・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

縛られた縄を振り解こう:7 自虐

2019年09月30日 | つぶやきの壺焼

半世紀以上も前から長い間、日本人は世界の人びとに向かって悪いことをしたと思い込むように仕向けられてきました。
新聞、雑誌、書籍、テレビ、映画、教室で、読むもの見るもの聞くものに接するたびに、うまい具合に話が組み立てられた記事、論説、小説、ドラマ、教科書によって、卑屈の浸透水のようなもので、感じること、思うこと、考えることを濁らされてきました。
総理大臣やノーベル賞作家までが、自虐の病に冒されてか、あるいは立場維持のための装いなのかわからない、謝罪や贖罪の意を表す行為を繰り返してきました。
そういう言動を見せつけられれば、人びとはどこかおかしいとは思いながらも、そんなことなのかなあと信じるようになっていきます。

こうして国全体が自分を責め続ける空気で満たされれば、いずれは自国の配下に置きたいと狙う国がそれを見逃すことはありません。
外からやってくる、国際常識などは地球外に押しやったむちゃくちゃな注文も、笑って見過ごすわけにもいかないヘソ茶のような言い分も、もとはと言えば、こちらの自虐史を編集加工したものなのです。

ガチガチの頭で首を回してみることさえできない大人たちはどうにもならないにしても、柔らかい頭の子供たちには、令和の初期に自虐史観の植え付けをスッパリやめてもらうよう、文部科学大臣の英断を望むところです。

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縛られた縄を振り解こう:6 願望

2019年09月29日 | つぶやきの壺焼

あるべき姿を願い、望みをもつことは、人間が生きる力のもとになります。
望みとは逆のこと、恨むこと、憎むことばかりを小さい子に教え込めば、そういう人間として育ちます。

もった望みは、願っているだけでは、それが叶う機会は訪れません。
平和、安全、戦争反対、いじめ反対、願いをプラカードに書いて立っていても、天の助けはありません。
あまりにも望みの強すぎる人だけが集まっても、互いに願望で縛り合い、ただ無意味なことを叫ぶだけに終わるでしょう。

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縛られた縄を振り解こう:5 自主的

2019年09月28日 | つぶやきの壺焼

新聞は、読者数が増えること、販売部数が増えること、発行部数が増えることを目指してつくられるでしょう。
発行部数は「何万部突破」と宣伝材料にはなっても、実際の販売部数が増えなければ収入になりません。

販売部数を増やしたり一定の部数を維持したりするには、行政機関が効率のよい狙いどころになります。
役所では、規定以外の行為はすべて自主的なものということになるでしょう。
個々の判断以前に加えられた圧力の質も量も、自主的決定によって発散解消されてしまいます。
行政の職場に持ち込まれたものを、なんでもお付き合いだからと購買するのも自主的決定です。
それが自主的と思っても、その職場の空気という見えない縄に縛られていることには、なかなか気付かないようです。

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縛られた縄を振り解こう:4 好悪

2019年09月27日 | つぶやきの壺焼

相手が人でもモノでも、いったん嫌いと思ってしまうと、どうしてもその感情から抜けられなくなる、そういう通念が世の中一般にあるという、思い込みの階乗のような縛り縄があります。

地球全般に有名になってしまった有力政治家を、他国の人ならともかく、自国のその人を徹底して嫌い、それをわざわざ呼びかける組織活動があります。
その人への嫉妬なのかというとそうでもなく、おそらく次の人に引き継がれてもまた「嫌い」の対象にしてしまう、執念の縛り縄です。

そこには「嫌い」という形にあらかじめ巻き上げた縄があって、縛り上げる相手がいなくなってもぐるぐる巻いた縄だけが残りそうな、目に見えない気味の悪さがあるようです。

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縛られた縄を振り解こう:3 主義

2019年09月26日 | つぶやきの壺焼

主義とは、決してブレない理念や考え方であると、簡単に言ってのける人がいます。

幼時からの教育や生活環境によって植えつけられてしまった理念やものの考え方を、変えることがなければそれを主義と呼び、おかしいと気付いて変えれば、それは主義ではなかったのかというと、そんなことはないでしょう。

主義は、大勢の人に同じような考えを持たせるために編み出された言葉で、個人個人の心根を判別する目印のように使われると、それに縛られる人が増えていきます。

自分はXX主義者だと決め付け、一生それを変えることはできないと思いこんだとき、縛られた縄には不幸の湿り気が深くしみ込んで、それを振りほどくことがますます困難になっていくでしょう。

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縛られた縄を振り解こう:2 題目

2019年09月25日 | つぶやきの壺焼

お題目は、唱えることによって意識を集中する言葉でしょう。
唱えるためのものですから、その言葉があらわすことがらを目的にしたところで、直接の功徳も効き目もありません。

