・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

美醜交々:30 トリック

2020年10月31日 | つぶやきの壺焼

人びとの心が澄んでいるときは、騙されてみることも心地よさを伴った刺激になる。
「なんだ、そうだったのか」で心のもやもやが溶けることもある。
健康トリックと呼べるかもしれない。
騙すほうも健康のお手伝いなら悪事にならないという自覚を持てる。

人びとの心が荒んでくると、騙すことが楽しみではなくカネ稼ぎの方法になる。

個人が個人を騙しているうちは、騙されたほうも「やられた、バカだった」ですむことが多い。

騙しの手法が、組織、それも国の政治を司る組織で用いられるようになると、罪の深さは計り知れなくなる。

騙すのが外交と信じ切っている醜い首脳のいる国、そんな国とまじめに付き合おうなどは、バカを通り越した表現不能なセイジマインドだ。

バカにつけるクスリも効かない、困ったことだ。

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美醜交々:29 庭園

2020年10月30日 | つぶやきの壺焼

庭園の美しさを保つには、見渡せる範囲のすべてを管理できるようにしなければならない。

狭いと言われる日本でも、それが実行されているところがある。
安来名物はどじょうだけではなかった。

山の向こう側に、塔、煙突、鉄塔など、奇妙な建造物を建てられないよう、借景の山を買っただけでは済まなくなるときがやって来るおそれがある。

土地は変われたら終わり、カネの虫どもに食らいつかれないよう、景観美も防衛の対象、厳しい条例を。

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美醜交々:26 醜始醜終

2020年10月27日 | つぶやきの壺焼

「日本のいちばん醜い日」という本がある。
戦争の終わりのときに起こったことが主題になっている。

醜さはことの終わりに起きるものとしてしまうと、話の整理はつけやすいが、ものごとの醜さというものは、ことの始まりあるいはその前から積み上げられ塗り重ねられるもののようである。

あの戦争にどうして引っ張り込まれたか
それを解き明かした講座もある。

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美醜交々:18 ゴミ

2020年10月19日 | つぶやきの壺焼

ゴミは目で見えないところに溜まる。

ものの影でなく、開けっぴろげの大空間も、私たちの目には見えないところ。
そこにはどれほどゴミが漂っているか、計り知れない。

試みに、学術会議のHPを「宇宙ゴミ」で検索してみたら、出てきたのはこれが筆頭の5件。

あそこではゴミのことを考えないらしい。

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美醜交々:16 真似ドロ

2020年10月17日 | つぶやきの壺焼

真似てみる、そこから新しいものが生まれることもある。
その多くは受け入れられるが、真似たものには、どこかに、あ、やったなという元の感じが残る。

ドロを塗るような真似はよくない。
元のものであるかのような錯覚を起こさせ、それをウリにするのが真似ドロ
塗った真似には負の価値しかつかない。
それが買われるのはギャグとしてのみ。

塗ったドロは、いつかは剥げ落ちる。

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