・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

指数・係数いろいろ:24

2017年09月30日 | つぶやきの壺焼

盗塁阻止率という、キャッチャーの能力指数があります。
相手の行動を邪魔する能力です。
キャッチャーには、守備全体の指揮という役割があっても、それも相手行動の邪魔をすることが仕事です。
しかし、バッターになる番も回ってくるので、邪魔だて専門というわけではありません。

反対行動という、邪魔専門の仕事があります。
何かに反対することに参加するという奇妙な形で行われ、存在理由そのものに矛盾をかかえている仕事です。
この仕事には能力測定法がないので、XX阻止率という数値化はされません。
能力測定をしないのは、成果を求められていない仕事だからです。

政治という仕事には、成果が求められます。
ところが、政治の仕事場に、反対行動という邪魔専門の業務様式を持ち込んで、本来の仕事を邪魔する人が出てくると、ことは厄介になります。
実際の仕事場では、言論の自由という呪文のお札を隠しポケットに入れておいて、ときどきそれをまさぐりながら、言論に属すことのない戯れ言を何度も繰り返し、それを邪魔専門の用具に仕立てて政治の場から時間を奪い取っていくという、迷惑千万な行為がまかりとおるのです。

何でも"法"に頼るのは、一種の偏執でもありますが、あえてそれにこだわるなら、議会戯言阻止法でもつくってはいかがでしょう。  
戯言阻止率を上げれば、もう少し議会らしくなっていくのではないでしょうか。

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成長の下手な生物:26

2017年09月29日 | つぶやきの壺焼

日本をリセットなどという、酒場の戯れ言のようなキャッチフレーズを、平気でメディアに乗せた人がいます。

壊して作りなおすと前より良いものになるという考えは、多くの人々の共通な思い込みであることに、皆なかなか気づきません。
前のものが壊されて目の前になくなっているときには、比較できる条件がなくなっているからです。

思い込みに気付かないのは、成長を妨げる恰好の要因になります。

総体が手のつけられない状態であるなら、リセットも一つの方法として有効でしょう。
もし日本という国がそんな状態であるならば、選挙などという面倒なことをしている暇はありません。

つい出てしまったあの言葉は、たぶん自分の行動の軌跡を消し去りたいという願望が、リセットという言葉に置き換えられられたものという見方もできます。
おや、置き換えもリセットでしたか。 

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指数・係数いろいろ:23

2017年09月28日 | つぶやきの壺焼

コンビの芸人の売れ方は、顔の輪郭が円プラス楕円の場合に高率になるという説があります。

芸が売れるということは、顔が売れることでもあり、売顔率という数値化もできそうです。
顔の形の組み合わせと売顔率との関係をみると、そこに売顔律が成立するかもしれません。

さて、ピン芸人の場合には売顔率の相関は何に求めればよいのでしょうか。 

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成長の下手な生物:25

2017年09月27日 | つぶやきの壺焼

何種類かの弁当を並べて「どれにする」と言われたとき、目先の変わった風変わりなもの、カワイイものを選びたくなります。
そのとき、選ばせられることに悪い気持ちはしていません。

何人かの候補者の中から、何年かの間の政治にかかわる意見の代弁者として誰を選ぶかを迫られたときには、"またか"という思いが先に立ちます。
公職選挙では、"目先の変わった"という嗜好選択は、通用しないとまでは言いきれなくても、決して良い結果は得られません。

投票の判断材料になる情報を、投票する人が自分で集めなければならないようにしておけば、弁当選びのようなことしかできなくなるでしょう。
そこがつけめなどと考えているような人も、中にはいるかもしれません。

一食限りの弁当のような選び方をされた人が集まって、わいわいやった結果が、孫ひ孫の教育や生活を、より低水準に向かわせるとすれば、これはもう冗談ではすまされません。

どこかの国で見てきたことをまねただけの政治様式が、結果を見つめられずにだらだらと続けられるとき、その国の成長グラフが右肩下がりになっていくことは間違いなさそうです。