お題目だけにすがりついて生きようとするとき、人はその言葉に縛られはじめます。
何をおいても、お題目の言葉にされていることが、かなえられればよいと思いこんだとき、しなければならないことから意識はだんだん逸れていきます。

元来お題目でないことを、お題目のように唱えさせ、意識を縛りつける人心誘導法があります。
新聞やTVには、そんな言葉がたびたび見られます。

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縛られた縄を振り解こう:1 衆目

2019年09月24日 | つぶやきの壺焼

日本人には、何かに縛られている人が多いように思います。
縛られ方や、何に縛られているかはさまざまです。

何に、そのひとつは「衆目」でしょう。
皆がこう思うはずだ、おかしいと思われたくない、ということです。

実際にどんな場合に、どんなことで、それを毎日一つずつ探っていくことにします。

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珍具探:31 低温調理器

2019年09月23日 | つぶやきの壺焼

食べものをやわらかく煮るには、低い温度でゆっくり煮ればよい、と言われても一日中鍋の番はできません。

そこにお任せくださいとできたのが低温調理器、温度と時間を決めておけばそのとおりにやってくれます。

炊飯器か電気鍋で温度センサーとタイマーを使えば自分でもできそうですが、さて、その気になるかどうか。

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珍具探:30 エアポッド

2019年09月22日 | つぶやきの壺焼

エアポッド という、名前だけでは何なのか想像しにくいものがあります。

ワイアレス・イヤホンで、邪魔なヒモがない代わりに、はずしたとき落としてしまうこともあります。

耳の形によっては、はずすつもりがなくてもポロっと落ちてしまうこともあって、駅のホームでそうなると、大変厄介なことになります。
駅員さんの朝一番の仕事がエアポッド拾いでは、何ともお気の毒ではありませんか。

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珍具探:29 コーヒースケール

2019年09月21日 | つぶやきの壺焼

コーヒーの抽出も、スマホと連動し、その人が気に入った入れ方を再現できるようになりました。
それでも、入れる場所、入れるときの空気の環境が異なったとき、まったくのお任せでは同じものにならないでしょう。

その前に、飲む人の舌と鼻の具合も、ご機嫌も、その時々で違うはずですから。

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珍具探:28 ふちなし

2019年09月20日 | つぶやきの壺焼

ふちなしではメガネぐらいしか思いつきません。
ところが、「ふちなしトイレ」というものがあるそうで、え、ふちがなくてどうなるのだろうかと思ったら、ただふちのくびれをなくしたものでした。

ふちがあっちも名前はふちなしとつけられています。
あってもないという名前があれば、実際にはなくても国名や党名にだけはXXがあるというのもあって、世はさまざまです。

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珍具探:27 磬(けい)

2019年09月19日 | つぶやきの壺焼

吊り下げた板を叩いて音を出す、一見単純な、叩き方しだいでは荘厳にも喧騒にも聞こえそうな、というものがあります。

大きさの違う板を順に並べて吊るせば、楽器にもなり、一枚の板だけなら、合図音器にも使えます。

野次にも相当しない罵声怒号を鎮めるには「静粛に」の掛け声より、一打の磬音のほうが議場には向くかもしれません。
ただ騒ぐ輩は、声よりも音に弱いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

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珍具探:26 山空穂

2019年09月17日 | つぶやきの壺焼

ウツボは海だけでなく山にもいて、ヤマウツボと呼ばれるそうですが、生きものは珍具に入れにくいので迷っていたら、昔の道具に空穂と呼ばれるものがありました。


弓矢の矢を入れる矢筒が空穂と呼ばれていたのです。
山で使うものが山空穂、これは狩猟用だったのでしょう。

細かい工夫が作り込まれているところを見ると、作っていた人の頭は、空どころか、ウツボの目のようにだいじな何かを見逃さない力をもっていたようです。

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珍具探:25 屋内BBQ

2019年09月16日 | つぶやきの壺焼

雨が降ってもよし、かまどの支度もいらない、焼くものを集めなくてもよい、集めるのは食欲の盛んな元気な人だけという屋内バーベキューが、町の真ん中でできるようになっています。

バーベキュー元来の丸焼は日本人の趣味に合わないにしても、何かの実習場のようにも見えます。
ずらっと並んだテーブルで、運ばれてくるものをただ焼いて食べ、飲んで騒ぐだけ、楽しさよりも憂さ晴らし、何が面白いのか、いや、「働き方改革」などと、働き方まで窮屈にされて仕事が面白くないと、こういう場所がはやるのかもしれません。

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