ、聞くたびにどこかちぐはぐな感じをもつようになってしまっているのです。


むかし祖父が好んで食べていた「是はうまい」というふりかけがありました。

商品の名前なら使い方としておかしくはありませんが、政府が示す政策の呼び名に「これは骨太、しっかりしているぞ」という言葉を当てはめるのはいただけません。
大げさに言えば国語の崩壊です。


政策が骨太であるべきは、経済財政運営だけではなく、内外政、外交、防衛ほかすべてを含めた国政全体の骨格であるはずです。

受け狙いのような政策名称は、たとえ略称であってもよろしくありません。

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怪語補検:4 人気

2019年01月21日 | つぶやきの壺焼

幕内の土俵入りのとき、力士が紹介されるごとに湧き上がる歓声は、人気を推し量るなまのデータになります。

 (わき道)データというカナ言葉を、かな漢字の言葉に入れ替えたかったのですが、見つかりません。

不思議なのは、列の最後の大関が紹介されるとき、例外なく歓声が大きくなることです。

その場所では、人気がそれほど高まってなくても、このときの歓声だけは大きく放送されます。
ここまで書いたとき、放送音声は音量調整ができるのだったということに気付きました。

TV放送の音量調整が、実際にどう行われているかは知りませんが、雰囲気づくりの制御もできるでしょう。
音量調整を巧みに使えば、力士の人気を作り上げることもできそうです。
人気が売り物の行事の放送ならば、人気を煽る操作も有効な手法になります。

この人気操作が、政治の場に持ち込まれたときにはどうなるでしょうか。
ある筋から操られる報道機関が、一個人に狙いをつけて、何がなんでも人気を落とすことに腐心したとき、報道の自由が逆用されて、最悪の事態を招き入れることにもなりかねません。
TVの前でうっかり拍手などしてはいられないのです。

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怪語補検:3 発展

2019年01月20日 | つぶやきの壺焼

途上国と呼ばれる国があります。
Wikipedia では開発途上国の別称、大辞林 第三版では発展途上国の略とされています。

開発途上と発展途上では、同じ国を呼ぶにしても意味が大きく違います。
開発は他力が主、発展は自力が主という違いです。

開発は、もともとその国にいた人々がどうなろうとお構いなしに、他国の意思によって進められることもあります。
発展は、その国の人が望み、その国の人の力で進められなければ、そう呼びにくいでしょう。

経済援助という名の資金注入があってもなくてもそれなりにできる発展と、見返りが目的の開発とでは、全く意味が違います。

意味の違う言葉を、使う側の都合次第で置き換えるのは、欧文和訳の、あまりたちのよくない便法のように思います。

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怪語補検:2 論破

2019年01月19日 | つぶやきの壺焼

少しややこしい話のとき、自分の考えを相手に認めさせる自信のほどを、「論破できる」と得意になって言う人がいます。
何人かのそういう人には、何かにつけて巧いことを言うけれども、どこか怪しげなところのある、共通の全体像が感じられます。

論破とは、文字通り議論によって他の説を説き破ることですが、そこで出された論理的らしい説明が、正しさの証明になるとは限りません。
相手が「そうか、わかったよ」と言っても、面倒だからそういうことにしておこうと、話が打ち切られることもあるでしょう。
そういうのは論破ではないと言っても、多分「あぁ、そう」で終わりでしょう。

「論破できる」ということは、早足で歩ける程度の、たいしたことではなかったようです。

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怪語補検:1 衣装

2019年01月18日 | つぶやきの壺焼

ちょっと個性の目立つ服を着ている人に「それ、衣装ですか」と聞く場面が、わざわざTVで放送されることがあります。
衣装は、もともと着るもの、衣服全般をさす言葉だからと、「着ているものに衣装ですかはないだろう」と言えば、「バカ、何言ってんだ」となるでしょう。

業界では、出演のために用意された衣服を、衣装と呼ぶらしいのです。

いつも不思議に思うのは、難民と呼ばれる人たちの着ているものが、こざっぱりしていることです。
バスも立派、衣服もきれい、これ、衣装なのでしょうか。

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別次元:31 批判と敵対

2019年01月17日 | つぶやきの壺焼

批判は受けるのは気分のよいことではありません。
気分のよくないことは起きないようにと、心配りされます。

どんなことにも批判されないようにと、それだけに気をつけていれば、すべて物事がおだやかに運ばれているように見えます。
他から批判を受けなければ、自分自身にも批判の心はもてないでしょう。
それで何も変わることなく過ごせるかどうかとなれば、これはあやしくなってきます。

人間には、敵対という、あるときには厄介な、あるときにはそれが励みにもなる、心と心の関係が生まれます。
批判は勝ち負けとは無関係の言動ですが、敵対は結果に勝ち負けを求める心情から行動まで広範にわたるもので、両者の次元は異なります。

敵対が組織に向けられずに個人に向けられたときは、まことに醜い様相を呈します。
国という大組織が、敵対を超えさらに征服の的とされているとき、国内に統率者個人への敵対意識だけをむき出しにして他には何も考えないケチな組織が数多くあるならば、批判を恐れずにそれらを潰していかなければ、半世紀の後にその国は征服者の餌食になることは間違いないでしょう。

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