・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

チョイチガ:14 密談

2018年04月30日 | つぶやきの壺焼

たてられたお膳には乗らない、当人どうしにしかわからない話があります。
それがどう報じられようと、「こういうことにしておこう」という話でつくられた、そういうことではないウソの皮で何重にも覆われています。

ラッキョウではなく大きな玉ねぎを持たされた、TV出演やキーたたきに大忙しのサルたちもいます。
いま、ちょうど新玉の季節です。

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チョイチガ:13 神の泡

2018年04月29日 | つぶやきの壺焼

ビールの飲み方には、酔いを求めるガバガバ型と味を楽しむゆったり型があります。

ガバガバ型を好む人は、わざわざグラスを傾けて、さして変わりはないのに泡の立ち方を少なく、少しでも正味を増やそうといういじましい努力を惜しみません。

ゆったり型向きには、飲み物の味は香りが逃げないよう、泡の立ち方を細かくふわっとさせる器具ができています。
ビールサーバーという名ですが、ビールに限らず、発泡酒でも、ノンアルコール飲料でも、神様が下さるようなきめ細かいクリーミーな泡が出るそうです。

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チョイチガ:12 平和の境界

2018年04月28日 | つぶやきの壺焼

国境とは呼ばない軍事境界線という仕切り線があります。
その境界は、素手だけでは破れそうもないものものしい柵を設けたところもあれば、地べたに動かないコンクリートベルトだけがあり、塀も柵もないところもあって、部外から見れば、何とも不思議な構造になっています。

そのまたぎやすくしてあるコンクリートベルトのところで、境を隔てた両国の代表が、会談に臨み、手をつないで行ったり来たりするという、幼稚園のなかよしごっこのようなことをして見せたと伝えられています。

芳名録には、「新しい歴史はいまから 平和の時代、歴史の出発点にて」と記帳したそうですが、さて、平和とはどの範囲のどういう状態を指すのでしょうか、これから出発するという歴史にはどういうことを残していこうとしているのでしょうか。

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チョイチガ:11 スイーツをコースで

2018年04月27日 | つぶやきの壺焼

前菜、スープ、メイン、デザート、スイーツのフルコース、5月24日に高松市の「菓子工房ルーヴ」で供せられます。

スープに何が出るのか、ブランマンジェといいながら写真では赤く見えるのが最興の疑問です。

舌で確かめようというお方は、二度足をお運びください。

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チョイチガ:10 嘘も堂々

2018年04月26日 | つぶやきの壺焼

フェイクの名門と高い評判を得ている某社の電子版記事に、こんなことが載っています。

『江戸から明治までの日本は、細かく正確に文書を残す記録大国だったということです。その国がいま「改ざんする」「うそを書く」「残さない」という公文書3悪で歴史に残る問題を起こしてきました。』

「メクソハナクソ」という汚らしいことわざがあったのを思い出します。

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チョイチガ:9 審議とは

2018年04月25日 | つぶやきの壺焼

こういう見出しの記事がありました。
『野党「今週はどーんと」 国会正常化へ、GW前の攻防』
パッと見ると、野党が国会正常化へどーんと舵を切ったかのように読み取れます。

だれを呼ぶとか呼ばないとか、建て前の人寄せ詮議のようなことのあとに、こうも書かれています。
『「審議なくして問題の解明はない」と述べ、野党側に理解を求めた。』
これも、もっともらしく聞こえながら珍妙なことがらです。

・ 「審議なくして問題の解明はない」ではなく、「審議しても問題は解明されない」が実態でしょう。
・ 問題でないことを問題と言ったところで、それが審議の対象にはなりえません。
・ 審議の対象になりえないことが、審議のまねごとによって解明されるはずはありません。
・ 形式的な交互の発言が、審議らしさの演出でしかないことを承知の上で時間つぶしをしていませんか。
・ もともと理解を示さないことを目的にしている相手が、理解の求めに応じるはずはありません。

愚報の原因は、妙に息の合った愚行にあったようです。

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チョイチガ:8 権料ビジネス

2018年04月24日 | つぶやきの壺焼

「音楽教室から、日本音楽著作権協会(JASRAC)が楽曲の著作権料を徴収する方針」という金の亡者のご紹介のような記事が出ました。
「音楽教室での演奏がこの権利の対象といえるかどうかは、裁判例がなく、法的にはまだ答えが出ていません」とも報じています。

