・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

保護:2

2010年10月31日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

「ゆうちょダイレクト」でログイン用の合言葉を忘れてしまったので、チャラにしてもらうためにブンショ申請を余儀なくされた。
Webで申請用紙と封筒を印刷できるからそうしなさいとサポートさんに教えられ、そのサイトを探して印刷した。
封筒までとはずいぶんご親切にと思いながらやってみると、ここにのりをつけなさい、のりをつけたところはこの面の裏側とあわせなさいなどと、ずいぶん手の込んだ貼り合わせ方が書いてある。むかし子供雑誌の付録で苦労した紙細工を思い出す。

何日かして合言葉の登録が削除されたとブンショ通知が来た。予告の一週間よりは少し早かった。
さてこれから、また登録のやり直しだ。
好みの画像を一つ、合言葉を三つ、順に選んでいかなければならない。これを忘れるとまた厄介なことになるから、こんどはしっかり名前を控えておくことにした。
このなかから選びなさいと並んだ画像がまた振るっていて、なんと呼ぶものか名前のわからないようなものがずらっと出てくる。
ビジュアル時代なのだから、名前がわからなくてもイメージだけで覚えておけというお考えなのだと察する。だから名前のわかりやすい絵の数は少ない。
これでは数少ないわかりやすい絵に選択が集中してしまうのではないか。

この方式は、登録のときにわかりにくくしておけば悪用されることも少なくなり、個人情報の保護も手厚くなるだろうという、わけのわからない考えのもとに作られたのではないか思う。

なんのことはない、システムの取り扱いを厳重にしていますと見せかけて管理責任を幇助することを「個人情報の保護」と適解しているのかと言いたくなってくるのである。


保護

2010年10月30日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

ITの進展によって、特定の個人を識別できる情報は、広範囲にばら撒かれる機会がどんどん増えている。

個人情報の保護に関する法律は、「個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする」としている。

法の文章は、もっともらしくかつわかりにくくできているから、解釈次第でそれを盾にとればいろいろなことができる。

元役所だったところが、ミンエイカという奇妙な衣替えによって、会社組織になる。だが、役人の仕事をしてきた人はなかなかその性癖を洗い流すことは難しいだろう。

「ゆうちょダイレクト」という、Web 上で預金口座から振込みなどができ、あるときには便利で、ある場合にはまことに不便なサイトがある。

何度か使っているうちに、ある日のこと、ログインに「合言葉」の打ち込みを求められた。
「好きな動物は」「好きな花は」などとたたみかけて訊いてくる。
合言葉の登録のときは、パスワードを忘れることもあるからそのバックアップのためぐらいにしか考えてなかったので、まったく思いつきで動物や花の名を入れておいた。
ところが、なんでもないときにそれを思い出せなどと要求されることはないと思ったのが間違いだった。
その関門を通過しないと、パスワードの入力場面までも進めないのだった。
関所が旅人を助けるためのものでなかったと同様に、合言葉はガチガチの管理システムだったのである。

「なに、これ」と電話で聞いてみると、「お忘れなら初期化して登録削除の申請をしてください、1週間ぐらいで手続きが終わります」
とうとうその日にはゆうちょダイレクトは使えなかった。
郵便局まで歩いて行けない距離でもないが、こんなばかげたことのためにウォーキングなどしたくないから、やむなく別の銀行口座から振込手続きということになった。


資格

2010年10月29日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

「資格を取るなら・・・」というキャッチフレーズがある。
世の中、資格ばやり。取りたい人、紹介する人、取らせる人に、共通の利益を生み出しそうな何かがあるからだろう。

資格を取るにはお勉強が必要。そのお勉強は「講座」という舞台で行われるように仕組まれている。
資格と講座は緊密な連携が保たれていて、資格なくして講座なし、講座なくして資格なしと言ってもよい。

講座には人気度の高いものとそうでないものがある。
Web には「人気講座ランキング」というページもできている。
1位:医療事務、2位:行政書士、3位:ファイナンシャルプランナーという順序で人気があるらしい。

資格と連携している講座は、売られなければ無価値に等しい。
講座はひとつの売りものだが、さて資格は売りものになるだろうか、とふと思った。
資格はそれ自体仕事はしない。では、資格は売られることによって価値が上がるものだろうか。

資格の価値は、売られての価値、使われての価値、得られての価値、持たれての価値、取られての価値とさまざまなようである。

よく考えると、資格は取ろうとさせるところに生まれる価値がいちばん高そうなのだが、なんなのだ、これは。


山羊鳥

2010年10月28日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

羽田空港の国際線新ターミナルが開業した。

旅客ターミナルビルの名前を、ラジオではときどきビックバードと呼んでいる。
会社名が「日本空港ビルデング株式会社」だから、ビルの呼び名もつい読みやすい「ビックバード」で登録してしまったのかなと思っていた。

