・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

おすすめしません:18 無関心偽装

2017年12月31日 | つぶやきの壺焼

相手の気持ちを汲んで、目の前のことにあえて無関心を装う場合があります。
天然の天真爛漫の人にはそれができません。

はじめに装った無関心には、相手が図に乗ることもあります。

一方は無関心を装い、相手が図に乗ると、おかしなことに、両者の間に離れにくい感情のつながりができます。
そんな空気感が多くの人々に沁みわたっていくと、それぞれのお国柄にまでなってしまいます。
図に乗るお国柄と、無関心を装うお国柄をもった国が隣り合っていると、まつりごとの仕方が甚だややこしくなります。

始末が悪いのは、図に乗ることと恨むことが絶え間なく続けられ、それがまつりごとの基本理念のようになってしまうと、対外的発信もその路線から外せなくなるということです。

相手国のほうは、無関心を装っているうちに手のつけられない状況に追い込まれます。
慌てるそぶりは見せられず、あえて無関心を装っているふりをしなければならなくなります。

無関心偽装、この奇妙な様態は、それがよいと思い込まされてきたある呪縛状態から抜け出さない限りずっと続きます。
状況は鏡像になってだれでも見ることができるのですが、無関心を装うお国柄の人々は、自らの実像を、自分の内側からしっかり見つめようとはなかなかいたしません。
こまったものです。

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おすすめしません:17 解ったふりの「まげ」

2017年12月30日 | つぶやきの壺焼

髷は髪の毛を曲げて結います。

「いう」より「まげる」ほうが手順としては先になります。
結ってしまってから曲げ方を大きく変えることはできません。

髷も、ものの考えも、外か内かの違いはあっても、どらも頭にかかわります。

ものの考えを曲げて解ったことにする、これを曲解と言い、質の良い解り方ではありません。
曲解をすれば、その結果は「解った」ではなく「曲がった」でしかなく、「考える」目的に合いません。

解ったふりをして善人や博愛を気取ることには、見苦しいところがあります。
解ったふりをして売名や気ままな行動に出るのは、さらに見苦しいものです。

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おすすめしません:16 守られない約束

2017年12月29日 | つぶやきの壺焼

約束は守られるものと、普通の日本人はそう思います。
ところが、地球上にはいろいろな国があって、約束はその場の空気を良くするためのものであって、いつまでもそれにしがみつくものではないと、普通に考える国もあります。
そんな国を相手に、約束ごとを取り交わすほど間抜けな話はありません。

約束を交わすときは、相手がどういう国かを見極めなければ、大風水害や株価大暴落どころではなくなるほど、ひどい目に逢うことがあります。

N町とK関の方々には、十分気を配って、その場しのぎでないかどうかをよく見極め、わかっちゃいるけどのよい子ぶりは、もうやめにしていただきたいところです。

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おすすめしません:15 歌うような嘘

2017年12月28日 | つぶやきの壺焼

嘘を言う場合、普通の日本人なら、肩身が狭い思いで小さな声になります。

ある国の人は「息を吐くように嘘をつく」と言った名譬喩もあります。
静かに吐かれる息ならあまり気にもなりませんが、高らかに唄を歌うような嘘を見聞きすると、なんだこれはと半ばあきれます。

苦し紛れの様子が伺えるような嘘なら、だまされる人も少ないでしょう。
しかし、巧みな演出で映された嘘動画や、正々堂々と読み上げられる偽文書に会うと、多くの人はころっとだまされます。
公開していない映像が出たことにされた名演や、車を数十秒停止してもらったと書いていながら止めたのは誤解だとされた名文も見られます。

むかしある人から教えられた、「嘘は堂々とつくもの」という言葉を思い出します。
いちいち腹を立てていると体に良くないので、だまされないように気をつけましょう。

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おすすめしません:14 救急車のドタキャン

2017年12月27日 | つぶやきの壺焼

救急車が現場に駆け付けたら「大したことでなかったので結構です」、これは犯罪でしょう。

公務員職権濫用という罪があります。
公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことをさせたり、権利を妨げたりする行為がそれにあたります。
救急車のドタキャンはその裏返しで、公務員に義務のないことを行わせ、場合によっては他の緊急事態への対応を妨害するおそれのある行為です。

沖縄には、公道を通行する車に私的検問を行ったり、そこで救急車まで止めたりする集団暴力が住民に大迷惑をかけているという話を聞きました。
もし、止められた救急車を呼んだのがその暴力集団の仲間だったとすれば、罪の上塗りでとんでもない話です。

