・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

原因が気体になるとき~そんなばかな:6

2014年07月31日 | つぶやきの壺焼

事件や事故の後、必ず行われる手続きがあります。
言わずと知れた「原因探し」です。
「原因探し」は、原因追求、原因分析の前段階ですが、探して終わりということは、報道される事件や事故の数とおそらく同じくらいあるでしょう。
報道されれば原因発表は必ずあります。
発表は、追求も分析もほとんどされないうちに行われるので、「原因探し」と発生件数はほぼ同数ということになります。

事件や事故は人間が起こすので、原因はもともと目に見えない部分で占められています。
目に見えない部分を確かめるには、人の証言によるしかないのですが、それを知っている人がいなくなってしまえば、残るのは要因の想像による部分でしかありません。

証言者が行方をくらますことはしばしばあります。
思わぬ場所から遺体になって見つかることもあります。
遺体が本人であるかどうかを確かめる科学的鑑定の方法は発達しましたが、それを扱うのは人間です。
AとBを比較して、それが一致すれば本人であるという見方は、人々に信用されやすいのですが、A、Bどちらかがすり替えられれば一致条件はすぐにできあがります。
そのときには、原因の要素は蒸発してしまっていますから、そこに残るのは、これで終わりにしようという区切りの「とき」の宣言だけということになります。

蒸発した気体を、他のものと峻別することは、現世の人間の力の及ぶところではありません。
まことに、「とき」の力は偉大です。

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