音楽をメディアの販売や興行に使う場合に、それ相当の対価を払えというのは当たり前のことです。
しかし、教室での学習は、聴かせる目的では行われません。
法的に答えが出ていないというのは、過去にはそんなバカなことを考える人がいなかった、そういうセコいビジネスを思いつくようなケチくさい世の中ではなかったということです。
いいやケチくさくない、金額がばかにならないぞというなら、それに絡んでやり取りされるお金の額が法外なのだということでしょう。

"J"をかしらに付けた団体が、文化衰退に向かって動きまわるのは国辱です。
何か変なことに目がくらんでないか、まず洗眼運動をなさってはいかがでしょうか。

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チョイチガ:7 残念無念:3

2018年04月23日 | つぶやきの壺焼

4月21日の残念無念:2は、覗きそこないの記事でした。

広辞苑新版の追加熟語に、あの有言実行という綺語が見当たらなかったので、載せられてないものと思ったのが、2008年の第6版にはすでに載っていたのです。

偏執的探究心に誘われて手近の図書館の辞書を調べてみると、有言実行が国語辞書に現れたのは、はじめに想像していた世紀の転換のころより少し前でした。

その頃は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件の後で、人心が落ち着かず、言葉~頭の働き~行動がちぐはぐになっていたのではないかと思います。

言葉に出せばそのとおりするのが当たり前ではなくなっていたからこそ、わざわざ熟語になって国語辞典に載せられたとも言えます。
こんな言葉がさっさと死語になる、文化復調の日を迎えたいものと願っています。

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チョイチガ:6 宣言と払拭

2018年04月22日 | つぶやきの壺焼

実験には見切りどきがあります。
莫大な資金を使って続けてきた大きな実験の見切りは、世界中に見えを切る形で行われなければなりません。

実験場が閉鎖、あるいは廃止と宣言されても、閉鎖中の看板を外せば実験から実用に転換することもできます。

見切り操作のボタンは押されても、すぐ隣には転換ボタンが用意されているでしょう。

核をなくそうという言葉は、核以上にひどいものを作ろうという前触れかもしれません。
やれやれと気を緩めたとき、衛星からは見届けることのできない次の何かが始まるかもしれません。
相手が待っていたことに機会を与えてやったつもりでも、もうやってこない機会を一方で失うかもしれないのです。

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チョイチガ:5 残念無念:2

2018年04月21日 | つぶやきの壺焼

無念は有念の対語で、残念に結びつけるのは色違いの連結電車のような感じがします。
むかしE電にあえて風変わりを狙ったような電車が走っていました。
ここ何年か行って見ていないのですが、今はどうなのでしょう。

有念は「うねん」と読みます。
ゆうねんではなく、ゆうねんと読むのは、違う字を書く別の言葉です。

「有」を「ゆう」と読ませた愚例に有言実行というばからしい言い回しがありますが、言行のバランスがとれず、頭のほうに重みの掛かりやすい人ほど、この駄洒落熟語を好むようです。
だんだん日本語の辞書らしくなくなっていく広辞苑新版にさえ追加されなかったのはせめてもの救いです。

有念は、集中しきれてない乱れたままの心で考えを進めていくことのようなので、残念の心情を重ねる表現なら、無念よりもこちらのほうが合っていそうな気がします。
残念無念をはじめて書き言葉に使った人は、「ざんねんうねん」を聞き違えたのでしょうか。

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チョイチガ:4 残念無念

2018年04月20日 | つぶやきの壺焼

こんな見出しの記事があります。

<セクハラ認めぬ次官、女性社員は「残念」
_________________ テレ朝会見>

さて、ここで残念がっているのはだれなのでしょうか。

カナ表記の偽英俗語のひとつであるセクハラという言葉は、誰かを陥れるための小道具ですから、認めろ言われても、はいごめんなさいと簡単に認めるわけにはいかないでしょう。
男に頭を下げさせられなかった女性社員が残念がっているのか、頭を下げたところをつかまえて、狙いをつけているほかの誰かを困らせようとしていたどこかの会社が残念がっているのか、よくわかりません。