とにかく"カワイイ"だけの選び方はやめておきましょう。

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指数・係数いろいろ:22

2017年09月26日 | つぶやきの壺焼

統率という、数値とは無関係の言葉があります。
"率"が「リツ」でなく「ソツ」と読まれるとき、数値との関係が引っ込みます。

グループを統率するリーダーの行動には二種類の形態があります。

一つは大勢の仲間の気持ちのつながりを強くして力を出させる共同型、もう一つは脅威を与えて求心力をつくっていく独裁型です。

リーダーの行動意識には、DNAの関与が強いので、独裁型リーダーに対話を呼びかけ説得を試みても、ほとんど無駄に終わり、独裁の気をより強固に頑固にさせる効果しかなく、意思転換への対話の寄与率はゼロに近いものに終わるでしょう。

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成長の下手な生物:24

2017年09月25日 | つぶやきの壺焼

人類は、ごくわずかな地域の人を除いて、共通の慢性疾患を抱えています。
それは売買自縛症候群という無菌の病です。

モノには価値の大きいものとそうでないものがあります。
価値の大きさは、それを見る方向によって変わります。
見る方向をわかりやすく側面と呼ぶこともできます。
モノの価値には、文化的側面と経済的側面があると言っておけば、わかりやすいかもしれませんが、側面だけが見る方向のすべてではないので、それがすべてとは言えません。

とりあえず見やすい方向から見ておくという、おおざっぱな見方でも、せめて二面ぐらいはと思うのですが、価値を考える多くの場合、経済的側面に偏りがちになります。
モノであれ、イベントであれ、すぐに「経済効果は」と問いかけられ、そこでどの程度の売買が行われるかに考え方が縛られます。
自分の頭の働きを、売り買いという仮想のことがらで縛りつけ、ほかには知恵を回さないように、自分でしてしまうという、始末の悪い疾患の無自覚症状です。

核という難物を考え出してしまった人類が、それを個人の権勢欲を満たすための道具に仕立て、作って売りつければ、大きな経済的価値を生み出したつもりになれます。
そこでは、価値の文化的側面には真っ黒な幕が張られ、見ることができなくなっています。
経済的側面も、無相場の超高価で売ってしまうまでのことで、モノ自体に価値は残りません。
しかし、核を持つことで他の民族に脅しをかければ、それに対抗するモノを買わなければならないという奇妙な"大義名分"を発芽させ、別の経済効果を生み出すことはできます。

持っているだけの経済的価値は、買わされた持ち主にとってはゼロで、売った側にしか残りません。
価値のないモノが危険物であれば、いずれ処分しなければならなくなります。
処分の方法次第では、何百万人の命を奪わなければならないという、人類にとって極めて大きなマイナスの経済効果をもたらすことになります。

売買自縛症候群は無菌ですから、治療には切除も抗菌処置もいらず、脳の働きを変えさえすれば治癒できるでしょう。
人類の成長を妨げている、この根強い慢性疾患を何とかする方法はないものでしょうか。
それが見つかれば、経済的にも文化的にもこの上ない価値が生まれると思うのですが。

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指数・係数いろいろ:21

2017年09月24日 | つぶやきの壺焼

パチンコの原始型は、ゴムひもの弾性を使って弾を飛ばす玩具です。
獲物が見つかったり、外敵が現れたりした場合、それに命中させるには、V字型のゴムひもを上手に引っ張らなければなりません。

V字の片側を追随能、もう一方を対応力にたとえてみると、ものごとを的確に処理していくには、両側のゴムひもが、偏りなく引かれているかどうかの均衡度が結果を左右します。
いくら強く引っ張られても、どちらか一方に多少なりともゆるみが出れば、的中には至りません。

政治機構とメディアの関係を見るとき、追随能と対応力のバランスが崩れれば、政治機構がメディアを使うという常態が逆転し、政治機構がメディアに振り回される状態に陥ることもあるでしょう。

パソコンヒッターや偏執記者の取材に、政治機構がその希望に追随する働きが強く、対応力の低劣さをまざまざと見せつけられることがしばしばあります。

元来は政治機構が情報の発信者という注文主で、メディアはそれを運ぶ飛脚の関係であるのに、注文主が飛脚のために手紙を書いているようでは、戯れ歌の筋書きにもならないではありませんか。

 

 

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成長の下手な生物:23

2017年09月23日 | つぶやきの壺焼

人類が自力による成長を望めなくなれば、万物の霊長などと偉そうなことを言った手前、無生物に頼るしか道はなくなります。
この場合の万物は生物全般を指すという、弁解にも助けを求めながら。