むかし、「風邪をひいたら救急車を呼ぶんだ、待たずに診てもらえるから」と、呆れかえるような話を、職場で自慢げに語っている頭のおかしい善人もいました。
ドタキャンよりはましにしても、これもひどい話です。

公器乱用、これはいけません。

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おすすめしません:13 正義への迂闊な期待

2017年12月26日 | つぶやきの壺焼

"期待"ということは、不可思議な概念です。
「XXXに期待している」とわざわざ言われたときにはさほどでもないのに、口に出されなかったときには結果が思わしくなければ「裏切られた」感が湧いて出ます。

裁判沙汰になった事柄の司法の判断に、だれしもが正義に則った結果が出ると思っていれば、そのことを期待するなどとはだれも言いません。
しかし、物証が全くなく、被疑者は否認、得られているのはあまり確かそうでない証言のみという場合に、有罪判決が出て被疑者が公職を追われるようなことがあれば、正義への期待は危険なものになります。

もし、こういうことが例外でなくなってしまうようであれば、それこそ文化の崩壊です。
正義への期待は迂闊な考えであって、おすすめできませんと言われたら、皆さんはどうお思いでしょうか。

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おすすめしません:12 お雇いリベラル

2017年12月25日 | つぶやきの壺焼

集まって騒ぐだけの、活動集団があります。
いわゆるリベラルと呼ばれながら、魂を釘づけにされた、全く不自由な人たちです。

ごく若いうちに、不満、不安、不信と、不ばかり山をさまよっているとき、ふと自分から足を向けた人もいます。
だれかに誘い込まれた人もいます。
そこは、平時にはみな神妙な顔をして難しそうなことを言い合っていますが、していることは児戯の域から出ることのない、ときには楽しいところでした。

熱に浮かされたようなリーダー級の人の話を聞いていると、いつも頭をよぎっていたいくつもの"不"の字が、いつかは消えるときも来そうな気がします。
そこでは、外に目が向かず、聞く耳ももたずで、おそらく自分で何かをじっくり考えてみようとは思わなかったでしょう。
XX活動と名付けた集まりに行けば、いくらかのお金も貰え、コンビニのバイトのように見知らぬ客に向かって笑顔を振りまかなくても済みます。

日本には年功序列が根付いているので、参加行動から推進行動に、さらに企画行動に参画するようになると、もうそのこと以外に自分のできることはなく、そのままおとなになってしまいます。

そういう集団は、"援"の字のついた何かがなければ、継続できるものではありません。
構成員それぞれが、社会の発展や文化の向上とは無縁の、"雇われの身"で一生を送ることになるのです。

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おすすめしません:11 第三者の装い

2017年12月24日 | つぶやきの壺焼

第三者という言葉にはいろいろな意味があります。
1.関係者以外の人
2.特定の案件・関係について、当事者ではないその他の関係者
3.ある法律関係の当事者,その包括承継人以外の者で,新たにその法律関係に利害関係を持つに至った者

その後に委員会がついた第三者委員会にもいろいろな意味があります。
1.直接の利害をもたない中立的な第三者によって構成される委員会
2.何らかの問題が起きたときに、当事者以外の外部の有識者によって危機管理体制の再構築を迅速、確実に行うなどの目的で問題を検証をする委員会

この"中立的"と"有識者"には、第三者を装った曲者が紛れ込むことがあります。
装いが第三者だけでなく、中立的であることや有識であることさえ怪しい人も入り込みます。

人選によって結論が変わることは目に見えていて、そこには任命者のさじ加減が大きくものをいうことになり、名前は第三者委員会とされていても、それだけで性格の判断はできません。
ときには第三国から来たのではないかと思われるような第三者も見え隠れします。 

当事者にとっては厳しいはずの第三者委員会ができると、誰かがほっとする気配を感じるのも、これは嫌なものです。

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おすすめしません:10 錯覚に酔うこと

2017年12月23日 | つぶやきの壺焼

"酒" SAKE に強い人と弱い人がいます。
SAKU にも強い人と弱い人がいます。

SAKU は"策"、騙されやすい人とそうでない人がいます。
週に2~3度市役所からご注意放送が流れます。
メールでも毎日何件か警察からご注意メールが届きます。
策に弱い人が大勢いる証です。

SAKU には、もう一つ"錯"があります。
錯覚しやすい人とそうでない人がいます。

慢性の錯覚というのもあって、巧妙な策を使って錯覚を仕掛けられると、それがパッと広がり、何十年も続くことさえあります。
根気よく徐々に組み立てられた策は、子供の教育の場にまで浸透します。
先生たちが集団錯覚に陥れば、教えられた子供たちは社会に出てからもそれが抜けずに、また錯覚集団をつくります。