実は残念でも無念でもなく、こういう記事を書きたてて、人の目を引こうとするだけのことかもしれません。

本当のところ残念なのは、こういう意気地のない人間を、要職に置いてだいじな仕事をさせなければならないという組織の状況にあります。
下手な小道具に、ぶざまに蹴躓くことのないよう、眼と足元をしっかりしていただきたいものです。

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チョイチガ:3 人ちらし:2

2018年04月19日 | つぶやきの壺焼

虫は棲みかや食べものを目当てに集まります。
人間は旗や看板を目差して集まります。

旗や看板には、一時の間に合わせのものもあって、時が過ぎれば集まった人は散っていきます。



人びとの散りゆくさまには、どこか風情もあるので、それを楽しむ人ちらしもいます。

ときには離合衆参が離合醜惨になってしまうこともありますが、そんなときには人ちらしの仕掛け人は素知らぬ顔で、次の看板作りに精を出しています。

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チョイチガ:2 人ちらし

2018年04月18日 | つぶやきの壺焼

人たらしというちょっと品のないことばがあります。
人たらしは人を寄せつけますが、一字ちがえて人ちらしにすると、寄ってくる人をがっかりさせるような感じのことばになります。

Web への発信にはキーワードをうまく使って人を引き寄せる手法が用いられます。
耳慣れたことばを、早く目につくように散らばらせておけばよいということなのでしょう。
Web 全般で出現回数が多い、言わばはやりことばを、記事のはじめのほうに入れておけば、検索エンジンに引っ掛かりやすく検索結果の上位を占めることができるという単純な理屈です。
「あ」という名にしておけば、電話帳でいちばんはじめの行に載るからと、一字の会社名を決めた級友を思い出します。

耳慣れたことばを、平常とはまったく別の意味で使い、持ってほしい印象に導いていく方法もありますが、だましを含んだ賤しい手のようにも思います。

人ちらしなどと、耳慣れないことばをタイトルにしたのでは、人が近付きにくいので不利なのですが、キーワードをこませに使った群魚集めのような人寄せとは違った楽しみがありそうです。

話が散らばってそれますが、みなさんは「ちらし」と聞くと仰々しくいろいろなものを乗せた寿司と、彩りのよい具をほどよくかき混ぜた寿司と、どちらを思い浮かべるでしょうか。

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チョイチガ:1 不明品

2018年04月17日 | つぶやきの壺焼

今日からのタイトルに、チョイずれを使いたかったのですが、「ちょいずれ夫婦」というマンガが既にあって、そのまんまの盗用を避けるため、「ずれ」でなく「違う」⇒「チガ」にしました。
わざわざこんな説明をするのは、まったく野暮なのですが、なんでもかまわず説明を求めれば結果がこうなる阿呆らしさの見本という意味で、ハイ。

チョイチガという名の作は見当たらなかったのですが、Google が集めた画像にちょいチガという名のグループがあるのです。
ズーウッと見ていくと、よくわからない飛行ロボットの部品のようなものがありました。
製作者の記事によれば、これが完成品なのだそうです。

本題からチョイずれましたが、このシリーズは表明と実質のズレの探訪記ということで、よろしくお願いします。

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こんなのもある もう一種:31 目的と計画

2018年04月16日 | つぶやきの壺焼

気仙沼に建設中の防潮堤が、高さ4.1メートルと決まった後に、地盤が22センチ隆起していることがわかり、県は堤防の高さを22センチ下げるように計画を変更していました。
その計画変更が工事実施側にうまく伝わってなかったのでしょう、元の設計のままで工事が進められてしまいました。
さあ、どうしてくれると、堤防を造り直して22センチ下げるか、堤防はそのままにして背後に盛り土をするか、高さを下げずに工事を続行するか、三つの案をたてて検討しているという話があります。

防潮堤の目的からすれば、高ければ悪いはずはないので、あて馬のような代案らしいものをつくって、何をいまさらと思うのですが、結論の出し方をもっともらしく飾るためにばかげたことに無駄な頭を使うものだとつくづく感心します。

そんな時間を、計画-実施の齟齬をなくすにはどうすればよいかを考え話し合うことになぜ使わないのでしょうか。

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