権力者の頼れる無生物は先端技術です。
いま手をつけられる先端技術で、強力なのは核、便利なのはA I でしょう。

核の技術は、強力とは言っても、いま持たせられる力は、破壊力でしかありません。
先端技術の先端が行きつく先が、現生物の滅亡となれば、核は人類が考え出した最も非合理的な技術となります。
非合理的な技術の強化をシーソーのように繰り返し、その競争が相互の抑止力になるという考えは、持ち物の見せ合いで、自らはきわどい優越感を持ち、相手の劣等感に期待するという、ブランド品崇拝競争に似ています。
際限のないその競争で得られるものは、"作る仕事ができる"という、ただそれだけのことです。
ホラーをテーマにした立体動画の制作競争と同程度の価値しかありません。

便利と思われている A I のほうも、倫理感を失った人が考えたA I システムには、倫理観を組み込むことはできず、やがては、自ら構築したA I システムに制裁を受ける羽目に陥るでしょう。

技術者が、"仕事だから"という自己欺瞞のもとに、生物の滅亡に向かって精力を注ぎ込む喪心状態から脱却する方法を見出さなければ、生物のマイナス成長はどんどん加速していきます。

モノは作りさえしなければ出来あがることはないのです。

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指数・係数いろいろ:20

2017年09月22日 | つぶやきの壺焼

たびたび何度もやってくるセールスには、どこか怪しさを感じるものです。
TV放送される中継録画でも、同じ場面を何度も見せられると、その信憑度を疑いたくなります。

長い時間を使って見せる場面、繰り返し見せる場面には、何か意図があるに違いないでしょう。
それについて気づいたことがあります。

だらだらと繰り返された場面では、ウソの部分にも多くの時間が使われているということです。
人の話は、ウソ話ほど、くどく長くなります。
ホントの話はひと言で伝わります。

中継放送には、マニュアルがあるのかもしれません。

 ◇ 信用できない人の話ほど、長時間を割り当て、
_______一言一句漏らさず放送すること。

これを励行すれば、賢明な視聴者は、電波に乗った時間の短い話からは真実をすぐに感じ取り、長いウソ話は見破ってくれるだろうというわけです。
TV局は、収録できた報道材をそのまま提供するのでなく、視聴者が真実を見抜く感覚を磨きあげるための、心理芸術的編集を施しながら、文化水準の向上に寄与するよう努めているという見かたもできます。
これ、まさに「良心TV報」ではありませんか。

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成長の下手な生物:22

2017年09月21日 | つぶやきの壺焼

人間は、とかく思いどおりのことをしたがります。
思いどおりも度が過ぎれば、自由の広場にも居場所がなくなります。
倫理の領域から足を踏み外すこともあるでしょう。
それではまずかろうと、罰という修正方法が考え出されました。
罰を与えるには、前段階として、与えることの是非を問う"裁き"が必要です。

ところが、倫理にてらしようもなく、裁きが及ばないことがあれば、それには罰を与えることができません。
そこで別の方法が編み出されました。
制裁という、倫理とは縁の薄い懲罰形式です。

制裁は、裁きを制するという文字どおり、裁きを乗り越え、裁きなどそっちのけで多数の力によって個あるは少数に対して行われます。
もともと倫理にてらしようのないことですから、"気に入らない"ということが制裁の実行理由にもなります。

制裁は、通常、声明のあとで行われます。
制裁は、見せしめの意義が大きいので、こっそり実行したのでは制裁にならないという理屈なのでしょう。
制裁声明は、言葉の力の応用でしかありませんから、ほとんどの場合あまり効き目はありません。
ときには、声明だけに終わる場合もあります。

国単位の規模になると、制裁を受ける側にまわることは大きな恥辱ともされます。
しかし、国の最高権限を世襲で引き継いだ者が、その地位に居続けることしか考えなければ、恥辱の感覚などどこかに飛んで行ってしまいます。
そのうえ、だれかに気に入られることなど気にしないとなれば、制裁声明もどこ吹く風ということになります。