錯への弱さの数ある実例のなかから、代表的なものを一つだけ挙げておきます。
「サンフランシスコ条約で日本は独立を完結した」という錯覚です。

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おすすめしません:9 さばきたがり

2017年12月22日 | つぶやきの壺焼

人は、とかく裁く人になりたがります。
裁かれるより裁くほうが心地よいからでしょう。

ことが起きると、話をよく聞いて何かの参考にすることより、裁くほうに力が入ります。

いまわいわい騒がれている争いごとでは、モンゴル語の喧嘩に、その言葉のわからない人が聞いていた話を、言葉のわからない人が聞いて裁こうとしています。
言葉がわからなければ、想像をめぐらすしかありません。
しかし、言葉が違えば考えの筋道も異なりますから、なかなか難しいでしょう。

いちばんまずいことは、裁かれて劣性側に立った人を、とことん悪者に仕立てあげてしまうこと、それを超えてまずいのは、その裁きを権力争いの道具に利用することです。

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おすすめしません:8 はじめのことばが すべてか

2017年12月21日 | つぶやきの壺焼

「はじめにことばありき」という聖書の一節があります。
これを、「万物は言葉によって成り、言葉によらずに成ったものはひとつもなかった」とし、「言葉がなければ、人にはそれが見えない」と意味づける人もいます。

言葉の意味は、それぞれの人が考えたいように組み立てられますから、これも一理、あれも一理で、適用範囲の示された定義でなければ、どんなふうにも読み取ることができるヤバいものです。

いちばん始末の悪いのは、言ってしまえば勝ちという、自分の言ったことは何が何でも最後まで正しいとする偏頗の言です。

世の中「はじめにこころありき」でありたいものです。

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おすすめしません:7 こだまを責めること

2017年12月20日 | つぶやきの壺焼

話の断片をとらえて、ああ言った、こう言ったと、端きれだけを問題にするのは、報道、情報、言論のどれにも値しません。

言葉として生きているのは、口から出たそのときだけで、いったん跳ね返ったときには、もうこだまになっています。
言葉を問題に取り上げるには、生きているうちでなければ意味がありません。

言葉の生きかたは、後から書きしるされた文字が全く同じでも、それを発した人の置かれている環境がどうであったか、前後の言葉とのつながりがどうであったか、そこでそのときに何が伝えられたかったのか、それによってみな異なります。

だれにどう聞こえようと、切れぎれになったこだまに責任はないのです。

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おすすめしません:6 反省の振り

2017年12月19日 | つぶやきの壺焼

未来永劫に恨み続け、たかり続けることを、未来志向という外交用語に使う国があります。

そんな国に対して、かりそめにもこちらから反省のいろを見せてはいけません。
都合のよい未来志向のお手伝いをさせられてしまうからです。

謝罪外交は一切やめにしましょう。
そして、読み違い、聞き違いが起こり得ないよう、けじめの宣言をはっきり伝えましょう。

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おすすめしません:5 ゴッコ主義

2017年12月18日 | つぶやきの壺焼

XXゴッコは、子供がものごとを覚えるのに最適の遊びです。

この最適とは、「覚える方法」としてで、ゴッコで覚える何でもかでもが、成長のために最適という意味ではありません。

ゴッコが有効なのは、何かを覚えるまでのことで、覚えてからゴッコを続けていれば、害や毒のほうが勝ってきます。
子供のころのゴッコの味わいが忘れられなくなって、大人になってもゴッコに夢中になる人がいます。
一人ひとりの趣味ならまあまあですみますが、集団で真面目な顔をして行われると、それがあたかも主義のようになり、害や毒が気付かないうちに蔓延します。

経営ゴッコでは、大きな会社も潰れるでしょう。
政治ゴッコなら、国の存在すらあやしくなります。

K関版の脚本でN町でゴッコゴッコのロングラン、喜ばれそうだとマスメディアも報道ゴッコ、それが国民投票ゴッコにまでなって、どうにもならない結果を招くことになっては、もうお祈りゴッコではすみません。

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おすすめしません:4 丁重にお返しすること

2017年12月17日 | つぶやきの壺焼

お借りしたものであれば、丁重にお返ししなければなりません。

もし、断りもなく押しかけてきて故障したのかそれを装ってか、わけのわからないものが、浜辺に辿り着いたらどうしますか。
相手の持ち主から返却依頼が来て、それから返すかどうかの話になるものでしょう。

紳士ぶって黙ってすぐにお返しするなどとんでもない、はじめにひどい目に会うのは、N町やK関にいらっしゃる方ではありません。

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