・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

雨をたずねて:9

2017年06月30日 | つぶやきの壺焼

雨の下に廷は、"テイ"、"いなずま"、"いかずち"です。
いなずまは、まっすぐにのびるいなびかりで、いかずちは、横にのびてひろがる雷鳴の余韻、雷鳴のとどろきとされています。

いなずまも、いかずちも、"ず" は "づ" でなければ言葉の意味にそぐわない気がします。
「図」の読みを "づ" でなく "ず" と書かせる、おかしなかなの使い方は、何十年か前に愚かにも珍重されながら行われた日本語衰退運動のおかげです。
内閣告示まで出してそうされてしまったいまでは、なんともいたしかたありません。

稲妻の走りまわる態を、廷に居ながらに見渡せるような、ゆったりした場はもう望めなくなりました。
写真をお借りしておきながら書きにくいことですが、探し回って見つけた稲妻の写真も、貨車のようにつながった集合住宅の上を、何棟かにわたって伸びており、雨の下に廷の感じは、いまのせせこましい世には味わうことが難しいようです。

 

 

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雨をたずねて:8

2017年06月28日 | つぶやきの壺焼

雨と言、"ショウ"、"ソウ"、"コウ"と漢音だけでも3とおり、呉音の"ギョウ"を入れるとさらに増えるという忙しい文字です。



"ショウ"と読んで同じ字を重ねると、雷が後から後から重なってとどろくさま、 
"ショウ"と読んで「爾」を添えると、雨の降りしきるさま、
"ソウ"と読んで「然」を添えると、さっさと散ること、また、そのさま、
"コウ"と読んで同じ字を重ねると、わいわいとさわぐ声の形容、
読み方と添える字によって意味が少しずつ変わってきます。

あまが下のどこにもある、落とし話のような言、いつまでもきりのない言、そのとき限りの言、騒がしいだけに終わった言に、え、そうだったのかとぼやいても仕方がありません。
読みの浅さは、耳の不確かさから始まります。

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雨をたずねて:7

2017年06月26日 | つぶやきの壺焼

雨、小、月の三つの組み合わせは、"ショウ"というややこしい字になります。
構造は簡単に見えるのですが、読み方や意味がややこしいのです。

みぞれの意味は持っていても、訓読みは"そら"、"よる"、"よい"で、"みぞれ"という読みはないようです。
この字の"そら"は、はるか彼方遠い空の果て、遠くの空の雲をさし、ひょいと見上げる手近な空ではなさそうです。
"よい"は、にあてた使い方ですが、"よる"はどういう夜なのか。
小の下に月は、ほそるとけるかすかという意味を持っているそうですが、それはどんな夜なのでしょうか。

 

 

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雨をたずねて:6

2017年06月24日 | つぶやきの壺焼

雨が冷気に包まれると雹になります。

噛みくだくと中から甘い水やウイスキーの出てくるあの砂糖菓子のように、雹の中に雨水が入っているわけではないのに、包という字を使っているのは、包には、外側から包むだけでなくひとまとめにしてしまう意味があるということなのでしょうか。
外からの見かけだけでまとまっているうちは、雹になりきれません。

"ひょう"という読みの響きには、どこかきつそうなところがあって、それが激しく降れば、人を痛い目にあわせたり、生り物に傷をつけたりするのもうなずけます。

全く意味は違いますが、"ひょう"を集めること、失わないことが、いつも気になっていて、何かにつけそのことにしか能動の因として働かない人の集まりも、あちこちにあります。
そこに集められた"ひょう"は、いずれ水に流されてしまう必然の運命をもっています。
それもわかっていながら、ある時期が来ると、"ひょう"を一つずつ持って行って箱に投げ入れることに、義務感を押し付けられているような、よくわからない個別集団行動?が習慣にもなっています。

豹変、瓢箪から駒ということばもあるように、"ひょう"は、どこにあらわれても奇妙なもののように思います。

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雨をたずねて:5

2017年06月22日 | つぶやきの壺焼

雨と方の組み合わせは、"ホウ"という文字、これは文語専用の形容詞で、訓読みはありません。
雨や雪が四方に乱れ広がるさまとされています。
この文字は、"たり"ということばをつなげて"ホウたり"としなければ、言葉としての意味が完成しません。


"たり"と断定せずに、そうであるのかないのか、どちらにもとれるような保険表現は、新聞の見出しにもときどき見られますが、予報でなく今降っている雨や雪には無用なものです。

"ホウたり"には、雨や雪が四方に散らばるという、状況を自分中心にみている気配はあるにせよ、いさぎよい、ここちよい言葉だと思っています。

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雨をたずねて:4

2017年06月20日 | つぶやきの壺焼

雲はたびたび美しく、ときに激しい文様を見せてくれます。

雨と文を組み合わせると "モン" あるいは "ブン" という、雲の美しい模様を意味する字になります。
これ一文字で使った文章をまだ見たことがありませんが、華を添えた "ぶんか" という言葉があるようです。

 これを「もんか」と読むと、その名にふさわしくない行状が話題にされている、あちらさまを連想してしまいますが、雲の模様が時々刻々移り変わることからすれば、革命という物騒な事を経なければ変わりようのない「ぶんか」よりも、「もんか」のほうが似合っているのかもしれません。

「もんか」あんのか?

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雨をたずねて:3

2017年06月18日 | つぶやきの壺焼

雨粒が細かくなっていくと"きり"になります。
雨を分けると""、きりという字です。

きりにはもっと画数の多いがあって、なぜかその面倒な字のほうが常用漢字になっています。

もやもやしたふんいきには""のほうが合っているのでしょうか。

しかし、ふんいきを漢字で書くと雰囲気

あたまがもやもやしてきます。

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雨をたずねて:2

2017年06月16日 | つぶやきの壺焼

普通に使われている漢字、つまり常用漢字は、いちいち見ずに飛ばしていきます。

雨の下に下を書くとしずくになります。
音読みは、それと鼻の詰まった読み方のようなです。

この文字の意味を、「曲線を描いて水のしたたるさま」と解説している藤堂漢和には、「中国でもこの字をつかうが、しずくの意味に用いる場合は国字」となっています。

ところが、Google の翻訳で中国語に雫と入れてみると、日本語はしずく。

さあわからなくなりました。

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