生物の成長は、なんらかの抵抗や障害を乗り越えることによって成就されますから、行動が抑えられたりさえぎられたりすることのない無法状態では成長という現象は起きません。
無法者のいちばん近くのグループ内にいる人びとが、放埓を抑えきれなくなったとき、そのグループの成長はパッタリと止まります。
成長が止まれば、自然の法則で、それ以降は衰退滅亡の道をたどるしかなくなるのですが、自分の居場所しか考えず、そこにいる快感以外に感覚を持たない者には、グループの消長のことなど意識の外で、国家間の制裁声明など全く意に介されないでしょう。

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指数・係数いろいろ:19

2017年09月20日 | つぶやきの壺焼

のどぐろという変な名前の魚があります。
600グラムの大型になると1万円という値がつくそうです。

口の中が黒いので、のどが黒く見えるのですが、その奥のさらに奥が黒い腹黒は人間の地域別特性のようです。

皮膚の色と腹の色は対立関係にあるという説もあります。

腹黒度の見極めは、魚の口のなかを覗いてみるよりも難しいことで、測定システムが開発されることはたぶんないでしょう。

相手のそれを測定してみたいと思う人は、自分の腹の奥を測られては都合がよろしくないからです。

 

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成長の下手な生物:21

2017年09月19日 | つぶやきの壺焼

専門家という、一見能力別かと思われながら、正体のあまりはっきりしない職種分類があります。

専門が、仕事と結びついていることは確かでしょう。
まったく仕事をしない遊び専門というのは戯れごとでしかありません。

政治という、人間の集団共同生活にとってだいじな仕事があります。
それに携わって専門性を発揮するには、人格、知識、身体能力が必要で、どれが欠けても政治の専門家としては不適格です。

不幸なことに、目にあまるほどに不適格な人が、政治家の仲間に紛れ込んでしまうことがあります。
誰でも参画できるという、肌触りのよいルールによって、入り口審査がズルズルになっているからそうなるのでしょう。
しかし、ルールを正すのも政治の仕事ですから、ことは厄介です。

不適格の多い集団に、不適格性の自律修正を要求しなければならないという、矛盾の塊を絵にかいたようなシステムを作ってしまってから、人間社会の成長のアクセルペダルは動かなくなりました。

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指数・係数いろいろ:18

2017年09月18日 | つぶやきの壺焼

国の経済が、どのくらい輸出入に頼っているかで、国の豊かさを推し量ることができそうです。
国内に国民全体が生活できる資源があって、それを他国に収奪されなければ、その国は、その国なりに豊かであるといえるでしょう。
そこでは、輸出入に依存するものは何もありません。

他との比較が始まって、豊かさがこのままではまだまだと欲が出てきたとき、その欲を満たそうとします。
欲望は満たされることに飽和点がありませんから、出始めた欲はもう止まりません。
人びとの豊かさに関係のごく薄いことでも、国民生活の向上という立派に見える看板さえ掲げれば、やめておけとはみな言いにくくなります。

輸出入それぞれの依存度は、その国の一部の人の欲望をかなえることで、多くの国民が被っている迷惑の度合いと、どこか関係がありそうな気がします。

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成長の下手な生物:20

2017年09月17日 | つぶやきの壺焼

ものまねは特殊な才能です。
人のまね、動物のまね、作り方のまねと、範囲はだんだん広がり、大がかりな様式のまねにまで伸びていきます。
見せるために演じるものまねのうちはよいのですが、まねる才能に溺れてしまうと、見せるためでは飽き足らなくなります。

文化に合わない様式のまねごとが、政治の場にまで持ち込まれることもあります。
必要性から出発してないものまね様式は、何十年続けてみてもうまくいきません。
二大政党制などもその一つでしょう。

ものまねが、演じるものの領域からはみだしたとき、その国の人々の、成長のバランスが崩れていきます。

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指数・係数いろいろ:17

2017年09月16日 | つぶやきの壺焼

信用度とか信頼度という表現は、不確かな部分が必ずあることを前提に使われます。
まったく確実なことがらには、そんな言葉はいりません。

ATMから出てくる紙幣に同じ番号のものが6枚もあったという、中国の土産話があります。
ATMも"信用度"を見極めて使わなければならないというのは、これまた不便なことです。

信用度を考えなければならなくなったとき、そのシステムはすでに信用を失っているのでした。

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