ビックバード、フランス語の牝山羊と英語の鳥をつなげたような面白い名前だ。

ほんとにそうなのかと日本空港ビルデング株式会社のページの記事を探してみたが、どこにもその名前は出てこない。
"BIG BIRD" というサイトが別にあって、そこのニュース記事には、ちゃんと「ビッグバード」と書いてある。

では、ビックと読ませたのは誰なのだろう。
ラジオのニュース原稿を書く人か。
Drive your dreams. を「ドライブ ユー アー ドリームズ」と読ませるぐらいだから、ことによるとそのあたりかもしれない。
外国語をカタカナにして読ませるのは、どうもアナウンサー泣かせのようである。


得意分野

2010年10月27日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

「ドームはT」というキャッチフレーズを聞いた。

1610年(慶長15年)創業、はじめは宮大工、当時は神社仏閣がいちばん高価値で腕のふるいどころのある建物だったのだろう。

明治末期には日本初の鉄筋コンクリート造、敗戦後約13年めに東京タワーを造った。
東京ドームからはじまって国内の5箇所のドームを手がけている。
「ドームはT」といわれるのもうなずける。 
                 
なんでも横並びに気を遣ってキョロキョロしながら仕事を進める時代はとうに過ぎた。
まねをしながら追いかける時代も過ぎた。
いまは大国を目指すお隣さんがそれをやっている。

得意分野をもっていれば何もびくびくすることはないのだ。             


記憶

2010年10月26日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

ケイタイにスケジュール書き込み、アラームも出る。
こうすればまったく忘れることはありませんとの売り込みの文句。
こんなものを使っていると、自分では何も覚えていなくなるのではないかと思う。

むかし、メモを使わず記憶力抜群の人がいた。
その人の書いた字には滅多にお目にかかれなかった。
それでも仕事上書かなければならないこともある。そんなときに書く字は、言っては悪いがこれが字かというような強烈な個性をもったものだった。
なかなかの博学で、とくに新しい技術情報などを仕入れると、機会を捉えては繰り返し繰り返し話してくれた。
不思議なことにその人の話をまたかと思わないのである。
話の相手はいつも複数の人で、繰り返し話を持ち出すのは相手の誰かが入れ替わったとき。だから入れ替わった人にはその話が新鮮に聞こえた。

記憶力は話の中味だけでなく、誰にどういう話をしたかにまで及んでいたのではないかと、いまになって思う。
この人には話したか、まだかと、細密なデータベースが組み込まれていたのであろう。

きいたか、どうか、変なところで都々逸問答を思い出した。
「こわれた枕をソクイでつけて・・・」「きいたか」というあれである。


ほうち国家

2010年10月25日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

むかし、日本の常識と世界の非常識という言葉をはやらせた人がいた。
いま、司法の常識と社会の非常識が問題になりそうである。

世の中では、それは非常識な行いだとされていることが、司法に携わる人たちにとって常識になっていたのでは、何かにつけて法で裁かれる制度のもとでは、とんでもないことが起こりかねない。
「人間は弱いのだから、まあまあ」は、それですまされることと、そうでないことがある。

法治国家でなく法恥国家、その恥部がチラチラあらわれたのでは、放置国家ではないかと言われそうだ。
これは一大事、放置できない問題である。
六法さんも肩身が狭かろう。


キャンペーン

2010年10月24日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

「5年間サポートキャンペーン」というクルマのCMを聞いた。
キャンペーンでなく、ずっとそうすればよいのにと思った。
5年間というと2回目の車検直前まではサポートするという意味か。その後はどうなる、買い換えなさいというのだろうか。

その会社のページで5年間サポートキャンペーンとは何のことか調べてみた。
キャンペーンの対象になっている新車を買うと5年間サポートクーポンがもらえる。
そのクーポンにはふた通りの使い道があって、ひとつは「マイ○○サポート」、もうひとつは「特別金利ファイナンスの適用」だという。
「マイ○○サポート」は、早く言えば故障したら直してくれるということ、「特別金利ファイナンスの適用」はローンで買うかリースにするか、特別金利で選択できるとなっている。

何のことはない普通にそうすればよいことをキャンペーンと名づけて宣伝しているのではないか。
それはそうさ、キャンペーンってのは宣伝活動のことをいうのだから、何も不思議はないではないか、と言われそうである。
「これは宣伝活動です」という人はいないが「□□キャンペーン」といえば素直に受け入れられる。

キャンペーンは、期間を区切って焦燥感を湧出させ、それに応えればよいことがありそうな錯覚が起きることを期待して行う宣伝活動のことらしい。
キャンペーンというのはカタカナ・マジックの一種だった。


人相

2010年10月23日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

TVのCMに出てくる女優の顔、画面上の顔しか見たことのない顔は、眉毛の形が変わると別人に見えてしまう。

眉毛は、あって用なし、なければ形なしで、生理、生活上の効用はない。
しかし顔かたちにとっては重要部品なのだ。

普通の劇場に出演する役者は、役柄に合った眉毛を描いているのでわかりやすい。
永田町の国立劇場に出てくる役者は、眉毛の形を役柄に合わせてないので、わかりにくい。
あそこにも専属のメイクさんを置いて、もっとすっきりわかるような顔につくってから登場させれば、TV中継ももう少し我慢して見ていられるようになるだろう。
雇用創出にも役立つではないか。


