つい先ごろ、無茶苦茶な方法で無理やり可決した「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」というあの長たらしい法律の名で、いちばん気になるのは「国民の理解の増進に関する」という部分だ。
性の問題の多様性は、ごく少数の人の個人のことで、生まれながらの自分では気分が収まらないのは、個人個人の勝手な思いだろう。
そこには、国民が生活の基礎知識として持たなければならない特別な知識は何もない。
身近にそういう人がいれば、「そうなのか」と思えばよいだけのことだ。
生物には男女の別がある、それ以上により深く理解していくことを、なぜ増進しろというのだろうか。
世の中のことは、生活の必要に応じて知識を得、理解していけばよいので、法律で決めたから進んで理解しろというのは、いかにも押しつけがましい専制政治ではないのか。