検証

2010年10月22日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

 TVの報道番組で司会者が「○○について検証していきます」とときどき言う。
もっと過激なときは「徹底検証します」と、出演者に「これから締め上げるぞ」と聞こえるような前置きで話を始める。

だが、実際に放送が終わってみると、これが検証結果だというものは何も出ない。
徹底とは何を指して言ったのか、よくわからない。
TV番組で検証と言うからには、視聴者が腑に落ちるものがなければならないと思うのだが、そうなったためしがない。

TV局の検証というのは、あらかじめ考えておいた筋書きに沿ってキャスターが話を誘導することらしい。
そして徹底というのは、出演者が思いどおりの話をしてくれないとき、筋書きに合わせていくよう何度でも食い下がることらしい。
そう考えたとき、徹底検証の意味がようやく腑に落ちかけるのである。


幸せ

2010年10月21日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)
「秋刀魚祭りで秋刀魚が食べられて幸せ」とマイクに向かって嬉しそうな奥様。
誰でもが食べられるのでは、幸せとは言えないらしい。
皆さん誰でもというわけにはいかないでしょうが、私は食べられたから幸せ。

♪  しあわせってなんだっけなんだっけ、CMソングは幸せそうである。

経験

2010年10月20日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

「習ったことがある」は自慢用語の一つだが、「していたことがある」と同類で、その言葉は「いま」には役に立たない。
「とうとう身につかなかった」の言い換えのように聞かせておいて、鼻はヒクヒク動いているのが目に見える。
ごつい顔をしたおやじが、「バレーの基礎だけは習ったことがある」などと言い出すと、これはもう気味が悪い。

「むかしとんとんあったけど」の昔話や過去の出来事は、面白い話になりやすい。
だが、個人の習いごとの話などは、自分で言い出せば、出来事のカテゴリーから飛び出してしまうから、話の腰より聞く耳のほうがガクンときてしまうのだ。


マニフェスト

2010年10月19日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

マニフェストには種類があるという話をラジオで聞いた。
総花になりやすい「パーティーマニフェスト」と、肝心なことだけでよい「ローカルマニフェスト」という分け方なのだそうである。

なぜ分類が必要か。それは分類という方法を便利に使えるからである。
このマニフェストには肝心なことが書いてないではないかと言われれば、それはパーティーマニフェストだからと答え、全体像が見えないぞと言われれば、これはローカルマニフェストと返す。

選挙にマニフェストが持ち出される前には、全然別の種類のものがあった。
産業廃棄物処理のマニフェストで、発生場所から処分場所までの経路経緯がうやむやにならないように整理していく「伝票」だった。

そうだ、マニフェストは分類などはどうでもよく、「うやむやにならない」ことが肝心なのだ。


キーをあわてて打ったらナニフェストになっていて、いま急いで訂正したところだ。


身の危険

2010年10月18日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

住んでいる共同住宅のエレベーターが1日止まった。
止まったのは昼間だけだったが、その日は外出しないことにしておいた。
階段を歩けば足りない運動の足しにもなる。道を歩くのは少々遠いところでも苦にならず、駅の階段もなんとも思わない。それなのに、住まいの階段の上がり降りはなぜかむだな労力に思える。

止まったのはメイン・ロープの取替え工事のためだった。これまで動きに多少ぎこちなさがあったような気のしていたのが翌日乗ってみたらスーッと動く。
エレベーターはスーッと動いて当たり前なのだが、そうでないのにもときどき出会う。
Y市の中心街のビルにTというしゃれた名の居酒屋があって、半月ほど前に行ったとき、帰りに気付いたら動き出すときにググッ、ピチッと頭の上で音がした。
「こりゃそのうちにロープが切れるぞ」と思いもし言いもしたが、滅多に行かないところだからそのフォローはしてない。

街の大型ビルのエレベーターの保全管理の監督というのはどこでやっているのだろうか。
調べればわかるが、さほど忙しくないこの身でも、そこまではなかなか手が伸びない。
生活の危険は思わぬところに潜んでいるもの、不精な人間のために作ったものが、人間の不精さによって殺傷具に変わるのである。くわばらくわばら。


役割分担

2010年10月17日 | なんだいまあ(何だこりゃが念仏になった)

チリの落盤救出の新聞記事で見事な図解を見つけた。
掘削アメリカ、釣り上げ中国、消臭日本と、チリの現場だけでないいまの動きを如実に表している。
文字で読んでもあまりピンとこないが、図  の力はさすがである。






本当はこんなことを書かずに黙って載せておくのがいちばんスマートなのだが、いちいちこういうわけだと説明しないとわかろうとしない御仁もなかにはおられるから、しかたなしに駄文を添える。